’09百里基地航空祭 その1
激走1泊4日1853キロ 1~2日目
那覇の302飛行隊が百里基地へ異動した今年2009年、ぼくは密かに航空祭出動を計画していた。
解決しなければならない問題点としては、
その1 宿を何処にするか
その2 移動手段を何にするか
その3 だれと一緒に行くか
の3つが挙げられる。
宿については何年か前から、基地北西方向約5キロメートルに手頃な宿を見つけていたので、空き部屋さえ残っていればここに決めようと思っていた。航空祭の時に泊まる宿なんて、酔っ払って眠ることができる機能さえ備えていれば問題はないから。
移動手段は、今回の場合片道が900キロを超えるので飛行機をチョイスしたいところだが、まだ茨城空港が完成していないため羽田で降りその後の交通機関等も考えると、悩みどころが満載の状態。また宿から基地までの移動をどうするかということも、大きな壁となって立ちはだかった。つまり消去法的に乗用車での移動となり、車に折り畳み式の自転車を搭載して宿から基地までの足にすることが適当と思われた。
だれと一緒に行くかは、片道900キロを超える行程を往復できる体力と、疲労から途中不穏な空気が漂ったとしても修復できる関係ということも含めて検討しなければならなず、最大の障壁と思われた。1000円高速の恩恵を十分に生かすためには、深夜の移動になってしまうので、眠気などを考えて距離的に1人頭300キロの運転なら大丈夫だろうと想定すると、自動的に人数3人が適正と決定した。次に3台の自転車が搭載できて、そこそこ長距離を運転しても楽そうな車を持っている者という条件が必要となり、トヨタハリアーに乗っているHKの顔が浮かんだ。結局、新田原出動ファーストメンバーならと思ってHKとKMの2名に最初に声をかけると二つ返事でOKだったので、このようにしてメンバーも決まったのだった。
幸い宿も空いており9月12日3名で予約を入れ、折り畳み自転車はぼくの持っている2台と、KMの1台ということで話が纏まった。
迎えた9月11日午後11時半、当然のように約束から半時間以上も遅れて、HKがぼくの家へやってきた。ところが自転車を車に積み込むのに思いの外時間がかかってしまい、結局出たのは日付の変わる少し前にまでずれ込む。
瀬戸大橋を越え、大阪・名古屋あたりまでは元気だった3人も、浜名湖SAで給油を済ませたあたりから急激に疲れてくる。その後夜が明けるまでハンドルを握っていたぼくは孤独だった。他の2人のイビキを聞きながら、眠気覚ましの栄養ドリンクと辛~いガムがぼくの味方だった。
都内で若干の渋滞はあったものの、9月12日午前10時20分ぼくらは無事千代田石岡ICを流出する。天候は、何日か前には晴れ時々曇りの予報だったのが、前日になると一時雨が混じる予報となって、当日には午後から雨予報となり、実際は朝から小雨が時折強い雨も交えて降り続いていた。全く天気予報って肝心な時に当らないのだから。それとも、航空祭前日の行事に招待者として、厚かましくも参加しようとしたからバチがあたったのかな。
本番前日だというのに基地周辺の渋滞はすでに激しく、ぼくらが駐車場所へ車を駐めることができたのは、時計の針が12時を指したころだった。
GGくんに連絡して迎えに来てもらい、新隊舎のあちらこちらを案内してもらう。元々は301飛行隊が使っていた建物で、前使用部隊がイーグル204飛行隊だったわけだけれども、どうしても那覇と比べてしまうから手狭に感じるのだそうだ。そうだろうなぁ、あの底抜けに脳天気な青空(あくまでぼくの印象ね)を独り占めしていたのだから、たしかにここは色んな意味で手狭に感じるのかも知れない。ちょうど2年前まだまだ暑かった那覇の日のことを思い出しぼくは鉛色の空を見上げ、着込んでいる長袖の上着を羽織りなおした。やがて八Fくんも合流してくれて、あちらこちらと一緒に回る。
今回はちと無理なお願いを用意していた。
どうしても2人に「飛ばねぇ豚は~」と言ってもらいたかったからだ。顔出し許可を貰って、440(ししまる)号機の前でやってもらった。

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