T-7鬼教官たちの宴 03  

続・YAH!YAH!YAH!鬼教官がやってくる!! その3 

  気合いが入っていたせいか、あんなに酔いたくってロレロだったわりに次の日はシャッキだった。朝の散歩がてらに自転車で出かけていって電話をかけ、鬼教官たちと日曜市へと出かけてみる。これまで帰りのスケジュールの関係で、日曜市は行かず終いだったのだけども、今回ようやく見てもらえることになった。驚いたことに元F-1の高Yさんは、一足先に朝の散歩がてら日曜市へ出かけているそうだ。
 この日曜市っていうのは、高知城から東へ約1キロメートル、追手筋という片側2車線ある道路の半分を通行止めにして行われている市で、主に農産品が多くて、海産品を期待していたのかも知れない鬼教官方をガッカリさせてしまったのかな?蓮池通の方から歩き始め、それでもまあ終点にはあの『ひろめ市場』や『大橋通』が待っているから、そこで見て貰うことにする。
 途中、市名物の芋天を味見してもらいながらプラプラ歩く。雑多な品揃えとオバチャンたちの客呼びの声、そしてぐちゃぐちゃな人の流れ。時に道の真ん中で立ち止まり考え込んでいる人。急に向きを変えると、人にぶつかり掻き分けながら、先ほど通り過ぎてきた店へと向かって行く。子供のころに高鳴った心が、この雰囲気の中には残っている。たまに早起きして来てみるのも良いものだ。
 一行はお約束の『ひろめ市場』へと辿り着く。高知3回目のDIさんが初めての教官に説明していたけれど、期待どおりっていうのか何なのか、朝っぱらから気持ち良く飲んでいる人がちゃんと居てくれました。もう1泊できれば、こんな場所でやって(飲んで)みるのも良いのだけども、忙しい人たちだから無理だろうなぁ…。
 気が付けばDIさんが魚屋さんの店先で何やら交渉している。隊へのお土産を送ってもらうようだ。その時間待ちの間に、横で良いものを見つける。鯨とウツボを唐揚げにしたもの、さっそく買い込んで味見してもらう。そしてここで意外な弱点を発見、元F-15ドライバーのI上さんは鯨もウツボもどちらも苦手だということ。いや~ぁ良かった、今回の飲み会ひょっとすると前回の新田原組を出迎えた『鯨の専門店』にしていたところだった。危ないあぶない…

 楽しい時間っていうのは、本当にあっという間に過ぎてしまい、ホテルへ戻ると、もう出発の時間を迎える。「夕べはべろんべろんだったけど大丈夫かぁ?ちゃんと運転しろよな!!」なんて井UさんがHSさんをからかっている。そしてぼくは少し離れた場所で、祭りの後の寂しさに包まれながらそんな彼らを見ていた。「あ~あ、つまんねぇな。このまま防府まで付いていこうか」なんてね。

 追伸ってわけでもないのだけれど、この前こっそりDIさんに話していたダバダ火振りのミステリアスリザーブ、正式には『四万十川火振り酒』っていうそうなんだが、それの写真が送られてきた。蔵出し予定は平成25年7月「その時私は何処に居るんでしょうね」なんてDIさんは笑っていたけれど、どこに居ても大丈夫、この酒持って遊びに行きます。そのころ、この『亡霊たちの宴』がどこまで広がっているかも楽しみにして。

