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続・亡霊(ファントム)たちの宴07

YAH!YAH!YAH!鬼教官がやってくる!!(その2)

 買い物の後「防府の鬼御一行さま」は一旦ホテルに入り御休憩へ。僕も自宅へ戻り、夜の部へと体勢を整える。次の約束は、がっかり名所で有名な「はりまや橋」前で午後6時半。
 僕がバスを降りて待ち合わせ場所へと向かっていると、電車通りを挟んで反対側に一見してそれと分かる敵影を発見、よし後方は貰ったぜとばかりに、信号が変わるのを待ちかねて、人影に姿を隠しながら回り込もうとしたのだが、ふと気付くとD I さんがこちらを見てニヤニヤ笑っていた。ちっ、何だよ気付いていたのか。やっぱり簡単には現役の後ろは取らせて貰えないよな。
  
 予約していた店は、ここからすぐ近くで、先日新田原でD I さんに会った時「古本屋探偵事務所っていうのに出てきた居酒屋って、この前高知で行った店ですよね」って言い当てられた店だ。名前は「活魚つづき」。待ち合わせたはりまや橋から電車通りを渡って反対側に来て、アーケードの入り口から15歩くらいのところにある。ここには美味い鰹と、D I さんの好きな「ダバダ火振」っていう焼酎がある。店の大将には「県外からのお客さんを連れて行くから、何か高知らしい食材で纏めて」と頼んである。Photo
 お通しの後に出てきた「チャンバラ貝」が彼らのハートをがっちり掴んで、まずまずの滑り出し。とりあえずの生ビールで喉を滑らかにした後は、早速の日本酒に取りかかる。店が出してくれた杯は、穴が空いていたり、円錐形になっていたりして(決して不良品ではないので、念のため)とても危険な雰囲気に。これらの器は、一旦酒を注がPhoto_2 れると、飲み干すまで杯から手が離せないので、もう次から次へと酒を飲み続けられるわけだ。まあ、例えてみれば、空対空系のミサイルなど使わずに、いきなりバルカン砲のドッグファイトに突入したみたいなものだ。お互いに、目の前に捕らえた相手に向かって、ただひたすらバルカン砲(日本酒)を撃ち(飲み)続ける状態。やがて僕は「入れ物がこまい」と言って、小皿に酒を注いで(これさえやらな、えい男やにのう)皆に回し始め、これが契機となって鬼教官たちの足並みが乱れ、同士討ちが始まった。最初は行儀良く飲んだ小皿を隣へ隣へと渡していたのに、それがいつの間にか逆回りになったり、対面差しになったりしたものだから、どうしてもしわ寄せは学生のD々さんに集まることになる。
 小皿をぐっと飲み干して返杯しようとすると、
「お前、これを持ってくると言うことは、どういうことになるか解っとるんやろうな」
鬼教官が威嚇する。するとD々さんは、迷子の子犬のような顔になりながら、それでも勇気を振り絞り、「お願いします」って小皿を差し出す。
 いいなぁ、こういう理不尽な男の世界。気の許せる者同士でないと絶対に成立しないという、飲み潰れた後のことを気遣ってばかりの小利口さんには判らない、危うさすらも飲み含んでしまう信頼感。
 出てきた鰹の刺身、タタキは瞬く間に完売し、はらんぼやメヒカリと続いた焼き物も喜んで貰えたよう。
「いや~、まさか鰹がこれほど美味いとは思いませんでした。もっと生臭い魚だというイメージがあったから、驚きました。どうしてこれほど味が違うんだろう」
 もう、最大級の褒め言葉をもらって、僕はニコニコしっぱなし。D I さんが日本酒の飛び交う間隙を縫って、ダバダ火振のお湯割りを美味そうに飲んでいる。ああ、今日この店を選んで良かったなという気持ちに包まれながら、僕は流れてきた小皿をぐっと飲み干して、A楽さんに回すと、小皿に酒を並々と注いだ。
 気を良くして2次会へ流れていき、D々さんがひっそりとダウンして日付が変わるころ、次の日のことを考えなかったら、いつまでも飲み続けていたいと後ろ髪を曳かれつつ「防府の鬼御一行さま」との宴IN高知は終了した。
「近いうちに、今度は防府で飲みましょう」
 第2ラウンドの堅い約束をして。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴06

