続・亡霊(ファントム)たちの宴05

瀬戸内の潮風は…(その2)

 むかし日本を訪れた中国のお偉いさんが、こう言ったらしい。
「日本にも大きな河があるんですね」
 信濃川、利根川、長良川?ましてや四万十川のことでもない、いや、本当は川ですらないんだ。
 そう、川ではなく瀬戸内海。誰だか知らないけど、でっぷりとしたお腹を揺らす姿が目に浮かぶ。車の窓から僕は、ぼんやり とそんなことを考えながら、寄せ波も引き波もない砂浜を見ていた。車から降りていって、手を水に浸けて舐めてみればはっきりするし、何よりも日本人なんだから、いちいちそんなことを確認しなくても疑う余地はないのだけれど、どうしてだかこの時の僕の心は、誰とも知らない中国人の気持ちに寄り添っていた。僕らの知っている海とのギャップが、こんな気持ちにさせていた。
「むかし来た中国の偉い人は、瀬戸内海を見て、日本にも大きな河があるって思うたがやって」
 僕は所在なさからぽかんと、運転しているKHにこう言ってみた。
「えっ、何やって?」
「うん、だから瀬戸内海って河みたいやねって」
「なんな、ああ、そうやね」
 天気は上々で、穏やかな海面にざわめきを起こしているのは、風だろうか、小魚の群れだろうかって眼を細めてみたけども、きらきらと瞬いている波面を見ているうちに、そんなことはどうでもよくなってきて
「定年したら、瀬戸内に住むがもありやね」
なんてことをうそぶいてみると、海辺に沿った道路から見渡せる海水浴場には、もう夏の盛りを過ぎたっていうのもあるけれど、子供がちらほらしているだけで、期待した水着のおねえちゃんの姿は皆無で、2人を大層がっかりさせた。

P1000069P1000077_2 陸奥記念館に行けば、陸奥の総てが分かるっていうものじゃあないってことは最初から思っていたから、展示物を見て、ビデオを見ての内容に特に不満は無かったけれど、建物の外の少し離れて高くなった場所に、戦艦陸奥の艦首部分、副砲、スクリューなんかがあって、そこには「←方向約3km」とか陸奥の沈んでいる場所を示す板も設置されていたりして、これらが何で記念館と一体になっていないんだろうと不思議に思った。
 今日みたいに天気の良い日なら、屋外でも潮風も気持ちよく見ることが出来るけれど、雨が降っていたりしたら、せっかくここまで来た人たちの中には、この場所に来ない人も居るんじゃないかというのは、大きなお世話なんだろうか。多くの人たちがここへどういう気持ちで訪れるのかよく判らないけれど、僕は少なくともこの場所に「陸奥」っていう戦艦を感じに来ているんだって思っている。感じるためには、屋内の展示物は、引き上げられた陸奥と同じ場所にあった方が直感的に理解しやすい。わがままなのは僕の性分なので、この記念館が建てられた経緯も知らないままに、こんなことを思うのだけれど、展示室が狭くなっても仕方ないから、もっと実物を屋内に移してもらえないだろうかって。もったいないなー。
P1000071

 悪口ばかりじゃあいけないから、来てみて発見したこともひとつ。もしかしたら常識なのかもしれないけれど、艦首部分の鉄板が思いの外に薄いっていうことが判ったこと。爆沈した時に空いたのか、その後の長い年月が空けたのか、ぽっかり空いた艦首部分の空洞から窺い知ることのできる鉄板は、数センチくらいにしか見えなかった。まあ、分厚ければ良いってもんじゃあ無いんだろうけど、むかしの戦艦っていうだけで何十センチという鋼板を想像していたわけだ。こんなことは、実際に見てみるのが一番だからね、ほら、むかしからよくいうでしょうが、百聞は一見にしかずって。こんなことだけでも実感できたってことは、僕にとって凄い充実感となって満たしてくれる。どこへいってもそうだけど、多くを求め過ぎると残念な気持ちが多くなるから、それだとつまんないでしょうが。色々と思うことはあるのだけれど、そんなことばかりをお持ち帰りしても仕方ないから、僕は陸奥記念館の思い出として、艦首部分の鉄板の厚さのことを持って帰ることにした。帰ってから皆に話してやるのさ、右手の親指と人差し指を少し開いて見せて「陸奥の艦首の鉄板って、このくらいの厚さしかなかったが。」ってね。

 見るもん見たら、お昼に近かったせいもあるけど、お腹が空いてきた。お土産買いがてらに、途中にあった道の駅へ寄ってみると、魚屋さんみたいなところもくっついていて、そこで見つけました夕べ食べた穴子くん。穴子って前にたまたま釣り上げたこともあったりするんだけれど、僕の中では、大きさとして鰻と同じくらいだって相場になっていた。それがどうだい、ここで見た穴子は、大きいのになると腕回りくらいって言えばちょっと大げさになるけれど、面構えも逞しく水槽の中から睨みをきかせている。どこかで大鰻っていうのを見たことがあるけれど、あれを大ボスとしたら中ボスくらいの大きさか。でも、大鰻は大味で美味くないらしいけれど、夕べ食べた君のお友達は、とっても美味しかったよ。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴04

瀬戸内の潮風は…(その1)

 大酒を飲んだ翌日は、少しだけ反省する。
 二日酔いで反省した人は特に珍しくもないとは思うのだけれども、僕の場合、最近は肉体的な反省よりも、精神的な反省の方が多いような気がして、心に溜まっているストレスとやらを実感するわけだ。こまめに発散するようには心がけているのだけれど、発散しても発散しても次々に補充されるので、てんできりがない。蚊や蠅を撃退するように、ストレス解消スプレーでも発明してくれないだろうか。
 まあ、こんなことを思いながら、広島の朝を迎えた。
 9時くらいに朝寝坊大臣の部屋に電話を架けると、意外なことにスッキリした元気そうな声で「やあ、大丈夫?」とか言いながら出てきた。「何言ってやがんだい、こっちの台詞だよ」とか返してはみたものの、う~ん、やっぱり夕べの僕はハタ目にも大丈夫じゃあなかったんだろうな。でも、もうかなり回復していたので、まあ、それならってわけで早速ホテルを出発した。途中DIさんに電話を入れて、昨夜のお礼方々酔狂のお詫びも言ってみる。DIさんは「いえいえ、楽しかったです」とか言ってくれたけども、次からは酔狂きらないように気をつけよう。…なんてね、多分次に飲む前までは覚えているよ、きっとね。
 広島の朝は、ジリジリと残暑もわきまえずの厳しさで、
「どこへ行っても、夏は暑ちぃね~」
なんて馬鹿をいいながら車を進めると、僕らが住んでるちんけな地方都市とは違って、どこまでも続く市街地が圧倒的な迫力で迫ってくる。そして、僕はあることに気付いて絶叫してしまった。
「しまった、原爆ドーム見るの忘れた!!」

 高速道路に乗って山口へと向かう。行き先は、陸奥記念館、周防大島の先っちょの方。陸奥っていうのは、言わずもがなって気はするけれど、昭和18年に周防大島沖で謎の爆発をおこして沈没してしまった「戦艦 陸奥」のこと。華々しい戦果に彩られた船ではなかったが、戦前には国民に親しまれていた戦艦だったという知識と、戦後に主砲塔が引き上げられたとかの報道を何回か耳にしたことがある程度で、写真で見る以外にそれ以上の実感が湧いてこないものだった。
 うっかり実感なんて書いてしまうと、意地の悪い友人なんかに
「じゃあ、実感を伴う戦前の船とかって何があるんだよ」
てな手厳しい攻撃を受けそうだけれども、イメージね、あくまでも。Photo

 高速道路の玖阿ICを降りて周防大島に向かう途中、437号線を走っていて目に付いた物があった。
 ガードレールと屋根の瓦。
「何でガードレールが黄色いがな?」

 四国の太平洋に面したど田舎では、ガードレールといえば白って相場が決まっている、最近になって、何かくすんだような銀色のガードレールが増えてきたけれど、さすがに黄色は見たことがない。
「たまたまやないがか?」
 じっくり見ようとして、KHは何度もガードレールに突っ込んでいきそうになり、その度に僕は色んな神様を呼び出してお願いをする羽目になる。
 そして瓦。見事なまでに、黒い瓦が並んでいる。これだけだと何も変じゃないんだけれど、それが異常なまでにテカテカ光っている。呉へ行く途中の道端の家の瓦は、どれもこれも「赤瓦」で、これも不思議でしょうがなかったのだけれども、ここの辺りの瓦の光り具合ときたら、僕らの感覚を超越していた。陽光を受けて光っているなんてもんじゃない、明らかに普通の瓦の仕上げに透明の釉薬か何かでコーティングしている。光っていないのは、鉄筋造りの建物か崩れかけた廃屋くらいで、こんな光景をずっと見ていたら、見た者じゃないと判らないんだろうけども、いや絶対何でかしら可笑しさが込み上げてくるんだ。きっとあの瓦には、見ているだけでエンドルフィンとか何だかよく判らないような脳内物質が、勝手に吹き出してくるような仕掛けが為されているに違いない。怪しい脳内物質により汚染されてしまった2人は、ケタケタとラリっちまったかのような雄叫びをあげながら周防大島に向けて爆走していった。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴03

PS広島にて

 風が吹いてくれたせいか、心配された雨に祟られることもなく、予定どおり見学を終えた僕らは、一路広島へと向かった。
 前に話したように、僕は呉が2回目で、他に尾道へ2回行った他の広島県は知らない。つまり、広島市へ行くのは初めてってことになる。呉を出発する前に、ホテルの電話番号をカーナビに入れると、賢いことにちゃんと今晩の寝床まで案内してくれる。まあ、たまに違ったルートを(たとえば、最短で500メートルくらいの所を、延々2キロくらいかけて案内してくれたり…)教えてくれるけど、まあ所有者がKHだから仕方ないっていうか、最終的に目的地に到着できるからKHよりも遙かに優秀と言ってあげなくっちゃあいけない。

 ホテルは、会社の提携か何かで作った(勝手に作られた?)カードを初めて使ってみた。割引後の値段が、シングル1泊2500円なら上等じゃないかと、貧乏人2人はニコニコする。DIさんたちもこの近くにホテルを取ってくれていたので、シャワーを浴びて少し休んでから繁華街に近いDIさんのホテルに向けて出発し、合流したあとブラブラと歩き始めた。何を肴に酒を飲もうか、あれやこれやと花が咲く。広島お好み焼きで飲むビールも、本当に棄て難かったのだけれど、やっぱり瀬戸内の刺身も食ってみたいなという誘惑には勝てなかった。
 ここで判明したのが、4人ともに広島市内の飲み屋を誰も知らないと言うこと。でも大丈夫、今はフリーペーパーという画期的なアイテムがある。実はホテルを出る時に、隅っこに立て掛けてあったのを、ちゃんとゲットしていた。僕の地元のフリーペーパーを思い出しながら、どの店が美味そうか勘を働かせる。どこもそうだと思うけれど、だいたい当たり障り無い程度の店が並んでいる筈だ。と、信じて1軒の居酒屋を選んだ。

 時間はまだ6時になっていなかったけど入り口は開いてたから、だめなら追い出されるだけさと構わず入っていく。僕らの決意に畏れをなしたか、つまみ出されることもなくちゃんと席に案内してもらった。
 とりあえずと手当たり次第に頼んでみて、待ちかねている喉に「カンパーイ」とビールを流し込む。
「う・うみゃ~い」
 さあさあと、ピッチが早いが気にしない、どんどん飲んで行く。じきにデデーンと刺身盛りが届き、歓声があがる。640480
「いや~、生のシャコは初めて食べました」
 DIさんが目を丸くしている。僕は生の状態のシャコを見るのが初めてだった。知識としては、シャコって言うのは「オケラ」の親玉みたいな格好をしているのだ、っていうことくらいは知っている。しかし馴染みのあるのは、僕が時々行く高級寿司屋さんで、茹でられた?状態で、お皿にのって回ってくる姿の方だ。頭をつまんで、尻尾の方から醤油に漬けて、ドキドキしながら食ってみる。うん、仄かな甘みがなかなか上品で、瀬戸内とは思えない小癪な奴だ、褒美を取らせよう。
「頭は後でおみそ汁にしますから、別に置いといてくださいね」
 お店の人が更に畳みかけてくる、シャコの頭から出たみそ汁のダシの妄想が頭一杯に広がって、よだれが止まらない。
 次にシャコの横にあった白身の刺身をつまんでみる。くせのない、でもこれまでには食べたことのない味だった。
「これ何?」「あぁ、それは穴子です~」「あ・アナゴ~?」

 訊いてみたけど、やはり僕の得意な高級寿司屋さんで、茶色いツメをたっぷりと塗られてクルクル回っている、あの穴子くんだった。写真で言うと、向かって左にシャコが居て、その右側が穴子くんの刺身だ。
 珍しい肴で飲むと、酒が進むよね。DIさんが悩み抜いて選んだ日本酒がフルーティで、これまた岩ガキにピッタリとくれば、冷用酒は危険だと知っていても止まらなくなる。店の人も、僕らが殊の外上客かもしれないと思い始めたのか、冷用酒(ジャパン)が無くなる頃合いを見切って、間髪入れず次の注文を取りに来る。
 冷用酒の恐ろしさは、熱燗と比べてその口当たりの良さから量をたくさん飲んでしまうこともそうだけれども、本当の恐ろしさは、飲んだ後腹の中でお燗されることにある。つまり、熱燗なんて燗している間にある程度アルコール分が抜けているんだけれど、冷用酒の場合アルコール分は全部残ったままで体に「ヨロシク」って入ってくるわけだ。しかも、熱燗に比べて酔いの回りが遅い(ような気がする)分、この夜みたいに飲むピッチが早いと、酔っ払ったと気付いた時には大量の冷用酒が体の中で大運動会を始めているのだ。
 このままだと危険なので、途中から芋焼酎を瓶で注文して、気付くとその焼酎も空になっていた。僕は2人の現役相手に「三島由紀夫はぁ~」とか「イージス艦事故はぁ~」とか酔狂を切っていて、KHはと言うと、すこぶる上機嫌に意味不明の独り言を続けていた。結局日付が変わるまでこの店で飲み続けたのだった。最後の方にお店の方から「サービスです」とか言って何か持ってきたのは覚えているけれど、何を持ってきてくれたのかなんて覚えちゃいないから、もうぐだぐだに酔っ払っていたに違いない。DIさん、Aさんごめんなさい。それにしても、6時間以上たらふく飲んで食ってして、4人で4万円を超えていなかったのは、何という奇跡、良心的な店なんだろう!!

 ここだけの話だけれど、DIさんがトイレに離れた時にAさんに訊いてみた。
「学生時代、DIさんって怖かった?」
 Aさんはコクコクと頷いて、一度トイレの方を見た後で
「今でも一緒にいると、背筋がシャンとするくらい緊張します」
と笑った。うーん、TACネームに偽り無しってところか。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴02

だから男たちは大和なんだって!