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T-7鬼教官たちの宴 02  

続・YAH!YAH!YAH!鬼教官がやってくる!! その2  

  今回もまた”防府の鬼御一行様”は、バイク3台と乗用車1台での襲撃となったが、前回は皆が同じルートで来ていたのだけど、今回はフェリー&国道組と1000円高速組に別れて来高するとのこと。到着予定時間を聞いて、南国『道の駅 風良里』で待ち合わせる。今回の確定メンバーは、DIさんに井UさんとHSさんまでが去年の襲撃メンバーで、そこへ新たに元F-4ライダーの田Nさん、更に第1飛行教育隊から元F-1乗りの高YさんとF-15ドライバーのI上さんが加わった。そこから2箇所、ちょっとした秘密の場所を観光?案内して、宿まで戻る。いつもながら、観光の方がしょぼくて申し訳ないのだけれど、こちらにはファントムのような飛び道具が無いので「地味なのは仕方ない」と我慢して貰おう。そして遠征でお疲れの鬼御一行様は、疲れを癒す間もなくメインイベントへと突入させられていく。
 前にも書いたとおり、今回の宴会場は宿から歩いて3~4分の場所。案内をして中へ入り、二階へとトントントンと上がると、こちらの迎撃部隊はもう勢揃いしていた。K内くんから「仕事が延びて遅れる」と連絡があっていたので、K内くんには悪いけれど気にせずどんどん始めることにする。料理が運ばれてきて、生ビールが揃って早速「かんぱ~い」となった。ゴキュゴキュと皆の喉が鳴って「うみゃ~い」と口の周りについた泡を拭き取る。鰹のタタキを摘んでジョッキを傾けると、もう1杯目が空いた。
「失礼しま~す」と店の人が料理を運んできて一際大きな歓声があがる。どどーんとでっかい俎板の上に、5キロくらいの鰹の刺身が尾頭付きで乗っていた。これは見た目も派手だったので、早速携帯での撮影会が始まり
「くぁ~っ、こんなの見たらA樂絶対に悔しがるぞ」
「よし、どんな反応してくるかメールで送ってやろう」
親切なのだか意地悪なのだか、今回来れなかったA樂さんへ鰹の写メを送っている。ぼくはまあ、そんなこんなの様子を「喜んで貰って良かった」と、ニコニコしながら眺めていた。
 やがてK内くんも合流し再度乾杯をして、ビールだと腹が張るのでと、早くも焼酎や日本酒が始まった。初めはチマチマとお猪口で差しつ差されつ大人しくやっているが、土佐の男は面倒くさがりなので「なんか容れ物が小まいし、ややこしいき」と言って小皿にお酒を入れて、どひゃひゃひゃ~と注ぐ。
 さあ飲め、やれ飲め、これ飲め、おらの酒が飲めんがかぁ…

 …気付くと、しこたま酔っ払っていた。
 レロレロになっていたのであまり自信はないけれども、その後店からの請求が来ていないのでちゃんと支払いだけは済ませていたようだ。
 全員でぞろぞろ歩いて、またいつものバーへ向かう。今回はカウンター横の大きなボックス席の方へ入れたのだけれども、これまでずっと畳の個室(バーなのに)だったから、そっちの方が座りが良くなっていたのか「上がいいよ、上にしよう」なんて(だれだっけ?)ことで、いつもの部屋へ潜り込む。
 ここまでくると、しっかり酔っ払いの集団と化していて、シャッキなのは下戸のひっちさんとDIさんくらいか?そうそう、いつもながらDIさんのエライこと。鉄の肝臓っていうのは時々いるけれど、うーんまるで超合金、いや本当はザルなのかもしれない。分解も何も、ただ口から入って体内を通過していくだけ、並の土佐っぽじゃあ適いません。正味相手出来るのは、日本酒をご飯代わりに2升飲んでいたと言われる坂本龍馬くらいか?(高知の人間に「酒は飲めるか?」と聞かれて「しょうしょう」と答えると「おう、升升で2升も飲めるか」と言われるというのは、この坂本龍馬の話あたりから来ているのじゃないかと思っているのだけれど…)一度で良いから、ベロベロになった姿を見てみたい。…ということで、内緒なのだけど、今度防府に行った時に仕掛けてみようと思うので、他の皆様どうかご協力の程をよろしく。(まあ、ここに書いちゃえば秘密も何もあったものじゃないか)
 宴も終盤に近付いて、井Uさんに『飛ばねぇ豚はただの豚だ~♪』というのをやってもらったのだけど、ここに出しても良い?と聞いて「あ、全然OKッスよ~」の返事をもらってたんだけども、う~んどうなんだろう?もちろんぼくだって他人のことを言えるような立派な状態じゃないのだけども…素面で見てみると、あ~こりゃ駄目だわ、うっかり学生に見られでもしたら(なんて、どうってことはない、ただ酔っ払っているだけだけども)というわけで、また次の機会に。
 

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T-7鬼教官たちの宴 01

続・YAH!YAH!YAH!鬼教官がやってくる!! その1  

 それはまだ、しっかりと暑さのただ中にあった9月初めのこと、まだ7時前だというのに紅色の豚がぼくにメールを届けてくれた。その時ぼくは、少し込み入った事情から既に現場へ出ていた関係で、内容を確認するのが遅れたのだけれど、開けてみてすっかりゴキゲンになった。

『百里は決行されたのでしょうか?こちらも高知襲撃計画を立案中です。とりあえず、10/17・18で行動予定ですが、そちらのスケジュールはいかがでしょうか?』

 というもの。
 元来ぼくの考えとしてみればスケジュールなんてものは、少々無理をしてでもこじ開けていくものだと思っているから(嫌な奴からの誘いなら別だが)先ずこの日に向けて予定を逆算してみた。15秒ほどで答えが出た。うん大丈夫、何とかなる。「少しぐらいの無理は男の甲斐性さ」なんてうそぶいてみた。そして後ろを向いて、背中でクックックッと笑い、心の中で万歳三唱してみる。