YAH!YAH!YAH!鬼教官がやってくる!!(その1)

 話は少し遡って、2008年10月23日の昼休みのこと、僕の携帯が「時代の風-人が人でいられた時」を奏でて、赤い飛行機に乗った豚がメールを運んできた。ちょうどラーメンを掻き込んでいた時で、危うく鼻に逆流させそうになって辛うじて踏み止まり、2~3回軽くむせたのを整えてから見てみるとD I さんからだった。
『ところで、鰹ツアーですが11/15~16で考えております』
 来る。防府の鬼が予告どおりに鰹を食べにやってくる。Photo
  
 その後、続々とメールが届き、防府からの陣容が明らかになってくる。海を渡って攻めてくる鬼の陣容は、合計6名。D I さんは勿論のこと、前回広島で一緒に飲んだA楽さん、そして元302SQ飛行班長でD I さんの先輩になられるT I さん、元CH-47の魔術師こと井Uさん、元301SQにして美食家のHSさん、唯一学生であるD々さんという顔ぶれ。一方迎え撃つ当方は、これまで遠征に参加した8名に声をかけるも、先ずK内くんが仕事の都合がつかず不参加。沖縄に参戦したY田係長が前日徹夜の仕事が有るとのことで不参加。ぬりかべこと中Gくんは土壇場まで前向きに抵抗するも、あえなく不参加。6名の鬼たちに向かって5名の迎撃部隊は、あまりにも心細かったが、更に追い撃ちをかけるように前日になって、新田原ファーストメンバーのKMくんが「カゼでどうしても熱が下がらんので、スンマセン」と悲しい声で電話を架けてきた。これでとうとう4対6となったが、内ひっちさんは限りなく下戸ときているから、戦力として頭数には入れられない。いくら地の利があるとはいえ、圧倒的不利な状況は否めず、僕はあの忌まわしい「やすらぎの悲劇(亡霊たちの宴014参照)」を覚悟した。
  
 11月15日、朝1番に来たメールは、防府の鬼御一行さまがバイク3台乗用車1台に分乗して無事フェリーに乗り込んだというもの。そのまま松山に上陸した後ルート33をひたすら南下しても、こっちに到着するのは早くて午後2時前後か。頭の中では突撃ラッパが鳴り響き、睡眠時間は十分、体調もすこぶる良いと自分に言い聞かせ、及ばずながらも臨戦態勢を整える。
 待ち合わせたお城の北側に現れた「防府の鬼御一行さま」は、当初妄想していたような荒々しい顔つきではなく、むしろ穏やかな人たちばかりで、出迎えた僕を安心させた。(いや、待て。これが鬼たちの手口なのかもしれないぞ)
Photo_2  本当はこの後、桂浜に行こうと考えていたのだけども、ちょうどというか何というか、この日は、あの坂本龍馬先生の誕生日にして命日だったわけで、桂浜ではそれなりの混雑が予想され、今から出掛けても駐車場に入れるのに時間がかかり、すぐにトンボ返りってことも有り得る。そこで「防府の鬼御一行さま」には何とか諦めて頂いて、そのまますぐ横のお城を一通り案内したあとで、反対側にある「よごれ市場」こと「ひろめ市場」に誘い込んだ。
  