 携帯電話という不幸なアイテムも時には役に立つもんだと、携帯電話を持ってキョロキョロ見回しているDIさんを発見したときにはそう思った。全く現金なものだ。
「この前はお世話になりました」
 といってDIさんの顔が子供のように弾けると、なんだかんだで400キロちかく、4時間の道程が報われたような気がして、僕もホクホクと踊りだしてしまう。僕の血圧を上げた罰としてずっと運転手をさせてきたKHも、さっきまでモズに捕まって電柱の先っちょに突き刺さっていたカエルみたいな顔(どんな顔だ?)をしていたのに、なんだかすっかりニコニコしちまっている。DIさんと一緒に来てくれたのは、元C1乗りで今は防府基地の教官をされているAさん。DIさんが教官時代の教え子だったそうな。見ただけで誠実さが滲み出しているようなAさんなんだけど、ひとたび教官に戻れば鬼になるんだろうなぁ。

P1000030  実はこの大和ミュージアム、僕は2回目でKHは何と3回目だ。時間の都合で、前回どうしてもゆっくり出来なかった所を、今回のんびり見て回ろうかと思って出掛けたわけだが、中に入って一寸その思惑が外れてしまった。というのも、ボランティアの人が館内のバスガイドさんのような役目を受け持っていて、20~30人くらいを連れて何箇所かで説明している。それはそれで意味のあることなんだろうけど、集団が固まって立ち止まったり、一斉に動き出したりしてかなり鬱陶しい。ゆっくり見て回ろうと思っていても、先で集団が立ち止まっていれば、その部分の展示物は全く見られないし、一旦先回りして集団が動いてから戻って見直そうとしても、ゆっくり見ているうちにまた新手の集団に取り囲まれてしまう。結局僕は、ストレスで血圧が38くらい上昇した辺りで諦めて、次の零戦なんかが展示しているコーナーに移動した。前回はそんなこと無かったのに、夏休みだったから特別にこんなことをしているんだろうか?う~ん大きなお世話っていうか、せめて集団と集団の間隔を20分くらい取るようにしてくれないかなあ。

 ちくと嫌なこともあったけど、でもまあいいや。何たって大和が見られたんだから。
 何て言うんだろうか、やっぱり男の子は大和を見てるだけでワクワクしてしまう不思議な生き物なんだ。ウチのかみさんにこの事を何十時間説明したとしても、絶対に理解してくれないだろうし、僕が最近出掛けている航空祭なんていうものにも、とんと興味を示さない。それはまあそれで、特に好きになって欲しいとか思ったりもしないけど、僕たちを惹きつける大和って何だ?と少しだけ考えてみる。結論なんて出やしないのだけども、確実に言えるのは、戦う道具だということだ。もしこれが、豪華客船の模型だったら絶対に来ない。わざわざ4時間もかけて行かない。たまたま近くを通りかかったとしても、入場料を払ってまで入らない。じゃあ僕は、戦争をしたくてしたくてたまらない人間なのか?自分ではそうじゃあないと思っている。でも戦う道具に惹かれてしまう。

 午前中は大和ミュージアムで過ごし、腹が減ったので近くのビルに入ると、どこも大入り。一番待っている人が少なかったステーキ屋さんに入った。
「わし、今日運転しなくて良いから、あの~ビール飲んでいいスかね」
 DIさんが控えめに、こう言った。勿論ダメだって言う理由もないから、即時にOKを出すと途端に、鎖から解き放たれた犬コロのような目になって、
「いや~、こんな時じゃなかったら、絶対に昼間っからビール飲むなんて考えられないスね。昼間っからビールを飲むんが夢だったんですよ。」
と、子供のようにはしゃぎながら、早速喉をゴキュゴキュ鳴らして気持ちよさそうにビールを流し込んでいる。横でAさんが少し羨ましそうな顔になっていた、と感じたのは僕だけだっただろうか?
 ニンニクたっぷりのサイコロステーキを食ってから直ぐ横の鉄のクジラ館を見て回る。DIさんやAさんからプチ情報を教えてもらいながら歩くと、一言一言に現役の重みを感じてしまう。
「いやあ、海自さんってこういう展示物やるの得意なんですよね」
 潜水艦のアンカーってこんな場所に付いているんだと、感心しながらDIさんが笑った。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴01

夏の子供

 朝は4時半過ぎに目が覚めた。勿論、もっと遅くまで寝ていても良かったのだけれども、どうにも間が持たなくなってしまって、エイヤと思い切って布団から起き出したわけだが、まだ5時にもなっていなかった。約束は6時半にひとつ先のインターチェンジなのだから、せめてあと30分くらいは布団で過ごせば良かったと考えるけど、身体がもう許してくれないのだから仕方ない。
DIさんが防府北に転勤したのが7月の頭で、1ケ月と23日めの朝だ。

きっかけは僕のつまらないメールから。丁度その1ケ月前、仕事に追いまくられて「夏の子供のように遊びたい病」にかかっていた僕は、憂さ晴らしのためDIさんに「呉で大和を見てから、KHと一緒に防府へ酒飲みに行ってもイイっすか?」って聞いてみた。するとソッコーで返事がきて「自分も大和見たいので、大和ツアー参加します(^o^ゞその後広島辺りで酒飲みませんか」とご機嫌な中身、僕は1も2もなかった。
 人間やる気が出ると、そりゃあもう考えられないくらいの、自動車でも担いで走り回ろうかくらいの、馬鹿力が出るのだということがハッキリと判る。目の前の仕事はあっという間に消え去って、替わりに洋々たる夏休みがやってきた。(…と言っても土日の2日間だけだけど)

 さあて…と部屋の中を見回したとて準備はできてしまっているし、不安の種は朝寝坊大臣のKHだけ。5時半を待って電話を架けたら案の定爆睡中で、僕の血圧を38くらい引き上げた。

 こっそりと秘密の駐車場に車を停めて、インターの中の駐車場に荷物を持って入り込む。高速隊のパトカーが睨みを利かせる車庫前を通って行くと、早起きの警察官が不審そうにこちらを見るから、エヘヘと愛想笑いをかまして「ここで待ち合わせなんですよ」と逆に開き直ってみる。これが効いたのか、まだ寝惚けて回路が繋がってなかったのか、それ以上の追及も受けずに(まあ、追及されても待ち合わせ以上の答えは無いんだけどもね)隊舎前をトットとスルーしてKHを待つ・待つ・待つ… 。僕の血圧を更に38くらい押し上げた辺りで、やっとKHの姿が見えた。

 よさこいの前に暫定2車線が解消したばかりの高速道路は快適だった。2人で3枚のETCカードを、100キロごとに料金所を出て抜き差しする。勿論、通勤割引の魔法を有効にするためだ。せこいようだけど、かなり安くなるから貧乏人としては、背に腹はかえられず…このくらいの手間は仕方ないさ。

 大和ミュージアムでの待ち合わせ時間は10時だったけど、朝イチの躓きが響いて30分の遅刻。途中DIさんに連絡を入れていたので、僕らの調子に合わせながら来てくれてたみたいで、そんなに待たせずに済んだ。

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帝王学

 中学生の時だったか高校生の時だったか、友人のAがこう言った。

「なあ、帝王学って判るか?」

 当然、僕は知るはずも無く、人の上に立つ者としての術を身につけることだとか答えたと思う。するとAは期待どおりの答えに満足したのか、チッチッチっと人差し指を振って見せた。

「ばーか、いいか?そんな2流、3流の話じゃないんだ。本当の帝王学って言うのはな、・・・」

 Aの語る帝王学っていうのはこうだ。

 帝王学を身につけさせられる者、判りやすく言えば例えば昔の皇太子殿下とかの身分にある人たち。幼いころ、お庭を散歩中にふと池の方へ向かわれた。するとお付きの侍従たちは何をするか?ただ黙って殿下を掴んでくるりと向きを変え、違う方向へと歩かせる。また向きを変え池に向かったとしても、やはり同じことを繰り返す。決して「池に落ちると危ない」とかを殿下に教えたりはしないのだそうだ。彼らはひたすら殿下に危ない思いをさせない、つまり恐怖を感じさせないことに全力を注ぐのだそうだ。

 こんなことをして何になるのか?当然、当時の僕もAに尋ねた。そして、その答えに愕然としてしまった。

 人間というものは、危険な思いなどをしないで育っていくと、やがて感情が欠落して行き、例え国家の存亡の危機に際しても、恐怖などを知らないので、平然としていられるのだそうだ。まあ確かに一理あるような気がする。ピンチの時に上がオタオタしていたら下の者はたまったもんじゃあない。うすら馬鹿でもいいから、ボーっと落ち着いていてくれたほうが良い。

 さて、何でこんな話を始めたかというと、少し前になるけれど学校の天窓から小学生が落ちて亡くなったっていう事故が報道されて、この話のことを思い出したってわけだ。

 この亡くなった子供さん個人に対して、どうこうという話をするつもりは全く無い。

 この他にも子供が犠牲となった事故に際して、僕が一番違和感を感じるのは、報道の姿勢。

 池に子供が落ちて亡くなった、この池の管理はどうなっているのか!

 天窓の管理は、引率の者の責任はどうなっているのか!

 等‥

 全く同じ論調ではないか?それぞれの事故は、確かに可哀想だし、同じ事故が再び起こらないようにするべきだとは思うけれども、誰かを責任追求して正義ぶるっていうのは、いかにも勧善懲悪好きのマスコミっぽい話だ。一番肝心な話を誰もしたがらないから、ますます問題の本質が見えなくなってしまう。いや、答えは皆判っている筈だ。

「池で遊ぶと、落ちて死ぬかもしれないよ」

「天窓っていうのは、薄く作っているから落ちて死ぬかもしれないよ」

 僕らは侍従を引き連れているわけではないのだから、危ないことははっきりと

 あ ぶ な い か ら や め ろ

って教えないと判らない。日本中恐怖心を持たない、無茶ばかりする人間だらけにして一体どうするつもりだ?庶民は自分の力と知恵で生き抜いていくしかないのに、先に言ったような帝王学ばりの人間を育ててはいけない。

 亡くなった子供の親御さんにはとても酷な話だけれども、他の親御さんはちゃんと今回の事故を受けて、子供さんに教えるべきだ。マスコミの言う「管理体制云々」の話だけではこのような悲惨な事故は無くならない、絶対に。

 危ないことを危ないって教えられていない者に、自制しろって言っても判るわけないよね、だって帝王学を身につけているんだから。

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期待すべきこと

 仕事にかまけていたら1ヶ月も経ってしまいました。

 最近うんざりしていることは、例の秋葉原の事件報道。放っておけば次から次に怪しげな情報と無責任なコメントの垂れ流し。犯人の過去をほじくって、あーでもないこーでもないとやかましい。まあ、あれだけのことをしたわけだし、本人も望んでいたようだから、ある意味マスコミが本人に成り代わって、その願いを完成させているわけだ。

 しかし、節操の無いコメントの中で、ずば抜けたアホさ加減を見せてくれた人たちが各局に居た。一番馬鹿だと思ったのは、T○Sお昼の「ピ○ポン」どーしようもない。福○とかいう奴は「警察官は何故もっと早く拳銃を使わなかったのか」とか、もっともらしいことを言っていたが、少しだけ考えてみてほしい。何百・何千という360度無関係な人が取り囲んでいる中で、拳銃をぶっぱなせってか?バーカ。そこに元捜査一課長とかいうおっさんもいたよな?何て言ったっけ「警察官は、とにかく拳銃を使わないように教育されているんだ」とか?意味が解らん。ちゃんと人の少ない路地に入って拳銃で威嚇したんだろ?使っているんじゃないか。

 少し考えれば解る事を、感情で処理しようとするから馬鹿丸出しになってしまう。自分もそうならないように気をつけよう。ついでに加藤のようにもならないように。

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マスコミってやっぱり横暴

 山に食い物が少なくなったからといって、猿どもに

「あそこへ行ったら少しは食い物があるぜ。あいつらは俺たちに食わせないで、自分らだけは良い思いをしているんだぜ」

とけしかけている奴らがいる。

 昔から「貧すれば鈍す」というが、奴らは決して貧してなんかいない。貧しているのは、奴らにけしかけられている猿だけで、猿をけしかけることで奴らは「民意だ」とでかい面をし、スポンサー様からたんまりエサをもらっている。

 しかし待ってくれ、本当にそうなのか?奴らに猿踊りを踊らされているだけで本当に満足なのか?奴らに猿扱いされて悔しくないのか?かつて奴らは「大本営発表」の名の下、散々猿踊りの笛吹きをしていた過去があるじゃないか。当時と今は違うなどと言うかもしれないが、昔の「大本営の意のまま」というのは、所詮今の「視聴率マンセー」に言い換えられるじゃないか。奴らの本質は何も変わっちゃあいない。正義の皮を被った疫病神でしかない。

 何をそんなに怒っているかって、う~ん実は前からだけども、今でいえば「自衛隊のゴルフ場問題」に対するマスコミの報道姿勢。

 マスコミの言っている問題が何なのか、自分にはさっぱり解らない。

 評論家の宮○哲○、彼なんかちったあまともなことを言う人だと思っていたが、何故だかこの問題は彼にとって許せない問題のようだ。某番組では「絶対に許されない問題だ」と言っていたが、その理由は言わなかった。言う必要がなかったからいわなかったのか?

 では反論する。

 先ず自衛隊施設には、どうしても空いている土地が必要になってくる。無駄だと解っていても、滑走路や弾薬庫、燃料庫その他諸々のすぐ傍に道路や民家を作るわけにはいかないし、作ればそれはそれで大きな問題になる(民間的にも、自衛隊的にも)だとすれば、その土地は永久に遊ばせておかなくてはいけないのか?基地の安全に問題が無ければ、当然何かに利用したって良いのではないか?

 次に勤務の特殊性がある。彼らの仕事は、戦争の道具は持っていても戦争屋ではない。ありとあらゆる理由をつけられて、国家の非常事態に備えている。この非常事態というものは、めったに起こらないから非常事態って言うんで、いつも起きていれば非常事態ではなく、単なる「常態」でしかない。「非常事態に備える」っていうことを、平和ボケした人間に理解させるのはかなり難しいと思うが、以前東京都で震度5強の大きな地震があった時、非常時には真っ先に駆けつけますよっていう理由で、かなり優遇された宿舎に入っていた職員の、待機当番の業務要員34人のうち、21人が参集しなかった問題のことを思い出してもらえれば良いはず。つまり、非常事態に備えている人間には、他の人間のような自由で幸せな家庭生活など与えられていないわけだ。そうは言っても、多分殆どは何も問題は起こらないし、ある程度自由に過ごすことも可能だろう。けれども彼らの心の中には、いつも「一旦事有れば」という重石があって、このストレスは傍が考えるだけでも相当なものだと思われる。もしこれがストレスに感じていないようならば、この時は声を大にして「絶対に許されない問題だ」と言うべきだろう。話が少し逸れたけれども、つまり彼らは私たちのように無責任な休日を満喫できていないわけだ。どこかの総理大臣は、非常事態が発生した時にゴルフ場に居たために、対応が遅れたといってマスコミから非難されていたけれども、彼らにもそれと同じ状況がいつ起きても不思議じゃないことになる。このようなことにならないように考えるのがまともな組織ってもので、基地内にそういう施設を作ればいつでも非常時に対応できるし、お互いに安心できるじゃないか。そういうものを自分たちの力で作って、利用することのどこに問題がある?