「来る、防府の鬼たちがまた鰹を喰らいにやってくる!!」

 嬉しさの余りしばらく妄想の中を漂っていたが、やがて正気に戻り「みなに連絡してみなくっちゃあ」と電話を手に取る。K内くん1名を除いて連絡がついたが、ひっちさんとN川係長は「その日は浜松へサンダーバーズを見に行く予定だから」と出鼻をくじかれる。ええい仕方ない、残りの戦力を挙げて迎え撃てば勝てないまでも互角の勝負には持ち込めるだろう。そう腹を決めるが、ちょうど百里出動の前ということもあって、何やかやと用事にかまけて段取りがなかなか前へ進まない。
 
しかし、結果的にはこれが良い方に転がって、ひっちさんとN川係長が「せっかく来てくれるのだから、浜松はまた今度にすることにした」という感涙ものの連絡をくれた。K内くんからも都合がつけられると連絡が有ったし、よし、今回はフルメンバーで行けるぞ!!

 向こうからの襲撃人員は6~7名だとの連絡も入り、多少の緊急減員があったとしても12~14名の宴となる。毎度行くぼくの好きな店は、かなりちっちゃい店ばかりだから、こういう時にちと困る。そして知り合いの酒飲みに声を掛けていって何店舗かに候補を絞り、一番無理をきいてくれそうな「仙樹」に決定する。ここなら防府の鬼ご一行様の定宿からも近いし、鰹はその日のとびきりのやつ2本を持ち込めるようになったので、多分がっかりさせることは無いだろう。


 当日までに突発事項が発生しないだろうかという不安と、指折り数えるような楽しみの中、接近した大型台風も何とか交わし(もし被害に遭われた方がおいでになれば、申し訳有りません。お見舞い申し上げます)ついに当日を迎えた。それまでは何故か頑固に土曜日だけ「雨マーク」を出し続けていた天気予報も、当日にはすっかり諦めて「曇り」や「晴マーク」に転向してきている。ぼくらの執念が上回ったようで、非常に気分がよい。
 朝一に、無事四国へと渡るフェリーに乗り込んだことを知らせるメールが届く、そしてぼくらも気合いを入れる。
「さあ野郎ども、戦闘態勢だ。今更逃げ腰になる腑抜けはいねぇな!!」

 

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’09百里基地航空祭 その3  

激走1泊4日1853キロ 3~4日目  

「10時くらいから天気は回復してくるようですよ」
 GGくんからの情報のとおり、次第に回復してきた天候は、午後にはすっかり上天気になっていた。尾白鷲とウッドペッカーの計4羽が気持ちよさそうに大空へと舞い上がり、ぼくらのボルテージも最高潮に達していた。
 対地攻撃のために南側から進入してきた尾白鷲に向けて、対空機関砲が唸りを上げる。轟音を残して通り過ぎた尾白鷲を追っかけていると、再び対空放火の音が…そして別の尾白鷲が迫ってくる。これが何度も何度も繰り返される、まるで午前中の埋め合わせ(満足度はそれ以上)のように。

 続くはウッドペッカーのお披露目。
「偵空の突っ込みは凄いですよ」
 現役の重い言葉を聞いてはいたが、まさかの突っ込みに度肝を抜かれた。
「えっ?あそこからまだ高度を下げた!!」
 のっけの2機が交差する時、1機が更に機首を下げる。素人目には一瞬「墜落するんじゃないか」と見えた。ぼくの位置からは、展示機の陰に入ってその後の動きが見えなかったのだけど、実際どうだったんだろう?

 帰り道が遠いのでブルーインパルスは適当なところで切り上げて帰ろうか、なんて話していたのだけれど、結局最後まで見てしまった。ここまで残っていたのだから、各機の帰投シーンも見届けたかったのだけど、そこはまあもう3人とも大人だし、明日からの予定もあるしってことで泣く泣く帰途についた。