 ここで彼らの顔つきが変わっていくのに僕は気が付いた。しまった。
 この場所が持つ独特の魔力により、鬼たちがその本性を現し始めたのだ。早速目についた肴を買ってきてパクつきながら「あ~、このままビールを飲みて~!」と叫ぶ者、全員の心に火をつけてしまい、すっかり臨戦態勢に突入させてしまった。この反応の良さから判断しても、相当な実力者(酒豪)が揃っている模様。でもまあ、火に油を注ぐ結果になったことはもう取り返しがつかないから、腹を決めてその先の大橋通の商店街なんかも案内する。やはり鰹がお気に入りで、自宅用に・防府での宴会用にと配達を依頼していた。観光としては、十分ではなかったのだろうけども、お土産も調達出来たってことで何とか許してもらえるだろうか。できれば、こちらでの滞在時間をもう少し多く取ってもらえたら(せめて、10時くらいに到着とか、翌日夕方まで滞在とか)納得のいくコースを構えることができたと思うので、それが残念。皆さん次回来られる時は、できれば2泊して下さいね。

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2008新田原 T-7の帰投

さすがのD I さん

 今年もまた『亡霊(ファントム)達の宴』に、お呼ばれしてきたのですが、残念なことに体調がイマイチで十分に満喫できませんでした。詳細は、また後日のこととして(なにせ、先月中旬にD I さんを筆頭に鬼教官&若鷲部隊の襲撃も受けていて、そちらの話も書かなくてはならないのに、例の田母神さんの論文の話にも触れたくて、消化不良のままズルズルと今日に至っているわけです)とりあえず今日は、T-7で帰投する際に魅せてくれたD I さんに感謝の気持ちを込めて綴ります。

 ブルーインパルスの演目の終了は、その航空祭の終了を意味していて、会場には蛍の光が流れ始めます。後は帰投する航空機を見送る人垣を残して、皆それぞれに家路を急ぎ始めるわけですが「今年はD I さんが防府に帰投するのを見送ってから帰ろうよ」という話で一致し、私達も見送りの人垣に参加していました。人垣が一番少ないT-7の前辺りに陣取ってD I さんの来るのを待っていると、T-7は2人に押されて少し離れた場所へと移動されていきました。ロープ際には厚い人垣が出来ていて、簡単には近寄れない雰囲気。「まあ、この近くに居ればD I さんにも会えるさ」って思い、一生懸命来るであろう北側に気をとられていると「どうもお疲れ様でした」という野太い声。いつの間にやってきたのか、私の警戒網を潜り抜け、突如現れたD I さんに慌てたこと慌てたこと。「帰投時、期待してますよ」とか「どんなことするつもりですか」など、聞こうと考えてたことが皆ぶっとんでしまい、ありきたりの挨拶で終わろうとした時、D I さんがニヤリと笑いました。私には、その顔が「最後に魅せますから、期待していて下さい」と言っているように感じたのです。

 果たしてT-7は、健気に滑走路を滑り始め、宙にその体を浮かせた途端、闘う機械と化しました。車輪を引き込むと、そのままの高さで速度を上げ、滑走路東側で右旋回270°そのまま低空でエプロンに向かうと見せかけて、観客の前での急上昇、あらよっと1回捻ると何事も無かったように飛び去って行ったのです。

 残されたざわめきの心地よさに、しばらくの間、ぼんやりと飛び去った空を見ていると、あの2004年の、初めて彼らと出会った日のことが、鮮明に浮かび上がって来ました。何かを確約したわけでもないのに、私の魂を揺さぶってくれた、彼らの心意気を。

 余談になりますが、今回D I さんが魅せてくれたことを、車の運転に例えてみるとどうなるか考えてみました。

 先ず車なら、狭い道路よりも広い道路の方が走り易いわけです。また、道が広くても、左側にべったりくっついて走る人はいませんよね。飛行機なら、当然浮かび上がったら、なるべく高度を上げていきたいと思うのが普通だと思います。これを高度を上げずに加速していくということは、2メートルくらいの道路を時速100キロで走っていくようなものではないでしょうか。そしてその先で一気に減速して右カーブを270°回り、広い道に向かう出口で急加速、そこで1回転スピンさせた後、何事もなかったかのように走り去る。

 こんな感じでしょうか? D I さん、もし違っていたらメール下さい。

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