 あと、子供の言い上げにしか聞こえないのが、その施設の利用料金が

「全く無料とか月に3000円とか考えられないですよね。私などは1回行けばいくら払います?」

というもの。じゃあ、あんたは休日妻から遠出を禁止されて、仕方なく自宅の庭にゴルフ練習場を自分の力で作った時、そこで練習する度に妻に対してゴルフ練習場に行くだけの料金を支払うのか?馬鹿じゃねえの?

 最後に可愛そうでならなかったのが、硫黄島基地にもゴルフ施設があるって言われていたこと。もう相手が反論しないからって、言いたい放題にもほどがある。自分も硫黄島には行ったことはないし、この先も行くことはないだろうけれど、間違いなく基地があるっていうことは、そこで勤務している人間がいるっていうこと。彼らは休日度に本土へ帰っているのか?知らないから言い切りはできないけれど、そんなことは有り得ないはずだ。何も娯楽の無い所で、休みだからって何をしろっていうのか?自衛隊員には人権は認められないのか?

 某前事務次官の問題があったのを良いことに、好き勝手言わないでもらいたい。ひとつひとつ挙げればキリがないくらい最近のマスコミの論調は、権力側が反論してこないことを見越して「単なる権力いじめ」に終始していて見苦しい。

 少しは自分の姿も反省しなさい。    

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大川村に捧げます

 前回書いたお爺からのこぼれ話、知り合いに話すと結構好評だったので、もっと無いかと探してみたのですが、今のところあれを越える話には行き当たっていません。

 まあ、元から有り得ない与太話だから、あれ以上のものを探すとなると、ただの法螺話で終わってしまいますよね。与太話の良いところは、話している本人はかなり真剣に話してるっていうところで、聞いている方は「何か可笑しな話だ」と思いながらも、まあギリギリ許している所だと思うのですが…

 さて、思いつきの話。

 さっきの与太話の続きにもなるのだけれども、もしも山奥でFA-18が民家と同じくらいの高度で捻り込みとかしているのであれば、飛行機好きにとっては

「ぜひ一度見てみたい」

って思いませんか?航空祭での派手なパフォーマンスも楽しいけれども、自分の目の高さに近い高度を飛んでいく飛行機って見たことないですよね。

 そこで思い付いたことがある。地元で騒音に悩まされている人には申し訳ないけれど、どうせやかましく戦闘機が飛ぶのであれば、1年のうち何回か限定で思う存分飛んでもらうってのはどうだろう?

 適当な場所があるかどうか判らないけれど、米軍と打ち合わせた上で会場のような場所を構えることができたら、きっと人は集まるし、その人たちが使っていくお金で財政的にもかなり潤うのではないだろうか?ついでに米軍に反対する左翼の人たちも大勢来るだろうし、その人たちには「安保の丘」のようなところを構えておいて、精一杯

「ヤンキー・ゴー・ホーム!!」

って叫んでもらって、ついでに地場産品をお買い上げ願って(笑)

 仮に1万人の人が集まって、平均5000円使ってくれれば、それだけで5000万円。この村の年間総予算が9億円程度なので、年数回行えればかなり財政的にも楽になるのではないかと思います。まあ何かと問題が山積みで、傍で私が考えるほどには簡単に事が進むと思わないのですが、村のホームページを見てみると、かなり苦しい台所事情のようで、大きなお世話ながら思い付きで書いてみました。このイベントならば、そんなに費用もかけないで済むと思われますので。

 もし、私の話が法螺話に聞こえるのならば、ぜひ一度航空祭の賑わいを見に行ってみてください。私なんか貧乏旅行を旨としているのですがそれでも、行けば1回で5万円くらいは使いますよ。

 500人足らずの人口で、1万人規模のイベントを開催するのはかなり難しいでしょうが、知恵を絞って頑張って下さい、その時には応援します。 

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スズメバチ飛んだ

 仕事の関係で山の中をふらふらしていたら、突然音に襲われた。

「ショルルグヴァガギャグェギェゴゥゥゥゥゥゥゥ…」

 目測、300メートル。

「あっ、FA-18」

 そういえば、ここってオレンジルートの真下だった。何年前だったか、A-6が墜落したダムの近くだ。しまったな~、もう1回飛んでくれないかなぁ~と意地汚くいつまでも空を見ていたが、残念なことにもう来てくれなかった。

       *       *       *

 次の日、もう少し東の方の山の川べりで用事をしていると、

「ショルルグヴァガギャグェギェゴゥゥゥゥゥゥゥ…」

 目測、200メートル。

「しまった~、何やってんだオレ」

 時間は午前11時半、昨日も大体同じ時間だったよな。

 …っていうわけで、今日こそはと、双眼鏡を用意して、携帯のカメラも立ち上げて同じ時間待っていました。待っていました。待っていました…。

「何で来ねえんだよ!!」

       *       *       *

 話によれば、ずっと山奥に行けば、限界集落の民家の直ぐ横を飛ぶこともあるらしいから、今度調べておいて行ってみよう。何でもパイロットの顔がはっきり見えるとか、手を振ったら振り返してくれただとか、どう考えてもありえないような話が、この辺りにはゴロゴロしている。割とこの手の与太話は嫌いなほうじゃないので、自慢げに鼻の穴をおっぴろげて話してくれる土地の爺さんの、見てきたような嘘話をニコニコしながら集めてみました。

「あの米軍の戦闘機いうたら、やかましいだけじゃないき。もう、あれが飛んでいった後いうたら、いっぱいゴミが落ちちゅう。わしも一回だけ見たけんど、飛びながら窓を開けて何か捨てよったが、&+$*#…(とても、恐ろしくて書けません)」

「雪の中、山に行っちょったら、急に来てのう、いきなり機銃を撃ってきたがよ。わしゃあもう、生きた心地がせんかったきに。雪の中にやられた振りをしてうつ伏せになって、おらんなるまでじーっとしちょったわや」

 うん、飛行中に窓を開けてゴミを捨てれる構造になっていたとは知らんかった。さすが米軍機は凄い!(一体何と見間違ったのだろう??ちょっと、この爺さん電波法違反の気があったのかも)しかし、山中で実弾訓練をしていたとは許せない。しかも人に向かって!!(いえいえ、多分この爺さんは、急に戦闘機に出くわしたものだから、大戦中の記憶がフラッシュバックしてきたのでしょう)

 とまあ、こんな話がザクザク出てきます。興味のある方、一度オレンジルート探検に出掛けてみてはいかがですか?

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DIさん VS

やっと、やっとGW終わりです。

ず~っと仕事でした。

みんな楽しかったのでしょうね。

 仕事はまあ仕方ないし、一般道が混んでいるのも仕方ないとしても、高速道路の素人さん方はもうちっと何とかならんのだろうか?狂ったように走るのはまだ「好きに一人で死ね」と思うくらいで済むけれども、ナンバーがみえなくなるまで競りついてくるとか、下りのカーブで、人の車を追い越した途端に直前でブレーキ踏むとか言うのは、ちょっとこちらの命にもかかわってくるので、本気で怒りマークが浮いてきます。

 車が多いと、バカな運転をする人間の絶対数が増えているので、みなさん気をつけましょうね。ハンドルを握るという責任感を、権利だとはき違えているような人ほど、きっとそのことに気付いていないのでしょうが…。

     *     *     *

Di  さて、先日DIさんが来てくれました。夜中にフェリーに乗って、その後ひたすら沖縄の風とともに(バイクのナンバーが沖縄ナンバーです)やってきました。途中、そそのかして、鍋焼きラーメンなんてものを食べさせたりもしましたが、午後2時過ぎに無事到着しました。(余談ですが、お土産に戴いたマル秘DVDは、もう感涙ものでした)

「夕べ2時間くらいしか寝てないんですよ」

と、さわやかな笑顔で弱音を吐くものだから、つい優しい気持ちになって、飲み会の始まる夕方までホテルで休憩させてしまったのですが、これが後で考えてみると大失敗の始まり。悪魔に復活の時間を与えてしまったのです。

「いや~、隊の者にも、今日は1対3(ワン バイ スリー)だから帰って来れないかもしれない、なんて言ってきましてね」

 DIさんは、名物の塩タタキを口に放り込みながら、さりげなく予防線を張って僕らをおびき寄せるのです。人間一度でも仏心を出してしまえば、どうしても攻めきれなくなってしまい、ふと気付くと僕ら3人はまんまと悪魔の術中に陥って、どうしても挽回できないほどにベロベロに酔っ払っていました。いや~恐るべし。おまけに、

「今度は鉄砲玉を何人か連れてきますから(越後屋笑)」

なんてサラリと言ってのけられたりして…(恥)

 ところで、先日閉店と書いてしまった居酒屋さんですが、体調を崩して休業中だったとのことです。本当に失礼なことを書いてしまいました、本当にごめんなさい。訂正させていただきます。早く元気になって、また僕らを酔っ払わせて下さい。

 そういえば、DIさんから

「今年の新田原航空祭、自分が転勤したとしても、絶対に302会には出て行きますから、絶対に来て下さいね」

と、強く念押しされてしまいましたので、またツアーを組んで押しかけます。301の皆々様どうか今年もよろしくお願いします。

     *     *     *

 今年はどんな出来事のある年になるんだろう。CFさんにも「百里に行きます」って約束しているけれど、航空観閲式とかあって忙しいだろうし、航空祭はないし。平日に行ってRFに乗せてもらおうかな?茨城空港が開港したら直接行けるんだけど、まだ2年くらい先の話か~。羽田まで飛行機で、その後JRで行くことになるよね、やっぱ。他の者とうまく日程の調整がつけば良いけど。あ~何か初めての場所って、勝手が判らないから不安でしょうがない。こんな時にA型の血がうらめしく思う、Bがうらやましぃ~(笑)

 百里と新田で、予算はどのくらいいるんだろう?とりあえず、へそくりは10万円しかないぞ!っと…。ちゃんとしたことは、別の日に考えよう。

 では、皆様おやすみなさい。

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やむを得まい

 ひと時の安堵の時期が過ぎて、たちまち熱湯の中へ叩き込まれるような気分ですね。

 もちろん、ガソリン価格の話です。

 皆さんも愛車のガソリンタンクを「満タン!」にして、明日からの超値上げに備えていることでしょう。もちろん私もその一人です。

 さて、今回の暫定税が中断されている間、じつによく見かけた顔があります。そう、私がよく遊びに行っている宮○県の知事、かつて「そ○○○ま東」と呼ばれていた人です。その方を含め多くの知事さんが、今回声をからして訴えていたことは

「まだまだ地方には道路が足りないんだ。だからこの暫定税を廃止するだとか、特定財源を一般財源化するなどということは認められない」

とか言うものでした。でも、はたしてそうなのでしょうか?本当に高速道路や通り易い一般道路ができて、地方、特に私が住むど田舎県と都会との格差を少なくすることができるのでしょうか?

 私はそうは思いません。都会と結ぶ時間が短くなれば、活動力の多い若者は、さらに気軽に出かけていってしまうと思うからです。不便なればこそ、いやいやでも生まれた土地で暮らしてきた人が多かったのではないでしょうか。明治維新から続くこの国の都市部への人口の流入、そして現在地方で発生する限界集落の問題、これらが総て便利な道路が出来たせいだとは言いませんが、原因の一端にはなっていると思うのです。 不便であっても、かつて成立していた田舎の暮らしが成立しなくなったのは、やはり田舎が便利を知ってしまったからでしょう。つまり、田舎に豪気な道路を造るってことは、少子化・高齢化問題を加速させていくってことにならないでしょうか。

 少しだけ根拠があります。

http://www.pref.ehime.jp/050keizairoudou/060koyoutaisaku/00002141021211/kourei10.pdf

 これの、沖縄県の驚くべき数字を見てください。居並ぶ大都市を抱える県を押し退けて、なんと全国第2位(高齢化が進んでいないっていう意味で)です。これを見て政治家の方、まだそれでも「道路は地方に未来をもたらす」って言えますか?

 我が国では

「やむを得ない」

という言葉が使われますよね。先の戦争でも使われた言葉のようですが、また行き詰ってしまうまで走る続けるのでしょうか?地方の首長の方々、今こそあなた方が

「やむを得ない、あきらめよう」

と言う時ではないでしょうか?