 宿まで自転車で戻り、そこから高速道路のインターチェンジを目差す。ルート指南は、この前まで501飛行隊に居たCFさん。鉄板の渋滞予報に基づいて、エスケープルートを探す。作戦勝ちなのか、たまたまなのか、割合簡単に高速道路に乗ることができた。
「よしよし、しめしめ」
 なんて喜んでいると、その先ぼくらを待ち受けていたのは、田舎じゃあ考えられないくらいの渋滞。午後4時過ぎには高速道路に入っていたのに、午後8時の段階で首都高を抜けていなかった。走行距離90何キロ、これじゃあ高速道路に乗った意味がまるでないじゃないか。平均速度30キロにも満たないんじゃあ、むしろ一般道を通った方が地球にも財布にも優しかった?
 東名に入っても、部分的な渋滞が発生しており、その度に「後続車は突っ込んでこないか?」なんてドキドキの繰り返し。財布の関係から何とか日付の変わる午前0時までに大阪を抜けたいなんて希望を持っていたんだけれど、新名神に入ったところで望みは絶ち切られてしまう。
「あ"~っ、もうどうでもいいんだ~ぁ。好きにすればいいさぁ!」
 心の張りを無くした3人は、その後やけくそのようにSAに立ち寄り、土産を買い込み飯を食う食う、さっきラーメンを食べたのに、またカレー食べるの?えっ、今度はシュウマイ?…てなもんだ。
 さすがに疲労を馬鹿のように溜め込んでいたから、何度か上の瞼と下の瞼が結婚しそうになりながら、ようやくぼくの家へ辿り着いたのが午前5時。

 今回の出動
    9/11 23:50出発
     同14 05:00帰高
    走行距離1853キロ
でした。

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’09百里基地航空祭 その2  

激走1泊4日1853キロ 2~3日目  

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 明日は人がいっぱいだろうからと、先に出店でお土産などめぼしい物を買い漁り、少し早かったが宿へと向かう。予約した時に話した感じからすると、新田原前の「やすらぎ」みたいな雰囲気かなと思っていたが、何ていうかそのまんまの雰囲気だった。足りないのは、1階で居酒屋をしていなかったこと。だから当然、部屋中に戦闘機乗りたちの痕跡が残ってもいないし、ここでの新たな出逢いも期待できない(まあ、何もそれが目的じゃないけれど)わけだ。入り口で声を掛けると、小学生くらいの女の子が出てきてお母さんを呼びにいく。玄関前で周囲を見回したりなんかして少し待っていると、隣の温泉施設からパタパタとおばさん(失礼)が走ってきた。部屋に通されお風呂が入ったと呼ばれるまでのたった30分間で、3人は見事に墜ちていた。高知を夜中に出発して高速をひた走り、片道約10時間半、更に基地内を歩き回ること3時間半。この後はGGくん八Fくんが宴席を構えてくれているので、今の内に少しでも体力を回復させておかなければ、土佐っぽ3馬鹿百里に死すなんてことにもなりかねない。
 やがて「お風呂入りました」の声に、ぼくが先頭を切って風呂場へと向かう。服を脱ぎすっぽんぽんになって(風呂に入るのだから当たり前だけど…)ガラリと戸を開けたままの状態で、ぼくは凍り付いてしまった。なんと、お風呂のお湯の色が……何色って言えば良いのだろう?う~んと一番最初に思い付いた色が『どぶ色』だった。蛇口から流れ出ているお湯を手で掬ってみると間違いなく『どぶ色』で、すっぽんぽんの姿のまま今更人を呼んでお湯のことを聞くのも恥ずかしいので、とりあえず匂いを嗅いでみた。特に異臭はしない。だからといって硫黄のような匂いも無かったので、いまいち温泉だという自信が持てない。仕方ないので、そのお湯で2~3度手を擦ってみた。すると、ぬるぬるとした温泉特有の感触があったから、やっと安心して入ることが出来た。せめてひと言説明があれば、こんなに悩むこともなかったのに…。
 部屋に戻り他の者にこのことを伝えていたから、その後は大きな混乱もなかったのだけど、戻って来てみな口々に温泉の色に度肝を抜かれたと言った。ひととおり、風呂の話で盛り上がった後、再び布団で気を失い約束の時間までのあっという間が過ぎると、少しだけHPが回復したような気がする。
 GGくんが手配してくれた店の車に揺られて約15~20分、着いた店はちょっと「やすらぎ」のような空気が漂っているトンカツ屋さん。後で聞いた話だと、空自出身の方がやっているお店のようだ。適当に注文して生ビールが届くころ、八Fくんが着き乾杯した後少し遅れてGGくんが到着した。
 生ビールを定量飲んだ後で、見回した店の壁には『マッコリ』の文字。隣国の飲み物のようだけど、飲んだことがなかったので興味本位で頼んでみる。紙パックで出てきたお酒は、薄い乳酸菌飲料のような味だった。まあアルコール度数も高くないから、ガバガバ飲んで平らげて次に移る。「やっぱり漢の酒は焼酎だよな」なんて氷を入れてロックにして飲むと、疲れた五体に染み渡る「くわぁ~、美味いのう」土佐っぽの馬鹿声が百里の地に響き渡った。