 でもね、ガソリン高くなって良いことがあるのにも気がついたのです。

 最近妙にゆっくり走る車が多くありませんか?私もどうしても燃費を気にして走るものですから、最近やたらと出勤時間(家を出る時間)が早くなってしまって、そして、なるだけブレーキをかけたくないものですから、先の状況を今まで以上に考えて走っているわけで、危険察知力とでもいうのでしょうか、そんなものが上がってきているような気がします。

 この状況が多くの人に浸透してくれば、ある番組風に言えば

「ガソリン高騰。こうして日本は平和になった」

とでもなるのでしょうかね。本当にこうなれば、私は多少高くなっても我慢しますがね。ただ絶対に嫌なのは、地方のエゴに振り回されて金だけ吸い取られていくっていうこと。

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亡霊(ファントム)たちの宴 026

あとがきにかえて
 
 これで亡霊(ファントム)たちとの話は一旦終了です。長い独りよがりに付き合っていただいて本当にありがとうございました。書き始める前のつもりでは、最初の航空祭で隊舎に招いてもらった回で終了予定だったのですが、生来の計画性のなさ、行き当たりばったりで生きてきた性分から、ついつい調子に乗って心の赴くままに書き連ねてしまいました。
 あと、この話を書き始めてから判明したのですが、残念なことに、この話の主な舞台となった居酒屋さんは、今年に入って閉店されてしまったようです(DIさんから教えてもらいました)……というわけで、今年以降の航空祭の前夜祭(302OB会)があるのかどうかも未定の状態です。もしこの後も、続いて出席できるようなら、気持ちの良い漢たちの続編を書いてみたいと思います。
 最新情報としては、今月末にDIさんが遊びに来ます。迎え撃つメンバーは、最初の新田原出撃者(ファーストメンバー)であるKH・MKの3人。DIさんはひとりで来るので、多人数を呼んで一斉攻撃してしまうと轟沈してしまって帰れなくなると大変だから(戻ったその夜にも飲み会が待っているようです)少人数で迎える代わりに、地元の幻の超有名店?とてつもない異骨相(いごっそう)の親父が待ち受ける店を予約しました。脂の乗った時期をやや逸してしまいましたが「塩たたき」が名物の店で、以前NHKの「ためしてガッテン」で紹介されていた店です。興味のある方にはお教えしますが、色々しつけに厳しい店なので、下手をすると異骨相の親父に泣かされます。あまり様子の判らない人にはお勧めできません。
 最後に、このブログを始めるにあたってCFさんが教えてくれたこぼれ話を紹介します。

その1
 ある飛行場での出来事(何処とは言いませんが)登場人物はM君としておきましょう。いつものように颯爽と乗り込んだ愛機(本当は決まった機体はないらしいですが、あくまで雰囲気で)離陸準備を整えて、やって来ましたラストチャンス。
    ブーン、ブーン
 今日は何だかインカムに雑音が混じるなあ。なんだよ人がせっかく気分良く飛び立とうとしている時に。
    ブチン
 M君が気付いた時、何故か衛生隊のベッドの上。聞けば凶悪なスズメバチが入り込んでいて、離陸直前にM君を刺してしまったためにこの有様と相成りましてございます。
 
その2
 これもM君の話、忌まわしいスズメバチ事件の記憶も薄らいだある日のこと、すっかり元気になって、でもスズメバチだけは許さないぞと意気込んで乗り込んだ愛機(だからそんな物無いって)
    ???
 何か物足りない、何だろう。天気はこんなに良くて、絶好のフライト日和。頬を撫でていく風が髪を揺らす。やめてくれよ、ヘアースタイルが乱れるだろう。
    ヘアースタイル???
 途端に罵声が飛んできて
    馬鹿野郎、その頭で上がる気か!!
初めてヘルメットを被っていないことに気づいたM君でした。
 
 ……本気にする人がいたらいけないので断っておきますが、この話はヒントだけもらったもので、殆どが僕の妄想です。見てきたような描写・台詞は総て創作で真実ではありません、悪しからず。
 
 
 この次は地味な小説でも書いてみようかと考えていますが、まあ暫く気が向くまではポヤポヤしています。特別編でDIさんとの宴を挟むかもしれません。期待している人は少ないと思いますが、時々は今後ともよろしくお願いします。

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亡霊(ファントム)たちの宴 025

3 そして、亡霊(ファントム)たちの宴(弐)
 宴会は絶好調で進んでいく。百里からはCFさんの代わりに来ていたM山さんが、ひっちさんに捕まっている。いつものようにジャパン(日本酒)がコップで飛び交い、今回は302飛行隊から来ていた〇〇さん(本人の名誉?のために伏せ字で)が集中攻撃を受けて、最終的に自衛官の初被撃墜者となった。また嬉しいことに、PYさんとの再会も果たすことができた。僕らが沖縄へ出動する少し前に転勤になって、301飛行隊に来ていたのだ。約2年8ヶ月前、先代のこの店で飲んでいた時
「今度は沖縄で、泡盛勝負をしましょう」
といって別れて以来だった。約束通り、沖縄へ勝負しに行ってたんですよと酒を注ぐと、弾けるような笑顔を返してくれた。そして、沖縄での話をしていてGGくんの話が出ると、やにわに携帯電話を取り出して、
「お~いGG、今何しとる?暇か?飲んどるんから来んか。ぶっ飛んで来たら30分で来れるやろ」
 う~ん、僕も後輩に「飲んでるから今すぐ出て来い」て電話したことはあるけれど、さすがに海を越えて飲みに来いって言ったことは無かったなあ。勿論、冗談だけど(冗談に聞こえないところが、チト凄い)
 PYさんの横で飲んでいたBMさんも、今年の異動で沖縄から来られた人。何とF-22が沖縄に来ていた時に行われた模擬空中戦にF-4で加わっていたとのこと。
「レーダーに映らないってことは、本当にもの凄いことなんですよ」
 BMさんから、話しても問題ない範囲でステルス機について、僕の猿のような脳みそでも判るように説明してもらった。つまりあれだ(ここから先は僕の勝手な解釈によるもので、BMさんの言葉をそのまま伝えるものでは無い)レーダーに映らないってことは、肉眼で確認するしかないのだけれど、その肉眼で確認できたとしても機械の方は依然認識できていないので(だってレーダーに映っていないのだから)ロックオンすることが出来ないって理屈だ。ミサイルで相手を捕らえることができない訳だから、本当に性質が悪い。命中精度を上げるために、これまで心血を注いで開発してきた追尾型の近代兵器を根底から馬鹿にしているわけで、相手はもう当てずっぽうでミサイルを撃つか、機銃で反撃するしか手がなくなるわけだ。これは凄い。
 2年ぶりのEMさんは、全く異なる仕事に手を焼いているらしく
「毎日毎日、パソコンと向きおうて夜中まで。ずーっとですわ。ほんま気ぃ狂いまっせ」
とぼやいてばかり。独特のEM節は健在だが、なかなかストレスを溜め込んでいるようだ。性格を考えてみると、デスクワークは辛いものがあるだろうな。
 DIさんが来年以降の引き継ぎをしてくれる。
「皆さんはもう、この302OB会の名誉会員ですから、私いなくなっても必ず他の者に引き継いでいきますんで、絶対に続けて来てください」
 PYさん、BMさん、ZTさん、IIさんたちに来年以降のことをくれぐれもお願いしとかないと。
 その後も宴は続き、僕らひとり一人が幸せに包まれて宿に戻ると満天の星空で、明日の航空祭の天気を保証してくれていた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 024

2 そして、亡霊(ファントム)たちの宴(序)
Photo_2  この年は基地開設50周年だったようで、これに伴う記念式典などが前日から行われていた。今やすっかり時の人になった知事が、みょうにペコペコしながらジープに乗って場内を回っている姿は、式典の緊張した空気の中にあって異質さを醸し出して、さすが芸人魂は消えずってことかと何か笑えてしまった。昼食は勿論「お〇さかや」で、今回のチキン南蛮大の挑戦者はK内くん。小柄な割にペロリと平らげて涼しい顔、うーん、手前でモーニングのトーストを食わせてなかったのが失敗の原因か。
 いつもは10時ころから始まるブルーインパルスの予行飛行は、今年は午後から。これを見て、風呂に入って体勢を整える。
 
 いつもの店に午後7時に着くように出掛けると、もう顔馴染みとなった皆に暖かく迎えられる。その中にEMさんの顔を見つけた。2年ぶりの笑顔は、少し白髪が増えたものの(まあ、これはお互い様だけど)元気そうでホッとした。そして沖縄で八Fくんが「EMさんのラストフライトはもの凄かったですよ」と話してくれたことを思い出した。もうこの話だけで、僕はその場に居たような気分になる。
 きっと「おらおらおらおら~!」とか叫びながら(心の中で)脚が浮くと同時に引き込んで、すぐに全開に突入すると、その地面すれすれの高度を保ったままで山に向けて突っ込んでいく(気分だけね、あくまでも)そして、ギリギリで引き起こすとズキャキャキャキャッと急上昇して、やがて機体が空の青に溶け込んで、轟音の名残を追いかけていく。
 こんな妄想をしながらEMさんと酒を酌み交わす。式典出席で少し遅れてきたDIさんを、今度は轟沈しないで待っていられた。
 そして、席に着いて間もなくのDIさんの口から
「私来年はいないかもしれません」
との一言。うーんいつ聞いても寂しい言葉だ。転勤は公務員について回ることだから理屈としては仕方ないのだけれども、それにしてもEMさんとDIさんは、最初に僕らを迎え入れてくれた人たちだから余計に寂しく感じてしまう。
 次の行き先については、まだ正式の話ではないので判らないけれど、本人はパイロットの教官を希望しているみたいだ。
「もう、ジェットのGはしんどいですわ」
 パイロットという職業は、はたで考えているほど楽でも華やかでも無いようで、飛行隊に行けば首にコルセットを巻いている人が居たりする。普通に考えてみれば、交通事故にでも遭ったのだろうかとか、武道をしていて痛めたのだろうか、などと思ってしまうわけだけれども、聞いてみればそんな理由からでは無く、単にF-4を操縦していて痛めてしまうのだそうだ。これを聞いて僕は「エッ」て思った。DIさんも「もう、体はボロボロですわ」と明るく笑うけれども、実際あの狭いコクピットの中では、僕らの想像の及ばない過酷な格闘が行われているということを知って愕然となった。ものすごいGがかかるという知識はあっても、実際にそれがどの程度のものかなんてことは所詮素人のお気楽な想像でしかなく、彼らのことを理解しようともせずに、単に見た目の格好良さ、轟音のもの凄さだけにシビれていたのだ。
 こんなことを考えていくうちに、次第に感じ始めていた航空祭・宮崎に来る次の意義ということの答えが見えてきた。
 ファントムが政治的問題を引き起こし、F-4EJとして日本の空に登場して以来30年以上が経過した。近代化改修が行われ、F-4EJ改として延命が図られてはいるものの老朽化は否めず、退役するのも時間の問題(F-X問題がごたごたしているから、もう少しF-4の雄姿を楽しめそうだが)となっている。残された時間、そんな彼らの生の姿を、彼ら自身を通じて感じ、見詰めていこうと決めた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 023

その10 新田原基地航空祭2007

1 さよならは別れの言葉じゃなくて
 話は前後するけれども、僕らが最初にお世話になった民宿のお父さんが亡くなった。教えてくれたのはDIさんで、知ったのは6月のことだったが、実際に亡くなられたのは春のことだそうだ。知らなかったとはいえ、お世話になりっぱなしだったのでお父さんに申し訳なく、遠く離れた地から遅ればせながら手を合わせた。
 僕らに楽しい焼酎の飲み方を教えてくれたり、絶品の地鶏焼き・チキン南蛮を食べさせてくれたりと、思い出せば数限りなく、何よりも僕らと301飛行隊の人達との橋渡しをしてくれたことは、一生忘れられないことのひとつ。

 
Photo  沖縄から戻るとすぐに各飛行隊は戦競シーズンに入り、先日案内してもらった八Fくんが第2編隊で出撃し、302飛行隊の戦競パッチのデザインはGGくんのものが採用されたとのこと。また、DIさんはこの夏から301飛行隊の飛行班長を拝命しており、どちらの応援をすれば良いのかハムレットの気分。結果は302飛行隊の優勝で幕となり、その時の話なんかを両方から聞かせてもらったりしてお得な気分を満喫して過ごす。そしてまた新田原ツアーを企画して、宿の手配・人員の調整を済ませたところで続いて事件がおきた。
 先ず岐阜で離陸しようとしたF-2墜落し、間もなく米本土のF-15が空中分解を起こした。これによりF-2・Fー15が相次いで飛行停止となって、日本の空の守りは我らがF-4が一手に引き受けることとなった。……と書けば格好良く、「イヨッF-4、日本一!!」とか合いの手を入れたくなるけれど、実際の当人達は本当に大変だったみたいだ。那覇の部隊は一部百里基地へ展開させられて、それぞれのF-4部隊が飛行停止が解除になるまでずっとアラートに就かされたからだ。要は24時間領空侵犯などに対応する体制を、F-4部隊だけで続けなくてはいけないってこと。このまま飛行停止が続けば、当然航空祭にも影響が出てくるのではと、僕としても経過が気になって仕方ない。幸いなことに、11月の20日ころには全部停止解除となって、やれやれと一安心。
 今回のメンバーは、去年に続いてのN川係長と、2年ぶりのK内くん。そして大の自衛隊狂である「ひっちさん」が加わった。ひっちさんは、本名H田さんなんだけれども、だれも本名で呼ばない。会社の中では、ひっちさんで通っている。理由は、最近はやりの3と3の倍数でアホになる芸人じゃあないけれども、ひっちさんに数を数えさせると、

「い~ち、に~い、さ~ん、し~ぃ、ご~ぉ、ろ~く、ひっち
と言ってしまうらしいからだ。僕は未だ聞いたことが無いけれど。
 実はひっちさんとは去年の新田原航空祭の時に会っている。一人で来ていて、ばったりN川係長と出会ったわけだ。ひっちさんの格好を見て、CFさんが
「う~ん、あの人はかなりのマニアですね」
と思わず唸ってしまうほどだった。まあこんなメンバーで、宮崎を目指すことになった。

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亡霊(ファントム)たちの宴 022

3 なんくるないさぁ~(お気に入りのひとこと)
 基地を出た僕たちは、ゆいレールで一旦戻り、「おもろまち」とかいうところでレンタカーを手配して首里城を見た後、ドライブがてら西側の道路を通って嘉手納基地へ行き、そのまま東側へ出てから南下してホテルに戻った。他にも行きたかった所はあったけども、時間の関係で割愛となった。これだけで、沖縄を語るのはおこがましいというか、馬鹿丸出しだからやめとくけども、とにかく島中に良い風が通り抜けていて、本当に気持ちが良かった。
 凄まじいなと感じたのは、米ちゃん関係の車。もう、 走りさえすれば良いという車の多いこと多いこと。フロントガラスがどう見てもビニールなんて車もあったし、ぐるりと回っただけなのに、3ヶ所で事故(全部米ちゃんがらみ)を起こしていた。こりゃあ地元の警察大変だわ。
 首里城周辺では、のほほんとした空気が漂っていたのに、嘉手納基地の近くでは、先に書いたとおり米ちゃんが増えてくるほどに、何だろう基地の町としての緊張感が増してくる。見た目だけで言えば、基地周辺はとても日本じゃないアメリカっぽい感じで、ある意味かっこいいのだけれど……。

Photo_3 とにかくお約束どおり、安保の丘から
「ヤンキー・ゴー・ホーム!!」
と叫べば、食べていたサーターアンダギーが喉に詰まって悶絶してしまった。あと何ヶ月か早く来ていれば、最新鋭F-22ラプターが見られたかもしれないんだけれど、この時はF-15すら姿を見せず、ちょっと寂しい気持ちで、悔しいからF-22のDVDを買って帰った。
 
 GGくんから「無事那覇に戻りました」とのメールが来たのは、午後4時半を回ったころだった。GGくんの「昨夜殆ど寝てないから、もうこのまま寝かせてくれ~」という本音がひしひしと感じられたが、ここは心を鬼にして飲み会に来てもらう。約束の場所は「うりずん」という、どういう意味なのか全く判らない名前の、しかし地元ではなかなか有名だというお店。GGくんがここを予約してくれていた。他に午前中にお世話になった八Fくんにも無理を言って参加してもらった。店は古いのだけれど、その古さが風格を伴った感じで、少し暗めの照明が雰囲気を演出している。
 大変だった空港の足止めの話を聞きながら、皆でワイワイと泡盛を流し込む。いつの間にか隣の席では三線が鳴り始めて、口笛・囃子声も加わっていかにも沖縄の宴会らしくなり、リンクして僕らのピッチもあがっていく。今回やみつきになってしまったのは、豆腐よう。納豆が全く駄目な身としては、それまで試してみようとすら思わなかったのに、勇気を出して爪楊枝の先にすくって口に運んでみると、これがもう泡盛との相性抜群で一発で気に入ってしまったのだ。爪楊枝をしゃぶりながら泡盛をあおっている姿は、あまり上品な姿ではないけれど、まあこの際いいじゃないか、気に入ってしまったのだから。
 酒と肴と良い友に囲まれて、沖縄の最後の夜は更けていった。
 