 10時半ころには宿へ戻り、そのまま爆睡。午前6時前に横で寝ていたKMの地獄のような鼾で目を覚ます。鼻を摘んでも止むことのない鼾の攻撃に、諦めて体を起こし窓を開けると、百里の冷たい空気が室内に流れ込み、一瞬だけ鼾が止まった。昨夜心配された雨は止んでいたが、遠くの景色は靄に包まれている。GGくんと八Fくんは3時起きの4時出勤だって言ってたっけ、ぼくらのために無茶な勤務を強いられているわけだから、せめて彼らに余計な負担をかけないようにしなくては。
 開けていた青い空は、流れてきた雲に覆われたり晴れたりを繰り返す。でもまあ、雨さえ降らなければと、7時半に宿を出発する。足は勿論、苦労して運んできた『折畳み式自転車』だ。渋滞の横を通り抜けていく時には、少しだけ嬉しくなる。

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 正門から入って最初に向かったのが「F-4EJ飛行隊発祥の地」という記念碑。前日に整理をしていた隊員の方に場所を尋ねたがご存じなかったので、帰る時に探していたら正門のすぐ近くにそれらしい石碑を見つけていたのだった。昨日はもうパワーダウンしていたので、寄って行く気にはならなかったが、今日は元気いっぱいだしオープニングにも時間もあるしと、他の2人も促して立ち寄った。

 会場に着いても天気は良くなく、ずっと靄に包まれたままだった。GGくんは今日はアラートで基地の外れに缶詰にされていた。八Fくんはオープニングの編隊飛行でウイングマンを務めると聞いていたので、連絡しても忙しいだろうしと遠慮していたが、結局靄は晴れないままで編隊飛行は見られずタクシーだけに終り、午前中の戦闘機の演目は、辛うじてF-15がぐるぐるりんと回って終わる機動飛行だけだった。

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’09百里基地航空祭 その1

激走1泊4日1853キロ 1~2日目

 那覇の302飛行隊が百里基地へ異動した今年2009年、ぼくは密かに航空祭出動を計画していた。
 解決しなければならない問題点としては、
    その1  宿を何処にするか
    その2  移動手段を何にするか
    その3  だれと一緒に行くか
の3つが挙げられる。
 宿については何年か前から、基地北西方向約5キロメートルに手頃な宿を見つけていたので、空き部屋さえ残っていればここに決めようと思っていた。航空祭の時に泊まる宿なんて、酔っ払って眠ることができる機能さえ備えていれば問題はないから。
 移動手段は、今回の場合片道が900キロを超えるので飛行機をチョイスしたいところだが、まだ茨城空港が完成していないため羽田で降りその後の交通機関等も考えると、悩みどころが満載の状態。また宿から基地までの移動をどうするかということも、大きな壁となって立ちはだかった。つまり消去法的に乗用車での移動となり、車に折り畳み式の自転車を搭載して宿から基地までの足にすることが適当と思われた。
 だれと一緒に行くかは、片道900キロを超える行程を往復できる体力と、疲労から途中不穏な空気が漂ったとしても修復できる関係ということも含めて検討しなければならなず、最大の障壁と思われた。1000円高速の恩恵を十分に生かすためには、深夜の移動になってしまうので、眠気などを考えて距離的に1人頭300キロの運転なら大丈夫だろうと想定すると、自動的に人数3人が適正と決定した。次に3台の自転車が搭載できて、そこそこ長距離を運転しても楽そうな車を持っている者という条件が必要となり、トヨタハリアーに乗っているHKの顔が浮かんだ。結局、新田原出動ファーストメンバーならと思ってHKとKMの2名に最初に声をかけると二つ返事でOKだったので、このようにしてメンバーも決まったのだった。
 幸い宿も空いており9月12日3名で予約を入れ、折り畳み自転車はぼくの持っている2台と、KMの1台ということで話が纏まった。

 迎えた9月11日午後11時半、当然のように約束から半時間以上も遅れて、HKがぼくの家へやってきた。ところが自転車を車に積み込むのに思いの外時間がかかってしまい、結局出たのは日付の変わる少し前にまでずれ込む。
 瀬戸大橋を越え、大阪・名古屋あたりまでは元気だった3人も、浜名湖SAで給油を済ませたあたりから急激に疲れてくる。その後夜が明けるまでハンドルを握っていたぼくは孤独だった。他の2人のイビキを聞きながら、眠気覚ましの栄養ドリンクと辛~いガムがぼくの味方だった。
 都内で若干の渋滞はあったものの、9月12日午前10時20分ぼくらは無事千代田石岡ICを流出する。天候は、何日か前には晴れ時々曇りの予報だったのが、前日になると一時雨が混じる予報となって、当日には午後から雨予報となり、実際は朝から小雨が時折強い雨も交えて降り続いていた。全く天気予報って肝心な時に当らないのだから。それとも、航空祭前日の行事に招待者として、厚かましくも参加しようとしたからバチがあたったのかな。
 本番前日だというのに基地周辺の渋滞はすでに激しく、ぼくらが駐車場所へ車を駐めることができたのは、時計の針が12時を指したころだった。

 GGくんに連絡して迎えに来てもらい、新隊舎のあちらこちらを案内してもらう。元々は301飛行隊が使っていた建物で、前使用部隊がイーグル204飛行隊だったわけだけれども、どうしても那覇と比べてしまうから手狭に感じるのだそうだ。そうだろうなぁ、あの底抜けに脳天気な青空(あくまでぼくの印象ね)を独り占めしていたのだから、たしかにここは色んな意味で手狭に感じるのかも知れない。ちょうど2年前まだまだ暑かった那覇の日のことを思い出しぼくは鉛色の空を見上げ、着込んでいる長袖の上着を羽織りなおした。やがて八Fくんも合流してくれて、あちらこちらと一緒に回る。
 今回はちと無理なお願いを用意していた。

 どうしても2人に「飛ばねぇ豚は~」と言ってもらいたかったからだ。顔出し許可を貰って、440(ししまる)号機の前でやってもらった。 

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続・亡霊(ファントム)たちの宴27

防府北基地航空祭 その5  

 天気が回復したことは、例えぼくが馬鹿な買い物をして笑いものになったとしても、それはそれでめでたいことに変わりない。鉛色の空に響く轟音より、青い空を突き抜けていく轟音の方が、見た目や何やらを含めて10倍以上カッコイイのは判りきったこと。玉のような汗が噴き出したとしても、寒さに震えて鉛色の空を見上げることを思えばなんてことはないさ。



 F-2が気持ちよさそうに機動飛行を決めて、UH1とOH6が連携して燃えさかる炎を見事消し止めた。さあKゾーさんが2番機を務めるF-4のショータイム。先ず南側から進入してきた2機、うーん低い。これって新田原の航空祭よりも低い?見え始めてから、あっという間に通過して、またあっという間に見えなくなる。次はどこから来る?轟音の余韻を追っかけて、レーダーみたいに360度首をぐるぐる回す。突然顔の向いた反対側から襲撃されて、慌ててそちらに向きを変えようとすれば、首や背中がグチッっとか音をたてて「あいたた…」としゃがみ込む。くそ、いいとこ見損なった。ダメージから回復したころには、2機が右に左にと機体をバンクさせ、皆に最後の挨拶をし始めていた。あ~あ、せめてあと10分くらいは暴れ回ってほしかったのに。基地周辺への配慮ってやつだろうか、たしかにF-4ってやかましいからなあ。やんちゃ満載で通過する一瞬の繰り返しで、迫力は申し分ないし楽しめるんだけど、時間的なものに物足りなさを感じた。なんとか基地上空の見える範囲で、ぐりんぐりんできるようにならないだろうか?でもなあ、F-4から爆音が無くなればそれはそれで寂しいし、見に来る価値も半減しちゃうしなあ。それに、この音こそが今の日本にとっての専守防衛の重要な要素のような気がする。なるべく理屈っぽくならないようには努めるけど、つまり航空祭だって専守防衛のためのプログラムの一部なんだろうってこと。そのためには、なるべく開けっ広げに楽しく見せるって事が重要で、やかましいからっていう理由で静かな戦闘機を作っちゃったものなら、そしてこれを航空祭で機動飛行でもさせようものなら、国内外のありとあらゆるメディアから袋叩きにされて、どうかすると自衛隊の存続の危機にまで話は及ぶかもしれない。なんでこんな極端な話になるかって?実際の航空祭を想像してもらえれば分かると思うけど、しーんとした会場でアナウンスが無ければどこから現れるか判らない戦闘機を見るっていう行為は、見に来た人に『実戦的な不安』『具体的な薄気味悪さ』を与えるわけだ。ステルスが最強を誇る今日となっては自分の位置を知らせる…存在感を示すっていうことはむしろ不利な要素なわけで、だから爆音っていうのはむしろ戦闘兵器に関しては、国民の不安感を和らげる意味を持っているんじゃないだろうか?つまり逆説的にある意味で安全と平和の象徴とも考えられないこともないから(かなり苦しい?)ここはひとつF-4部隊を天然記念物的に残して(もう、意味不明・支離滅裂なんだけど…)いただくわけにはいかないだろうか。(もちろん、ただのF-4好きの戯言です、ハイ)
 ブルーインパルスに関しては、今回初めて「さくら」を見せて貰って大感激。ギャランさんのアナウンスは、ぼくらの居た場所がスピーカから離れていたから聞き取りにくかったので残念。安定した華麗な舞いを堪能していると、DIさんからの連絡。
「このあとニュータへ飛ばなくちゃいけないんで…」
 と、わざわざ挨拶に来てくれた。
 DIさんのことだから、何もしないまま飛ぶはずがない。そう思って見ていたら、やはりというか、案の定というか、しめしめというか、2機で離陸した後で「せーの」で左右にブレイクして会場を沸かせた。まったく、どの口がKゾーさんに『このやろー、てめーいい加減にしろ』と言ったんだか(なーんてね)いえいえ、ぼくらは大歓迎ですよ。
          *       *       * 
 帰り道の渋滞の中、高速に辿り着くまで1時間、宮島のSAで小休止していると、DIさんからのメール。もう新田原基地まで行って戻ってきたとのこと、いーなぁ~飛行機は。 今回もまた楽しい思い出をいっぱい頂いて、満足満足の2日間。さあ次は戻り鰹が旨くなった、秋の襲撃に備えておかなくっちゃな。皆さん揃ってのご来高、首を長~くしてお待ちしております。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴26