Photo_2 沖縄からの直行便は朝出発の分しか無いし、この便を乗り過ごしてしまうと2日後まで次の便が無いので、眠い目を根性でこじ開けて空港へと向かう。
空港まで来てくれたGGくんに見送られ搭乗手続きを済ませると、那覇に別れの挨拶をしようとデッキに出てみる。滑走路の端に黒コゲの飛行機が目に入った。ああ、僕らが来る少し前に着陸と同時に燃えた旅客機があったけど、これがそうか。
 2泊3日の駆け足の旅行だったけど、次はもっとゆっくりこようと思った。…でも、来年度那覇の302飛行隊が、茨城の百里基地に異動になるんだよね。そうなると、次に来るのは一体何年先のことになるのだろう。まあ、いつかきっとまたチャンスはあるよね、それまでサヨナラ、グッドバイ・沖縄。

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亡霊(ファントム)たちの宴 021

2 至福のひととき
 翌日も那覇はスコンと晴れ渡っていた。朝いちで「ゆいレール」に乗って赤嶺駅で下車、てくてく歩いて那覇基地の正門に辿り着く。そこで、GGくんから連絡先を聞いていた八Fくんに電話して、正門まで迎えに来て貰った。
 戦闘機乗りって人たちに対して、みんなはどんなイメージを持っているのだろうか。EMさんやDIさんなんかは割と僕の中では、イメージどおりの人で、武人のたたずまいを持った、いかにも「戦闘機乗り」って風の人なんだけれども、これまでに一緒に飲んだ人たちを考えてみると、けっこうそんなでもないな~という印象の人が多い。例えば、CFさんなんかどちらかというと普通の人、むしろ優男の部類に入るだろう(勿論見た目だけだけど)
 皆と話してみても礼儀正しく優しくて、僕ら以上に常識人ばかりだ。今回僕らを迎えに来てくれた八Fくんなどは本当に優男で、とてもF-4をブイブイ乗り回しているようには見えない。所作に芯の強さを感じるけれども、どちらかと言えばアイドル系の笑顔だ。
 昔読んだあ○つき戦闘隊(年がばれるけど)のような、腕利きだがはみ出し者の集団が暴れまくるといった世界は展開しない。最近戦争漫画が無いので、ついつい例えが古くなってしまうけども、○戦はやと(ほとんど伏せ字の意味がない)とかの明るさ、爽やかさがある。

355 隊の中を八Fくんの案内で、ひととおり見せてもらって(あんなことや、こんなことを詳しく書けないのが本当に残念だけど)滑走路へ誘導してもらう。そしてそこに待っていたのは、F-4ファントム355号機。うんうん、実は以前360号機に乗せてもらったけど、ある意味夢心地で、もっと色々と感じておけば良かった、と後悔していた部分があったのでそれを補おうと触りまくる。きっと八Fくんは不安だったろうな、こいついらん所触るなよって。機から降りると、そこへ3機のF-4が戻ってきた。順番に入ってくる姿を間近で見ていると、このままエアインテークから吸い込まれてもいいかもって思ってしまったのは僕だけだろうか?そんな僕の不穏な心を察してか、八Fくんに
「危ないですから、動かないで姿勢を低くしていて下さい」
なんてストライクな指示でたしなめられる。そう言えば、考えている事が顔に出やすいタイプだ、と他人から言われたことがあったっけ、反省反省。最後にPXに連れて行ってもらい、同僚へのお土産なんかをしこたま買い漁って、基地見学は無事終了した。

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亡霊(ファントム)たちの宴 020

その9 琉球の風

1 季節は巡り歴史は繰り返される
「なあ、沖縄へ行ってみんかえ?」
 同僚のKHに脳天気に話しかけると僕は、口をポカンと半開きにして、馬鹿みたいに晴れた空を見上げてKHの返事を待っていた。
 2007年春のことだ。

 KHが航空祭というものに僕を誘って、はや3年の月日が流れていた。美保基地へ行って雨に祟られて、築城基地には婚礼が入って行きそびれ、そして新田原基地に辿り着いたのだが、この時に別の宿を選んでいたとしたら、EMさんDIさん始め何十人ものファントムライダー達との出会いは無かった。いくつもの偶然が重なって301飛行隊の彼らと出会い、この偶然の輪は意外なほど広がって、今では302飛行隊・501飛行隊の人たちとも交流ができていた。この偶然の積み重ねは、これまでに書いてきたように、もう殆ど奇跡のような出来事で、僕の中では単なる偶然ではなくなっていた(でもやっぱり、偶然の重なり合いなんだけど)
 今回沖縄に行ってみようと思ったのは、そんな彼らのもう一つの空気、出身隊(前にも書いたけど、僕が最初に知り合ったのは、旧302飛行隊会の人たちだった)である302飛行隊を感じてみたくなったからだ。GGくんに頼めば何とかなるだろうと思ってのこと。基地見学の許可をもらって、9月の初旬に出発した。メンバーは、KH・MKのいつもの2人とY田夫妻の5人。Y田夫妻は、春に岩国の航空祭に行って良かったのでという理由で初参加。GGくんはこの時、北海道旅行に出掛けていたのだが、僕らに合わせて戻ってきてくれて、翌日に基地を案内して貰う段取りだった。070906070907

 ちょうど台風シーズンでひとつ接近中だったが、進む方角が違っていた。首都直撃コースをとっていたので、中央のテレビ局などは、この世の終わりが来るような報道を繰り返している。勢力から言えば大したこと無いのに、何いってんだかバーカ。対岸の火事よろしく、僕らを乗せた飛行機は、定刻那覇空港に到着した。天候は晴れ、気温は29℃とあまり変わらないが、日陰に入ると涼しく感じるのは気のせいなんだろうか?絶好調の僕らは、国際通りへと繰り出し、台風のことなどすっかり忘れきっていた。
 北海道と沖縄は、台風の影響など受けていなかったから、僕もGGくんも全く気にしていなかったが、その日の夕方から風向きが変わってきた。GGくんからメールが来る。空港に着き搭乗手続きをしようとしたところ、目の前で案内板がカタカタと変わって、飛行中止となってしまったとのこと。思わぬところに落とし穴があった。
 北海道と沖縄の間には東京があった~!!
 今ごろ気付いても、時既に遅し。明日の那覇基地の案内人が北海道で足止めを喰らってしまったのだ。慌てて東京に向けて、「バカにしてゴメン」と謝ってみたが、そんなんで許してくれる筈もなく、気を利かせてくれたGGくんが、明日の案内人の手配をしてくれた。
「明日の案内を八F3尉に頼みました。連絡先を添付します」
 美保といい、最初の新田原といい、やっぱり最初は雨や台風に縁があるのだろうか。そう言えばこの3箇所とも、KH・MK・僕が入っているから、この3人の誰かに(雨・台風が)憑いているのだろうか?
 台風は長い時間首都圏に居座って、結局GGくんは空港で夜を明かしたようだ。僕らはその間、那覇の夜を満喫していた。最初は「あかが~ら」という店を紹介されていたのでそこへ向かったのだが、まだ開店間もなくお客さんもいなかったが、「予約でいっぱいさぁ~」と断られてしまった。くそ~手前から予約をしておけばよかった。結局、交番で尋ねなんとかという店を紹介されたのだが
「何が美味しいですか?」
と尋ねたところ、
「さ~ぁ、私行ったこと無いので判りません」
だと。まあ、結局その店に行ったのだけど、うん、味はまあそんなに悪くなかったかな。

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亡霊(ファントム)たちの宴 019

3 ケロヨンという自我
 今年もまた、極上の青空とともに航空祭が始まった。
 12月という季節を感じさせない暖かさで、コート無しのまま出動する。しかしこの上天気の下、不幸のどん底の顔をした男が一人いた。その名前は勿論、中G。大飯喰らいが特技の男なのに、朝飯のみそ汁がやっとの体たらくは何とも情けない。去年の自分の姿をそのまま確認している訳だが、これが僕のどS心をくすぐってたまらない。「おえ」とか「うっぷ」とか怪しげな音を出す物体を、車の後席に押し込んで基地へと向かう。
 これまでは基地の南側が駐車場として解放されていたが、今年からは抽選の駐車券を手前に貰っておかなくては駐車できなくなっていた。去年は宿からタクシーで移動していたので、今年もそのつもりだったのだが、ラッキーなことにB地区という少し卑猥な響きを持った基地内の駐車券を手に入れることができたので、行儀よく誘導に従って駐車場に入り車を駐める。しかし、ここからが結構大変だった。基地内とはいえ、駐車した場所は滑走路の西の方で、301の隊舎までは目測で1キロくらいは軽くありそうだ。シートを広げてくつろいでいる家族、妙にハイテンションな一団、すっかりパイロットに成り切っている者、笑っている人、不機嫌そうな顔の人、泣いている子供。様々な人間模様の中をテクテク歩いていると、携帯にCFさんから連絡が入る。
「もうこちらの方に向かわれていますか?近くに来たら連絡下さい。あと、昨日かなり飲んでいた連れの人は大丈夫でしたか?」
「ええ、今その大男にムチを入れながら向かっていますから、あと少しで着けます」
 そして無事管制塔の前で合流できて、CFさんとその前で記念写真を1枚パチリ。更に301の前でDIさんとも1枚パチリ。この写真は今、職場の机にはさんで飾っている。
       *      *      *       
 僕の航空祭の楽しみの一つに、ずらりと並んだ売店巡りがある。通の人にとってこんなものは邪道なのかも知れないが、色んなものがあって見ているだけでも結構楽しいし、お土産で買って帰ると、あげた人にかなり喜んでもらったりもする。
 この基地の航空祭の楽しみ方は、2つに別れているようだ。というのも、ここの滑走路が東南東から西北西に向けて伸びているので、北側の売店や隊舎がある方向に居ると、せっかく飛んでいる飛行機を見るのに一日中逆光の状態で見なくてはいけないからだ。いわゆるこれまでの滑走路南側派の人たちは、この逆光を一切気にしないで済むので、これはこれで魅力的に感じることもある。もし、301に知り合いの人が誰もいなくなって、売店巡りにも飽きたときには南側で見せて貰おうかな。でも、何か素人がいきなり入っていきにくいイメージがあるから、やっぱり温和しく北側で売店巡りをしてようかね、身分相応に。
 人間には環境に適応する能力がある、ということを何となく感じ始めている。初めての航空祭の時に、あれだけ鮮烈に僕を打ち抜いていった轟音に僕自身が慣れ始めているということだ。勿論、あの体験は一生忘れないし、いつでも自分の感覚として甦らせることができる。そして毎回新田原に来る度に、楽しい思い出を作り続けているからこそ、こうして出掛けて来ているわけだ。しかし、この頃から僕は、最初の時の轟音を単に確認しにきているような気がし始めていた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 018

2 武士(もののふ)の詩(居酒屋編)
 昨年の予言通り、EMさんは大宰府に転勤になっていた。でも他の人たちは、元気に顔を揃えていてくれたし、少し前に大きな手術をしたDIさんも心配していたのだが、すっかり回復したようで安心した。Photo
 僕がDIさんにそっと耳打ちする。
「去年の失敗を繰り返さんように、今年はヒットマンを連れて来ましたき。2~3人道連れに死んで来いと云うてありますから、遠慮なく殺してください(越後屋笑)」
「え~と、明日フライトがある奴はチョッと勘弁してもらって、他の者だったらかまいませんよ、どうぞ遠慮なく(悪代官笑)」
 こうして楽しく話が纏まって、宴が始まった。

       *      *      *       
「いやもう、自分で自分が嫌いになりそうっす」
 もはや人間の動き方を忘れた中Gは、手足をミミズのように動かしながら、DIさんに話しかけていた。何がこの発言に繋がったのか、今となっては知る術は無いのだけれど、僕の携帯にはこの時の様子が生々しく動画で残されている。
 DIさんは大男にすがりつかれて困惑の表情で、僕は携帯の手前から
「中Gしゃきっとせえ、しゃきっとせえ」
と、馬鹿笑いしながら叫んでいた。Cel24

 例によって、お土産に持っていった日本酒の一升瓶を抱えさせて、中Gに突入を命じたのは、1時間くらい前だっただろうか。残念なことに、屈強な自衛隊員を道連れにするには至らなかったが、まあ十分に健闘したほうだと思う。
「男ならコップで勝負してこいよ」
 僕の命令に忠実に勝負を挑んでいった中Gは、全体の4分の3 くらいを回ったところで、前述の状態に成り果てた。所詮多勢に無勢だし、僕も最初から本当に勝てるとは思っていなかったから、中Gの健闘には心から惜しみない拍手を送った。
 CFさんが今年も百里基地から来てくれていて、こんな僕らの様子につくづく呆れ返りながら
「いやあ、去年と云い今年と云い、飲みっぷりが半端じゃ無いですね。すごいですわ。さすがに酒処ですけど、皆さんいつもこんなに飲まれるんですか?」
とのお言葉を、今年も戴いた。Photo_2

「呑むメンバーが良かったら、何ぼでも飲めるんですよ」
 と返事して、今年は大人しく焼酎のお湯割で良い子を決め込んでいる。
 仕事のこと、家族のこと、仲間のこと、愚痴にならない馬鹿話。
 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、竜宮城の浦島太郎のように果てしなく続けば、何百年も経っているのだろうか。もう午後11時を過ぎてお開きを迎え、トイレに篭っていた中Gを支えながら外に一歩足を踏み出した途端に、自立歩行の能力を失った酔っ払いは忽ち性質の悪い肉の塊と化した。
「ピシッとせんと肉屋に売り飛ばすぞ」
 ハッパにも反応は無く、何かの本能だけに突き動かされて、支えている上体だけで何処かへ向かおうとする。足は一歩も前へ出ていないのに、上体を右へ左へと動かすものだから、あっちの植え込み、こっちの植え込みと突っ込んでいく。笑いは取れるが、世話が焼けるのがちと面倒だ。うん、これも来年の反省材料にしよう。