防府北基地航空祭 その4  

 スタートが早かったから、夜10時くらいにはよゐこでホテルに戻っていた。翌日も「渋滞したらいかんき、6時半に出よう」なんてひっちさんにネジを巻かれていたし…てなわけで、やれやれ、6時前に起きてシャワーを浴びてから出発する。う~ん、朝一番の爆音で目覚めていた「やすらぎ」が懐かしい。田島門側の草地の駐車場に並んで開門を待つ。メイド服を着た不思議なパン屋さんが開店の準備をしている。その突き出されたおしりの先で、ひらひらしているスカートの端を眼で追いながら時間を過ごそうとする「ふ~ん、航空祭によって色んな違いがあるんだ」でも、間もなく飽きる。何もすることが無いんで、ただひたすらうだうだと時間を潰す・つぶす・潰す…。そしてやっと開門、誘導に従って滑走路の近くに車を駐め、そして会場目掛けて歩いていく。「ここは新田に比べれば近いですよ」とDIさんに言われたとおり、これなら歩いても半分くらいだ。でもやっぱり、帰り道はひどい渋滞なんだろうな。
 そして飛行教育隊?の建物に手続きを済ませて入り、皆さんに昨夜のお礼を言ってから特等席の屋上に上がる。そして思う。あれ?寒い。今日は天気になるはずなのに?と見上げた空にはどんよりと厚く低く雲が垂れ込めている。まだ朝早いし、そのうち気温も上がってくるさと、根っからの脳天気野郎は軽く運動して体を温める。
 やがて4機のT-7が優秀な低騒音のエンジンに包まれて、さらにバラバラバラとヘリが飛んできてオープニングフライトが始まる。T-7が華麗に機動飛行?を披露して、さあお待ちかねの10機のT-7による編隊飛行だ。天気はまだ回復しておらず、けっこう冷たく強い風が吹いている。井Uさん頑張れよと祈るような気持ちで見守る。ジェット機のような轟音が鳴り響くわけどはないから、編隊飛行といっても本当に静かだ。ブーンという耳の奥に残る余韻のような、粛々とした威厳に満ちた飛行だ。威風堂々なんていう言葉は、このためにある言葉なんだなと実感した。

 遠くの方でブワーンという工事現場のような音が鳴り響いている。見渡すと戦車(これって特車って言わなくちゃいけないんだっけ?)が唸りを上げて走っている。へーえ、後で見に行ってみよう。それにしても寒いな。5月も末になると、昼間に長袖が必要だなんて思わない。少なくともぼくが育ってきた環境ではそうだった、だから当然半袖シャツしか持っていない。我慢しよう…でも寒い、やっぱり寒い、我慢できない~えーい仕方ない下の出店へ行って何か上に羽織るものを買ってこよう。ついでに戦車も見てこよう。
 そしてちょうどのシャツを見つけた、軍物の厚手のシャツ1900円。よしよし、これでもう寒くないぞ。
 …でも幸せだったのは一時だった。
 初めて見るエアーロックの曲芸飛行に口をポカンと開けて見ていると、あれ少し天気が回復してきたみたいだな、青空が見え始めたよ。よしよし、ラッキー。しかし天気は、本当に急速に回復し、午前中の寒さは何だったんだっていうくらい暑くなった。ぼくの手には、今はもう単に場違いでお荷物でしかない、厚手の軍物シャツ1900円が残された。たぶん高知に戻っても、この先また冬が訪れるまで着ることは無いであろうこのシャツ、怒りの鉾を向ける先が無くて、ぼくは教官室でお昼のお弁当を頂きながら相手かまわず当たり散らすこととなった。もちろんみんな爆笑していたんだけど。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴25