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亡霊(ファントム)たちの宴 017

その8 新田原基地航空祭2006

1 武士(もののふ)の詩(チキン南蛮編)
 前回の失敗を踏まえて、今回は鉄砲玉を用意した。身の丈は優に6尺を越え、目方は30貫を越えようかという大男の後輩。名前は中G。どでかい豆腐に針でポッポッポッと穴を開けたような、褒め言葉で言えば癒し系の顔。他には僕の心の師であるN川係長。
 中Gには、出発前からじっくりと時間をかけてネジを巻いてきている。
「ええか、今回のミッションが成功するもせんも、お前の働きにかかっちゅうき。できたら2・3人道連れに立派に死んでみせえよ」
 遣り取りだけを聞いていたら、もう殆どその筋の方の会話である。
「勿論、只とは言わん。その前に旨いもんを腹一杯喰わしちゃうき」

 こう言って連れて行ったのは、知る人ぞ知る宮崎県なのに「おお〇かや」というチキン南蛮の名店(まだ、この時は食べていなかったけれど)。空腹状態で連れて行ったのでは面白くなかったので、手前でモーニングの超厚切りトーストを3人分食べさせている。Photo

「ここのチキン南蛮は有名やき、大を食べや」
 こう言って注文する。勿論他の2人は並である。ネットで見つけて、でかいっていうのは何気に理解していたつもりだったが、出てきたそれを見て肝が潰れた。中Gは「うっ」と言ったまましばらく固まって、やがてひとつ深呼吸したあと猛然と食べ始めた。
「これは、いかんですき」
 食べ終えた中Gは、溜息ひとつついてから
「絶対に遺伝子操作をしちょります。そうじゃなかったら、あのサイズは有り得ませんきに」
と文句をいったが、顔は満足げに脂ぎっていた。
       *      *      *       
 温泉に2回浸って、じっくりと晩に向けて心を高めていく。露天でN川係長と並び、僕が宮崎に辿り着くまでの偶然の積み重ねについて話していると、中Gが寄ってきて、また
「やっぱり、どう考えてもあの大きさは鳥じゃないですよ。ニワトリがあんなに大きゅうなるはずがないですき」
と蒸し返す。かなり気に入った様子だ。見上げた空はどこまでも青く、明日の航空祭も好天気が約束されたようなものだ。
 でも、その前に301飛行隊の皆様との「楽しい会食」という名の戦場が待っている。僕はこれから中Gの身にふりかかる事態を想像して笑い転げていたし、中Gはというと、これから自分の身にふりかかる災厄のことなど全く気付くことなく、巨大だったチキン南蛮のことを反芻して巨体を揺らしながら笑っていた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 016

2 結願
 その後の経過は順調だったようで、GGくんは無事予定どおり札所を回って最終大窪寺に到着した。後半は元気有り余ってか、予定時間を大幅に短縮し見せて、迎えに向かっている僕を慌てさせた。予備日を何日か残してのゴールインは、現役自衛隊員の実力をまざまざと見せつけられたようだった。
 旅の苦労話をGGくんから聞いてみると、何度か自転車のタイヤがパンクしたのは、ある程度計算に入っていたとしても、宿が無く、山門横のベンチやコンビニの駐車場で寝てみたり、お金が無くなって銀行へ行ってみると、カードが提携されてなくってひもじい思いをしてみたりと、うん、これだけでも十分に値打ちがあるし、旅の大変さが想像できるのだが、中でも
「焼山寺へ向かう途中にお店があって、もうそこまででも十分にきつい坂だったから、もうダメ休憩していこうと思っていたんですよ。そしたら、そこに何人か外人さんがいて自転車で登ってきた自分に向かってオゥ・グレイトとかナイス・ガッツとか言ってくるものだから、ここで休んだら男じゃないと思って、ついそのまま行ってしまったら、もうその先に休める所が全然なくって、この時だけは、くっそーヤンキーどもに嵌められた、って思いましたよ」
という話が、何だかその現場に居たみたいに伝わってきた。
 他にも話を聞いていくうちに
「到着の時間が遅くて、何カ所か御宝印を押してもらえなかった所がある」
ということが判った。場所を聞いてみれば、先程話しに出てきた焼山寺とその次の大日寺、後は大宝寺に岩屋寺の4ヶ所だった。まだ昼くらいで時間に余裕があったから、それじゃあ悔しいだろうと、取り敢えず焼山寺と大日寺を先に回って、明日残りの2ヶ所を回ることにする。
 車で走ってみて再認識したのだが、焼山寺に向かう道は、間違っても自転車で向かおうなんてことは考えないほうがいい。途中、GGくんの思い出話がリアルに差し込まれてきて、より一層具体感がハンドルを通して伝わってきた。
 う~ん、やっぱりあんたはエライ!!Photo_4

 思っていたよりも時間がかかってしまい、2ヶ所目はギリギリ間に合った。家に帰り着くとすっかり陽は落ちていて、納涼花火大会が始まっていた。丁度花火が揚がる延長線上にでかいマンションが建ったので、高く揚がった花火しか見えなくなってしまったが、それでもベランダから見物しながらのビールを飲む。次の日も回る予定があったので、この日は軽く済ませてゆっくりと休んだ。
       *      *      *       
 結局僕は、GGくんと一緒に都合10の寺を回ったことになる。勿論この中には、これまでに何回か行ったことのある寺もあるし、それ以外に偶然行くことになってしまった寺もいくつか有る。ただ、圧倒的に行ったことのない寺が多かったし、こんなことでもない限り、先のことは判らないにしても、行くことは無かったはずだ。
 こうしてみると、前回の龍馬関連の施設にしてもそうだが、僕は、地元に居ながら何もしないで先入観だけで納得している
「ただの怠け者」
だということに気付かされたわけだ。異文化コミュニケーションなんて言うほど極端ではないけれど、自分の周りで埃を被っていた珠に気付くためには、敢えて違った眼を持った人と付き合うことも大切なのだと気付かされた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 015

その7 へんろ道
 
1 諸行無常

 2006年7月のある日、GGくんからメールが来た。
「夏休みに、自転車で四国88ヶ所を回ろうかと思っています」
 お遍路さんは小さいころから割と身近にいて、風景の一部としての認識しか持っていなかったし、これから話すちょっとした事情があったので、実際に回ろうとする人間が身近に現れて少し戸惑った。そんな風に考えてみたことが無かったからだ。
 お遍路さんについては、幼いころに親から聞かされた言葉がある。
「お遍路さんは、色んな事情がある人達やき、優しゅうしちゃらないかんがで」
 子供にこんなことを言ってみても判る訳ない。当然訊き返す。
「どんな事のあった人なが?」
「病気を治そうとしゆう人やったり、わけがあって自分の家に戻れんひとやったりするがよ」

 今のように「自分探しの旅」などといったような、ブームで回っているものではなかったから、以来お遍路さんには少し負の陰を感じて見つめてきた。
 そんな僕の思い込みなど関係なしに、GGくんは実にあっけらかんと、自転車旅行を実行に移してきた。総行程約1400キロメートル。予備日を構えているとはいえ、10日程度で回るには1日当たり140~150キロメートルを走り続けなくてはならず、あまりにも苛酷なその計画に僕は無条件で脱帽した。だって、自転車の平均速度が17キロメートルといわれているけど、それでも8~9時間は走り続けなければならないし、これには当然山道のペースダウンは計算に入っていないのだ。いくら日頃から鍛えているとはいっても、このチャレンジが済んだ後にはまた通常の勤務が待っているわけで、日程に余裕があればまだしも、とりあえずGGくんを完走させるのが先決だと、僕のお節介心がムクムクと頭を擡げてきた。札所と札所の間が開く場所については車で手伝ってあげても、決してその価値を下げるものにはならないだろうと思った。
       *      *      *Photo_2       
   メールで途中経過が次々に入ってくる。焼山寺の登りで予想以上に手を焼いて、その後も少しずつ計画がくるってきたようだ。3分の1を回った所で、1日遅れとなっていた。
 待ち合わせの善楽寺前に着いた時、GGくんは日焼けで真っ黒 くなって立っていた。見ようによっては違う国の人みたいで、僕は一応よく確認してみて近寄って行った。
「いや~、もう思ったよりも手こずっちゃって」

 笑うと真っ白い歯が、より一層違う国の人感を演出する。僕は何だかそんな姿が愛らしくて仕方なく、ただもうニコニコしている。
 竹林寺・禅師峰寺・雪蹊寺・種間寺・清滝寺・青龍寺
 夕方までにこれだけを一緒に回り、その後は僕の家で気持ちばかりのお接待。GGくんは、やはりひどく疲れていたようで、早々にダウンして爆睡した後、次の日にかなり回復していたのは流石だった。僕はどうしても休めない仕事があったので、ここから先の助っ人をKHに頼んで、近くのインターチェンジで
「今度は大窪寺で待ちゆうき」
といって別れた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 014

2 轟沈

 DIさんは一旦顔を見せてくれたが、家族を送って行ってすぐに戻ってくるとのことで
「1時間半くらいで戻ってきます。先にやっていて下さい」
と笑顔で言って店を出て行った。
 ということで、先に
「かんぱ~い」
とコップを掲げた後、練習が足っているのですぐにビールを卒業して焼酎にした。僕の正面にはEMさん、右隣には百里基地から来られたCFさん、左側には毎年来ているという薩摩おごじょのべっぴんさんが座っている。去年彼女を見た時には、店の手伝いなんかをしていたので、最初はてっきり店の娘さんだと思っていたが、その後この店に毎年来ている人だということが判明した。
 座が盛り上がってくると、やがてEMさんが
「おーい、〇〇(名前)ジャパン(日本酒のこと)やれや。ジャパン」 
と若いライダーたちにけしかけて、僕らが土産に持ってきた地酒が、コップで回り始めた。勿論、冷やで。
 最初の内は対岸の火事で、見物よろしくお湯割りを飲んでいたが、いつのまにかこちらにも火の粉が飛んで来始めて、K内くんがコップできて、それを返すとまたコップで来る。これを何度か繰り返しているうちに記憶が途切れる。途中CFさんがビックリした目で、僕らの酒のやりとりを見ていた辺りが最後の記憶となった。
       *      *      *       
 汚い話だが、吐瀉物が無くなっても、吐き気というものはどうしていつまでも襲ってくるのだろう。久し振りに、若いころでもなかなか無かったような悪い飲み方をしてしまった。ここまで飲んでしまうと、次の日は当然味噌汁がやっとの状態。それでも根性で基地に向かうと、昨日来ていた301の人みんなから
「大丈夫ですか」
と、心配そうに(?まあ、半ば呆れられて)声をかけられる。
 DIさんは、
「いやあ、私ちょっとのつもりで家族を送って戻ってみたら、何かもうエライことになっていて、ビックリしましたわ。皆さんと一緒に飲める思うて楽しみにしとったのに」
と残念そうに言ってくれ、それがまた残念でならない。 
 百里基地のCFさんも
「昨日は本当にすごい飲みっぷりでしたね、驚きましたよ~。今日は体の方、大丈夫ですか?」
と心配してくれた。うん、自分でも判っている。こんな酷い二日酔いは誰のせいでもない、全部飲んだ自分のせいなのだ。
 基地祭の屋台で出ているせっかくの地鶏焼も、この日ばかりは一切受け付けない。いやあ、情けないったらありゃあしない。
 昨夜コートを汚しちゃったので、売店でフライトジャケットを買ったけど、割と暖かいから必要なかったかもしれない。基地の中を歩き回って、なるべく汗を出すようにして過ごす。こうなると、航空祭の楽しみも半減って感じで、来年からはもう絶対に無茶な飲み方はしないぞと心に誓った。

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亡霊(ファントム)たちの宴 013

その6 新田原基地航空祭2005

1 集まり散じて、人は変われど 
 じりじりと焼きつけてきた日差しの角が次第に柔らかくなってきて、生き物総てがほっと一息入れるようになると、僕の中で何かが動き始める。初めはこの衝動の正体が何なのかよく判らなかったが、やがてそわそわと落ち着かなくなり、ついには大声で叫びたくなる。
   宮崎が俺を呼んでいる!!
 気付けば、またあの民宿のお母さんの携帯電話へ架けていた。
「ちくと早いですけんど、また今年も宿をお願いしようかと思いまして」
 少し間が空いて、お母さんの声が曇っていた。
「春に来てもらったあと、体を壊して……今は宮崎市内の娘のところに居るんよ。店の方は親戚の者でやってくれる人がいるから、その人に頼んで続けてもらうようにしたんですよ。宿の方は約束しとったから、同じ金額で近くの知り合いの宿に必ず言うときますから」
 楽しみのひとつに、宿のお父さんお母さんと話すこともあったのに、残念で仕方がない。でもまあ、居酒屋さんは後を継いでくれる人がいるみたいだし、雰囲気はそんなに変わらないかなと、自分に言い聞かせて、お母さんの
「調子が良かったら、前の晩の飲み会に顔を出すつもりですよ」
という言葉を救いにして、何とか気持ちを整える。
       *      *      *       
 今回九州に渡ったのは、MK・K内と僕の3人。去年の到着が夜だったので、今年はもう少し早く着こうと、夜中の船に変更する。九州に着いても朝まで仮眠させてくれる船があったので、これに乗って渡った後、途中ブラブラしながら西都市にある新しい宿へ、そこで温泉に浸かって一眠りすれば、体もそんなにしんどくないだろうという完璧の計画。
 でも実際は、船の中の仮眠も、宿に着いてからの仮眠も殆どとれず(いや、時間は計算どおりあったのだけれど、頭が興奮して寝てくれなかったのが誤算)かなり体調の悪いまま飲み会に突入した。
 タクシーで基地近くの、前回までの宿である居酒屋へと向かう。店構えは同じだけれども、店の中を埋め尽くしていた色んなファイター達の痕跡が無くなっていたのが残念。やっぱり引き払う時にお父さんお母さんが記念に持って行ったのだろうな。妙に小綺麗になった分、中に漂う空気が寂しくなった。まあ、これからまた新しい店で、ファイター達が新しい歴史を一緒に作っていくんだろうから、僕はその傍観者として見守っていこうと思った。
 気が急いていたわけでもないけれど、少し早くついてしまったから、僕らは飲み会の練習を始めた。飲み会の練習っていうのは、僕らの土地では普通のこと。早く着いた者が、飲み会の時間つぶしに先に勝手に飲み始めてしまうことで、婚礼の時にある「ウエルカムドリンク」(もしかしたら、他の処では無いのだろうか?)みたいなものだと思ってもらえればいい。酒飲みの土地柄のせいで、余所とは違った風習があるから、どうするのが日本のスタンダードなのかがよく判らない。体調の悪いところへ、この練習がけっこう効いていて、本番が始まるまでにかなり出来上がっていた。
 ファントムライダーたちが集まってきて、EMさんDIさんに
「今年もお世話になります」
と挨拶をしたところ、EMさんが
「わし、来年ここには居れへんかもしれません」
と言った。ショックだった。

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亡霊(ファントム)たちの宴 012

2 鯨海酔侯
 その夜は、とびきりの旨い魚で痛飲した。……と言いたかったけれど、残念なことに日曜日だったので、良心的に新鮮な魚で商売している居酒屋はどこも休みだった。どこでもそうだろうけれど、もし旨い魚を食べたければ、市場が休みの日は止めておいた方がいいと思う。Photo
 仕方がないので、最初は「ひろめ市場」ってところへ連れて行った。ここは市場という名前だけれど、市場では無い。何十だかの店(魚屋、肉屋、蒲鉾屋もあるし、和食・中華などの各国の料理屋もある)が集まって、それぞれが好きな店で料理を買ってきて、設けられている場所で飲み食いするというシステム。まあここで飲むと、とにかく安くて腹一杯になって、ベロベロになれる。そして運が良かったら旨い物も食える。厳密な言い方での飲み屋ではないが、周りは酔っ払いだらけなので、遠慮無く酔っ払いになれる。真っ昼間でも酒を飲んでいるから「よごれ市場」とか呼ばれる時もある。近くに女子校があって、そこの生徒は先生から学校帰りにここへ立ち寄ることを、きつくきつく止められているらしい。
 この日は運が良かった。何と3人前くらい入った鯨の尾の身のパックが1000円で手に入った。鯨喰いの人じゃあなかったら、有難みが判らないと思うけど、まあ試しにどこかで注文してみればいい、きっと目玉が飛び出るから。
 酒は人数の多い方が楽しいので、ここでKHを呼んだ。
「ええ~、もう飯済んだに~」
 とかブツブツ言いながら出てくると、駆け付けのビールをジョッキで飲み干した。
 3杯も飲めば調子も良くなる。続けて2件目、3件目と郷土料理の店を回ってGGくんにしこたま地酒を飲んでもらった。あまり酒の強くないGGくんはここでギブアップ。次、ホテルの地下にあるバーに誘ったけれど「もう、限界です」といって、ふらふら自分のホテルに戻っていった。
 僕らはと言うと、予定通り勢いでバーに突撃していった。実はこの後も強運は続いており、行くと英会話教室〇〇〇の講師というべっぴんさん(勿論、異人さん)が2人飲んでいて、大いに意気投合したのだった。GGくんも来れば良かったのに。
 途中からのことは、よく覚えていない。
       *      *      *       
 翌日GGくんを迎えに行くと
「きのうホテルで吐いてしまいました」
と弱気な発言。でも、十分に満足してもらったようで、その日の午後、龍馬っていう恥ずかしい名前をつけられた空港(別に龍馬が恥ずかしい訳じゃあなく、何にでも龍馬っていう名前をつけてしまうその根性が恥ずかしい)から、僕らに敬礼してくれて帰って行った。

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亡霊(ファントム)たちの宴 011

その5 GGくんがやってきた

1 龍馬という存在感
 その朝出勤すると、妙に人数が少ない気がした。
「K内と〇〇は、インフルエンザでダウンやき」
 宮崎から帰ってきて、10日くらい後のこと。仕方ねえなと仕事をしていると、夕方に僕の携帯電話が鳴り見てみるとGGくんだった。
 ああ、そういえば明日来るって言ってたっけと出てみると、
「今着きました」
と言う。来る日を1日勘違いして覚えていたようだ。普通ならここで何とか出来るところだが、あいにく休んでいる者がいるので身動きが取れなかった。なんてこった。あんなに強引に「電話かけろ」なんて言っておいて、いざとなったらこの体たらく。
「すまん、今晩だけ自分で何とかして」
 GGくんに謝り倒して勘弁してもらった。
       *      *      *       
 次の日は、朝一番でGGくんのホテルへ迎えに行く。僕のボロ車に乗ってもらうと、龍馬関係の資料が見られる施設を何カ所か一緒に回る。地元に住んでいてなんなんだけど、このあたりの施設にはとんと興味が無かったので、こんなことがない限り行くことは無かったんだろうな。
 そして気が付いた。地元でありながら僕は龍馬のことをそんなに知らないんだと言うことを。言い訳とすれば、龍馬はこの町で何かを成し遂げた人では無いので、英雄としての逸話がそんなに残っていなくても仕方ないと思うけれども、じゃあ、この町の中にこんなに龍馬が溢れているのは一体何だ?今まで育ってきて、生の口から口へと伝わる話としては、出鱈目な話ですら聞いたことがない。つまり、この町の人間の殆どは、龍馬のことをそんなに知らないのに、ただ馬鹿のように「龍馬、龍馬」と繰り返しているだけか?ただ、商売に利用するだけか?
 誰か僕に、これまでテレビや本で紹介されている話以外で伝わっていることを話してくれる人はいないだろうか。そんな話を知っておかないと、恥ずかしくてとても「龍馬の地元でござい」なんて言えないよね。
 龍馬のコスプレが好きだった市長がいたり、空港に龍馬とつけてみたりと迷走話には事欠かないが、どうせなら新しい港が出来た時に何で龍馬の名前を使わなかったのだろう?それなら、海が好きだった龍馬もまだ喜ぶ(?勝手に)だろうし、上手くいけばそこで祭りなんかも出来ただろうに……
 話が逸れたし、次第に腹が立ってきたから、この話はもうやめる。

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亡霊(ファントム)たちの宴 010

3 口は幸いの元
 飲み会に付き合ってくれたのは、EMさん・DIさん・PYさん。前回よりも少し打ち解けて、宿のお父さんが作ってくれる絶品の「地鶏焼き」をつまみに、ビール・日本酒・焼酎とピッチが上がっていく。PYさんはウエポンとかいう訓練課程へ那覇から来ていて、EMさんやDIさんも以前那覇で尾白ワシに乗っていたとのこと。航空祭の時、僕らが一緒に飲ませてもらったのは、この302のOB会だったのだと教えてもらった。(もしかしたら前にも聞いていたかもしれないが、僕はもう舞い上がっていて、それどころじゃあなかったし)
 K内はすっかりゴキゲンの様子で、PYさんを相手に
「うちの地元の流儀でやらせてください」
とか言って日本酒で献杯・返杯を繰り返している。宿のお父さん、お母さんも交えて、色んな話をしたし、聞かせてもらったけど、やはり面白い話はNGが多くて、全く残念残念。
 この時、横のカウンターに晩飯代わりで飲んでいたのが、那覇からF-4の操縦資格を取るために来ていたGGくん。話してみると坂本龍馬が好きで
「今度そちらに行く予定なんですよ」
と言う。すかさず
「おおー来い来い。ええかえ、来たら必ず電話しいよ」
有無を言わさず電話番号を交換する。そして、固く固く約束をした。
 この時の戦死者は、KH。飲み会がすんで、表の道路に出て妙にはしゃいでいるなと思ったら、突然基地との境に植わっている桜?に口から栄養を与え始めた。すいません、もしこの後成長に影響が出ていたとしたら、総て悪いのはKHですから。
 幸せな時間は、あっという間に過ぎるし、まさかこの宿に泊まるのが最後になるとは夢にも思わなかった。でもまあ、それはまだもう少し先の話。

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亡霊(ファントム)たちの宴 009

2 藍より青き大空に
 EMさんが迎えに来てくれて、正門で手続きを済ませるといよいよ中へ。勿論、航空祭の浮かれた雰囲気はない。改めて軍隊(って言っちゃあいけないんだっけ?)を実感する。
 隊の庁舎内をひととおり見せてもらったりした後
「この前、南海地震を想定して飛んだ時のビデオがあるんですよ」
と言って見せてくれた映像は、紛れもなく先日K内と一緒に見たF-4から撮影されたもので、残念ながらポカンと口を空けた僕らのアホ面こそ写っていなかったものの、山にへばり付くようにして暮らしている僕らの郷土がきれいに記録されていた。
「次は滑走路の方に行ってみましょうか」360_2
 そして、ついにメインイベントのF-4撮影会。嬉しそうに、でもそんな自分に照れながら控えめにコクピットに座っている写真は、大きくプリントして職場の机に挟んでいて、今でも時々見てはニヤニヤしている。機番は57-8360。
 戦闘機に乗って撮った写真と言えば、はるかむかしF-86Dでの写真以来だ。この時の白黒写真はもうセピア色に変わっているが、撮ってもらった時の記憶は、今もまだ総天然色でいつまでも色褪せることはない。
 車に乗って滑走路の近くに運んでもらうと、さらに滑走路のすぐ横の〇〇に入らせてもらった。
「ここは、ラストチャンスという所でチェックを済ませた航空機と交信して最終確認をするところ(だったと思う)です」
 すぐ真横をF-15が通り過ぎていく。航空祭の時を上回るほどのど迫力。ちょうどタッチ・アンド・ゴーの訓練中で、何度も何度も降りてきては飛び立っていく。滑走路の南側には、脚立を構えた人達が並んで見えたが、逆から見ると何だか不思議な感じがする。写真を撮ろうと思ったが、室内が狭く邪魔になったらいけないのと、近すぎて全体を入れられなかったことから諦めてしまった。
 夕方までたっぷりサービスしてもらい、記念のパッチをプレゼントしてもらってホクホクしながら宿へともどった。


301_2 

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亡霊(ファントム)たちの宴 008

その4 新田原ふたたび

1 F-4は我らが頭上に

4「まあ、よう来られました」
 宿のお母さんの声を聞いて安心した。
「また、お世話になります」
と言って、離れの2階に上がっていく。
 年こそ2005年に変わっていたが、あの感動的な航空祭からまだ3ヶ月余り、僕はまた宮崎に来ていた。自分自身、まさかこんなに早くここにやってくるとは思いもしない、まさに予想外のことだった。
       *      *      *       
 日常生活に戻っても、しばらくは興奮が残っていた。ジェットの音を聞きつけると、空に彼らの姿を見つけ出そうとして見上げることが多くなっていた。そんな音を聞いて見上げた南の空を、ある日2機のF-4が東の方へ飛んで行くのを見つけた。2月中頃のことだ。それを一緒に見ていた同僚のK内が突如口を尖らせて
「そんな楽しい思いをしてず~る~い~。僕も行きたかった。い~き~た~か~った~」
と爆発し、それ以来、毎日呪文のように繰り返してきた。これまで散々楽しかった話を聞かせては、羨ましがらせて楽しんでいたしっぺ返しがきてしまった。
 根負けして、日にちを繰って、EMさんに連絡して、前回と同じ宿を予約して……コースは同じだから、段取りはまあ簡単だった。今回の宮崎参りのメンバーは、主犯のK内・KHに僕の3人。宮崎まで行っているのに、普通の観光は一切なし。基地を見学して、その晩にEMさん・DIさんと酒を飲んで、あとは帰るだけの計画。
「もったいない」
 何人かに言われたが、目的がぶれない分いいじゃないか。あれもこれもと欲張るよりも、濃厚な時間を満喫したほうが満足度は高いはずだから。
 見学時間は午後からだったので、前回よりも早い船で渡り丁度くらいの予定だったが、思ったよりもかなり早く着いてしまった。まあ、遅れるよりもいいだろうと、荷物を降ろした後、時間調整に基地の周りをぐるぐる周りながら連絡を取って、正門に迎えに来てもらう時間の段取りをつける。前回の興奮醒めやらぬままの、今回の見学の目的は
  F-4のコクピットで写真を撮る
という極めてミーハー且つ単純なものだったが、神様もこのくらいの不埒な考えは大目に見てくれたのか、抜群の青空で僕らを迎えてくれた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 007

2 連行!? 301飛行隊へ
 台風が南から暖かい空気を運んできたせいか、ポカポカといい陽気だ。宿でとっておきの昼ご飯を食べてから一休みして、午後のブルーインパルスを見ながら会場内を3人でふらふらしていると、昨夜の見覚えのある顔が2人。会釈をすると近寄ってきて、にこにこしながらPYさんがこう言った。
「やっと見つけました。班長がお待ちですから、隊の方までご一緒願えますか」
 航空祭を見ているだけでも感動しっぱなしなのに、この上まだ隊舎内にまで入らせてもらえるとは。心臓が持ち堪えられるだろうかと思うくらいにドキドキしている。夢心地の中、入口で緑のリボンを渡されて廊下から階段を登り広い部屋に出ると、EMさんがカッカッカッと笑いながら、
「ゆうべ301へ遊びに来て下さい言うたけど、いきなりは来にくいやろうと思うて、迎えに行って貰うたんですわ」
と、事も無げに言う。1000043_img1000075_img1000086_img
 確かにそのとおり。昨夜誘ってもらっていたし、DIさんからは
「入口で私の名前を言って入って来てください」
と、入り方まで教えてもらっていた。だからといって、酔いが醒めた今、知り合ったばかりの人の所へ厚かましく押し掛けるられほど、面の皮も厚く出来ていなかったので、どうしようかと思いつつもふん切れなかったわけだ。
 しかし、である。
「迎えに行って貰うたんですわ」
 なんてことを、この人出に向かって(後日知った来場者数は、9万5000人だった)言って貰えるなんて、申し訳ないやら有り難いやら。砂浜に落ちた石ころを探すようなもので、歩き回らない分石ころの方が性質が良いかも知れない。
       *      *      *       
「なんや~ぁ!今年は何の芸も無いんかい、おもろないのう!!」
 帰投していく2機のF/Aー18に向かって、EMさんの明るい罵声が飛ぶ。色々うるさく言われているんでしょうと、周りの声が入り交じって、隊の中は次第に黄色を帯びてセピア色に変わっていく。美保のYS-11やC-1が、離陸した後も高度を低く抑え、ギリギリまで頑張ってから急上昇して飛んでいく度に隊の中から歓声が上がる。極限の状態を追い求めてきた漢達にしか判らない挨拶。僕らは少し後ろから、この情景を飽きることなく見つめていた。非日常的現実の中で、どっぷりと堪能させてもらったこの2日間を反芻しながら。


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亡霊(ファントム)たちの宴 006

その3 新田原基地航空祭2004

1 轟音一発!
 携帯電話の目覚ましをかけていたが、それよりも早く目が覚めてしまった。辺りはまだ暗く、酔い覚ましの水が心地よい。窓を開けると、基地の回りを車が取り囲むように並んでいる。彼らはここで夜を明かしたのだろうか。心配していた天気もすっかり回復したようで、MKは大丈夫だろうかと思い声をかけると
「う~、もうえい~今日は、よう行かん。ここで寝よるき~」
と情けない返事。しかし、その数分後、一番機が離陸した。
 家も揺れんばかりの轟音は、これまで体験したことの無いもので、つくづく基地近くの宿にして良かったと、幸せを噛みしめた。この音には副産物があった。さっきまで布団の中で駄々をこねていたMKが、この轟音一発で飛び起きたのだ。
「行く。今すぐ行く」
 現金すぎて、飛び起きた本人でさえゲラゲラ笑っている。
 暖かい味噌汁がもたらす至福のひと時は、二日酔いの酒飲みに許された唯一のものだ。3人ともすっかり元気になった。
 宿から歩いて出掛ける。並んでいる車の間を抜けて、ほんの少しで正門に着いた。天気はすっかり回復していたが、台風の抜けた後だけにまだ強風が残っている。朝早くだというのに、かなりの人が入って来ている。正門から滑走路に向けて流れる人また人。僕らはアーチを抜けて、そして初めての航空祭が始まった。
       *      *      *       

1000006_img_2  強風の中、ヘリが空中停止しながら必死に姿勢を保っている。日頃積み重ねてきた訓練の成果とはいえ、この風の中では並大抵のことではないだろう。その姿に、不覚にも涙が出てきてしまった。
「もうえい、もうえいき、無理するな」
 心の中で何度も繰り返して言ってみた。涙が止まらなかったのは、決して昨夜の酒が残っていたわけでもなく、強風で舞い上げられた埃が目に入ったわけでもない。航空祭の演目のために何も危険な思いをすることもないのに、それでも飛び続ける漢の気持ちに久しく忘れていた感情を思い動かされてしまったのだ。
 頭上を通り過ぎていったアフターバーナーの赤い色が、瞬く間に遠く高く消えていく。
 音に体を打ち抜かれたことがあるだろうか。
 会場の東側から進入してきた機体が、捻りを加えながら急上昇して行くと、轟音が映画で見た機銃掃射のように、地面に弾けながら迫ってくるのが判る。僕を貫いていった音は一旦会場から離れ、しかし違った方向から再び忍び寄ってくる。会場で流れる説明では、時速600キロとかの速度のようだが、勘が余程良いか抜群の視力を持っているかしない限り、とても逃げ切れるものではない。僕は何度も何度も、繰り返し貫いていく音の快感に身を任せて、口を半開きにして青い空を見ていた。この音をやかましく感じるか、快感と感じるのかは、聞き手次第なんだろうな、きっと。
 F-4の対地攻撃が始まる。昨夜DIさんが、
「明日の対地攻撃は、自分が飛びますから」
と言っていたのを思い出し、見ているほうもつい力が入る。そして、夢中になって飛行機の動きに合わせ、顔を上へ下へ右に左にと動かしていく。傍から冷めた目で見ている人が居たとしたら、確実に馬鹿にしか見えないはずだ。

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亡霊(ファントム)たちの宴 005

3 飲んで飲んで飲まれて飲んで 弐
 後の記憶は途切れ途切れになっていて、今となってはちゃんと紡ぎようもない。もちろん、覚えていることもあるけれど、面白い話っていうのは、いわゆる大人の事情ってやつで書けないことがある。うーん、もし僕がビル・ゲイツよりも大金持ちになって、迷惑をかけることになる人の生活を完全に保障できるようになったら考えようかな。
 それはともかく、この後何年も続くことになる記念すべき飲み会が始まった。
 途中MKが座敷の遠くの方で301飛行隊からの集中攻撃を受けている姿を見た。次に見た時には、壁にもたれかかりケタケタ笑っていた。最後に確認した時には、見事撃墜され横たわっており、その後いつの間にか姿が消えていたことから、自力で戦線を離脱していった模様。
 一方KHは、カウンター左の方にいたF-2パイロットと飲んでいた。当時流行っていた芸人に顔が似ているなどと、失礼な馬鹿話を続けている。
 僕はと言えば、301飛行隊のEMさん、DIさんに相手をしてもらっている。酔いに任せて質問をぶつけてみた。
 中学生だったころ、同級生が僕にこう言った。
「もし、太平洋戦争の末期に、今のファントムが1機有ったら、物資の総てを集中して、必ずや敵機動部隊を殲滅することができたはずだ」
 こんな話、その時以来思い出したことも無かったのに、頭の中の引き出しが何故かポンと開いた。素面なら、こんなこと思ったとしても聞くことは出来なかったと思う。つくづく、酔いの力というものは偉大だ。ど素人は臆面もなく無茶な質問を、このまんま口にしていた。
「う~ん、その当時のF-4の性能やったら、爆撃の精度自体がそんなに良うなかったし、それにレシプロの旋回性能には適わんから、囲まれたりすることを考えたら、とても1機じゃあ無理やね。絶対に無理」
 変に妄想が膨らむ返事ではなく、明確な答えが返ってきて、妙にすっきりした。しかし、酔っぱらいは尚もしつこく迫っていく。
「漫画のファン〇ム無頼に出てくる話やけんど」
「お~、あれは何回も読んだ」
 聞きつけた周囲の何人かもワラワラと寄ってきて、そして、ファン○ム無頼談義にひととおり花が咲く。今目の前で酒を酌み交わしている内の何人かは、あの漫画を見てパイロットになったのかと思うと、親近感が増してきて思わずハグしたくなるような衝動が込み上げてくる。
「この話の中で、実際に出来そうなやつ何か無いろうか」
「F-15なら相手にしとるな」
「トライスターに乗ってミサイル避けてみせる?」
「やれと言われりゃあ、やってみようか。とても避けきれんやろうけど」
「あの脚を出してダムを駆け上る、あらよっ!!コイの滝登りとくらァ!!っていうやつなんか出来そうな気がするけんど」
「無理無理、脚がもたん」
 なんて盛り上がりながら、この辺りから僕の記憶はグニャグニャになってきて、
「敢えてできるとしたら……」
とかいう話を聞いた覚えがあるのだけれど、しまった、どうしても思い出せない。

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亡霊(ファントム)たちの宴 004

3 飲んで飲んで飲まれて飲んで 序
 宿には母屋と離れがあって、その離れの2階が僕らの部屋だった。居酒屋は、入って正面が7~8人ほど座れるカウンター、右手が20畳余りの座敷になっている。何よりも他の店には真似できないのが、店中の壁という壁、いたる所に飾られた戦闘機と、それを乗りこなす漢たちの写真。そして、熱い思いのこもった寄せ書きの数々。ここはそんな誇り高い漢たちの梁山泊、やすらぎの店だった。
 僕らの前に並んだ料理、予約のときは「どうせ飲むから要らないかな」と思っていた晩ご飯、食べると旨くて疲れた体に力がみなぎってくるような感じで、気付くと3人黙々と飯を掻き込んでいた。ひと息ついたあたりで、宿のお母さんとあれこれ雑談が始まる。
「〇〇から来んさったとやけど、どんくらいかかられました?」
「まあ、この天気やからよう来られんと思うとったですよ」
 宮崎弁をマスターしていないので雰囲気だけ、間違いがあったとしてもどうかご勘弁。
 カウンターの向こうでは、手の空いた宿のお父さんがニコニコしながらお湯割りを飲んでいる。見ると、お湯割りに少し色が付いている。
「これはワシ流の飲み方で」
 と言いながら、僕らの分も作ってくれた。お湯を入れたコップに霧島をそそぐ、そして仕上げに粉の黒砂糖をひとつまみ入れる。これだけだ。飲んでみると、ふんわり黒砂糖の風味が加わって、なかなかいける。
 僕らはカウンターの右端の方で、行儀良く一列に並んで(まあ、カウンターだから当たり前だけど)飲んでいた。その横の座敷では、20人くらい居ただろうか、話に聞いていた戦闘機乗り達の宴会に違いない。漢達のエンジンは充分に温もっている状態。これから全開で暴れ回る気満々の気配が、妙に気が合いそうで好ましい。
「この人らあが、戦闘機に乗りゆうがやね」
 ひそひそ声で、3人とも横の座敷が気になって仕方ない。しかし、きっかけも無くなだれ込んで行くほど、まだ正気を失ってはいなかったので、僕らはただひたすらに我慢の良い子を演じ続けていた。そんな僕らの気持ちを察してか、宿のお母さんが僕らを紹介してくれる。
「この人たちは、〇〇(仕事)をしよる人で、明日の航空祭に〇〇(県)から来た人なんよ」
「ほうですかぁ、遠いから来られたんですねえ。」
 いかつい漢達がこちらを向く。僕らは、えへへと頭を下げて愛想良くを心がけると、漢達は急に無邪気な笑顔になって、屈託無く迎え入れてくれたのだった。そしてこの時、3人の耳には突撃ラッパが鳴り響いているのが、はっきりと聞こえた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 003

2 辿り着いたらいつも雨降り
41500_0412040941500_04120509  低気圧は異常に発達して台風と呼ばれるようになり、12月という季節をわきまえずにやってきた。船で九州に渡り、大分から宮崎へ抜ける。延岡まではおとなしかった天気も、元祖チキン南蛮を食べ終えた辺りから本性を現し始める。低く垂れ込めた雲の中を、稲光が縦横に怒り狂い、雨は殴りつけるようにして襲いかかってくる。明日本当に航空祭できるのだろう か。前回美保に向かった時の脳天気さはもう無い。唯一希望の種は、天気予報が「夜中に雨は止むぜ。とにかく信じて突っ走れ」と、あくまでも強気に言い張ってくれていたことだ。でもまあ、普通に考えたら絶対に明日は中止の天気。 次第に陰気になっていく車内で僕は、
「これはバチが当たったに決まっている。そうでなかったら、こんな季節に台風が来るもんか」
と他の2人に八つ当たりしていた。民宿を予約した次の日、僕が小躍りしながら宿のことを報告した時のこと、2人は
「ふうん、まあ、そこでえいわ」
と、何とも素っ気ない返事。人の苦労も知らずに、さも当然そうに何の感動も無く。だから、当たったんだきっと、バチが。
 ようやく宿に辿り着くと、すっかり夜になっていた。風呂に入らせてもらい少し生き返る。愛想の良い夫婦が、柄の悪い3人組にも戸惑わずに、ちゃんと相手をしてくれた。
 とりあえず部屋でくつろいでいると、宿のお母さんが呼びに来てくれた。
「晩ご飯の用意ができましたんで」
 まさかこの後が、これからの総ての始まりになろうとは。どこかで突撃ラッパが鳴っていたはずだが、この時は誰もそのことに気付いていなかった。最初の犠牲者となるMKでさえ。

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亡霊(ファントム)たちの宴 002

その2 児湯郡新富町大字新田

1 宮崎が呼んでいる
 帰るなり、次の航空祭の話になった。(おいおい、いつからそんなに自衛隊好きになったのさ)自然に3人が集まって、雑誌の付録とにらめっこしている。
「行きやすさとか考えたら、次は築城基地でねえ」
 すんなり決まった。……ような気がしていた。
       *      *      *       
「えっ、婚礼が入った?築城には行けん !?」
 うん、まあ、仕方ないよね。色々と付き合いもあるし、まだ日数もあるし。
 ……10月の初めくらいだった。
 それじゃあと、次はもう選択の余地は無い。沖縄まで飛んでいく勇気はまだ無かったから、陸路でいうと新田原の航空祭ってことになる。
 まあ、乗りかかった船っていうか、毒を喰らわば皿までっていうか、とことんやり抜こうという気になった。(たかが、航空祭を見に行くだけだけど)
 先ず宿探しから。電話帳と地図を見比べて、なるべく基地の近くで安い所(貧乏旅行を旨としているため)を探していく。何時間格闘したか、いいかげんうんざりし始めたころ、何気なくページを開き、そして我が目を疑った。
「正門の近くに民宿があるやいか」
 場所が良すぎて、信じられなかった。きっともう満員だろうなと思ったが、駄目もとで電話を架けてみる。
「あのう、航空祭の日ですが……もう予約いっぱいですよね」
 おそるおそる、とりあえず聞いてみた。
「空いとりますよ」
 へ?
 駄目もとの気持ちというか、駄目な場合のことしか考えていなかったので、虚を突かれて惚けてしまう。そして、気を取り直して宿代を聞いてみる。
「朝ご飯だけやと3500円で、晩ご飯付きの4500円でどうでしょう?」
 ど・どうでしょうって、どうもこうも無い。他の2人には相談抜きで、独断専行・事後承諾、文句を言うならこれ以上の所を探してこいとばかりに、
「ぜひ、お願いします。3名で。」
予約してしまった。
「私んとこは下で居酒屋もしよるから、良かったら使って下さい。航空祭の前の晩は、ブルーの人とか 301の人とかが飲みますから少し賑やかになりますが」
 願ったり叶ったりとはこのことで、文句をいう奴がいればきっとバチが当たるに決まってる。

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亡霊(ファントム)たちの宴 001

 漢達の事を思い出す時、忘れられない言葉がある。

001  縁というのは不思議なもので、途中様々な前兆があったりするにもかかわらず、それらは後になってみなければ決して気付くことができない。結果論だと言ってしまえばそれまでなのだが、時折懐かしく思い出してみた時、そこに何かの意思(ちょっとした気まぐれ程度のものだが)を感じて思わず立ち止まってしまう。
 先に断っておくけれども、何かの意思とか言っても、何々様とか怪し気なものを引っ張り出してきて、それらの話をするつもりは無い。何でもよいのだけれども、ちょっとした気まぐれ程度の偶然が重なり合ったことを、忘れてしまわないうちに一度書いておこうと思ったわけだ。ただ、それだけのこと。

その1 美保にて

「なあ、航空祭に行ってみんかえ?」
 脳天気に話しかけてきた同僚のKHは、口をポカンと半開きにして、馬鹿みたいに晴れた空を見上げて僕の返事を待っていた。
 2004年春のことだ。
 はっきり言って、さほど興味の無かった僕は「ふうん」とか言って、とりあえず続きを聞くだけでお茶を濁そうと思った。しかしKHは、目をぐりぐりさせて、そして「航空祭ガイド」とか書かれた雑誌の付録を取り出すと、日本海側の「美保」という所を指差した。
「ここやったら、高速も抜けたし、そんなに時間かからんのとちゃうん」
 中国地方は近い割に不思議と縁の薄い土地で、その当時はまだ岡山に行ったことがあるくらいだった。ましてや日本海側には殆ど縁なく育ったので、単純に「何か旨い物が食えるがやないろうか」と思った。そして次には、本当にそんな軽い気持ちで、心が勝手に頷いていた。
       *      *      *       
 連れはMKを加えてKHと僕の3人。天気予報は最悪。「絶対に雨。晴れて欲しかったら神に祈れ。どうせ無駄だけどよ」と何の慈悲も感じられない予報。しかし、365日太平洋側で育った3人、かなり大雑把に育っているせいか、細かいことは一向に気にせずに、「行け行けゴーゴー!」と曇り空の中、ひたすら日本海を目指した。
 ホテルに着いて、荷物を置いて出掛けた繁華街。3人が幸せだったのはここまでだった。店から出ると土砂降り。次の日、朝こそ何気に雨はあがっていたが、いつ降り出して
もおかしくない空模様。案の定、霞む空気につつまれた空挺部隊の落下傘降下を見ただけで、午後のブルーインパルスは中止に。売店を回って消化不良のまま家路についた。
1000054_img もしも、この時天気が良くて、予定通りの演目を見て帰宅していたとしたら、この話はここで終わっていたと思う。

 多分、絶対。

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