防府北基地航空祭 その3  

 今回の飲み会で聞いておこうと思ってた、どうしても気になってたことがある。今年の戦競でF-4がオープン参加になったってことだ。代わってF-2部門になった?んだけども、このまま出てこなくなれば楽しみにしていた戦競塗装機も見られなくなるってわけで、時代の流れって言ってしまえばそれまでだけど、どうにもこうにも残念だし、まだしばらくは現役(F-X問題が長引きそうだから)が続くわけだから、少しでも長く続けてほしいわけだ、愛好者としては。…ということで、頭の中でもやもや考えていても仕方ないので、直接訊いてみた。すると、少しだけ希望の光が差し込んでくるような話が聞けた。要約すると、今年は那覇の部隊が百里に移ったので、準備が間に合わないから301だけのオープン参加ってことになったけど、来年以降どうなるかは未定ということらしい。未定って言葉が気になるが、可能性が『ゼロ』でもないから一応期待しておこう。
 2次会で連れて行ってもらった店は、古いレコードをたくさん揃えた、オジサンのハートを鷲掴みにして離さない場所だった。店の壁という壁、いたる所に懐かしいアイドルのポスターが貼られていて(これがファイターたちの書き込みや写真だったら、昔の「やすらぎ」っぽいななんて思いながら)通路脇には昔のレコード屋さんみたいにシングルレコードをタイトル順に並べたボックスがあり、「や」とか「な」とかインデックスで分けられて整理されている。個人的な理由から(どんな理由だ?)入ってすぐにトイレへ駆け込んだんだけど、真っ正面にはピンクレディの大きなポスター。ミィちゃんとケイちゃんが親指を軽く銜えていて、おねだりポーズでこっちをじっと見ている。う~ん、まずい、まさかこんな所に罠があったとは…(汗)
 カウンターに椅子が並んでいて、ここに腰掛けるようになっているんだけど、こんな店は立って飲んだ方が楽しい。そう言えば昔はこんな雰囲気の店や穴蔵みたいな店がちょくちょくあって、そんな所で馬鹿みたいに酒を呷ってたっけ。難聴になりそうなくらいに「赤い飛行船」や「深紫」・「転がる石」なんかを聞かせてくれる店が一番のお気に入りだったけど、だから今こんなにジェットの轟音に惹かれるんだろうか。
「選んでくれたら掛けますよ」
 マスターがせっかくこう言ってくれるので、ボックスの中をあれこれと掻き混ぜる。選んだ曲は「友よ」うん、思いっ切り「全共闘世代」のもので、かつて東大安田講堂が学生達によって占拠され、機動隊との激しい攻防の後に陥落する際、学生達が歌っていたといわれる曲だ。自衛隊員と飲むのに相応しくないとも思えるチョイスだけど、へそ曲がりのぼくは逆説的に敢えて選んでみた。
 ぼくらの世代って言うのは、こういった「全共闘世代」が暴れ回った後の政治的に去勢された世代で、政治の話をするなんて奴は、極端にいえばそれだけで危険視されるような時代だった。だからって結論付けるのは極論なのかもしれないけど、まあ政治に関心が薄れた人間に育つのは当たり前だし、今日の投票率の低下に繋がっているんだとぼくは思っている。
 話が脱線したんでまた元に戻すけど(こんな時には閑話休題って言えば良かったんだっけ?)この「友よ」っていう歌、地下で細々と活動を続けている人たちには申し訳ないけど、ぼくの心情的にはまさに今の自衛隊員に捧げる歌に思えてならない。これまでさんざん憲法と政治の間に生まれた私生児なんて言われて、色んな人たち(主にテレビの向こう側や活字の向こう側にいた人たち)からいじめられてきたんだけども、防衛庁から防衛省になって、今や具体的に9条の改憲の話まで出てきている。左の方の思想を帯びた教師から「〇〇くんのお父さんは、自衛隊という悪い組織にいる人です」なんていう、お前になんぞ人権を語る資格は無いわ~!!と喚きたくなるようなとんでもない話が伝説?として残っているくらい、これまでの自衛官は肩身の狭い思いをしてきているわけだから、今こそ大きな声で叫べばいい「夜明けは近い」って。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴24

防府北基地航空祭 その2  

 今回予約したホテルは2月にもお世話になった所で、まあ相変わらずの平日3900円と爆安ぶりだ。入るなりシャワーを浴びて、ベッドで手足を目一杯伸ばす。今夜の飲み会は、翌日の航空祭でのフライトを控えた教官が多いので、17時と少し早いスタート。場所はメインの通りから少し脇道に入った、うーん香りで判る少しお高そうなお店だ。
「山口ではけっこう鱧がとれるらしいんですよ、これまでは京阪神へ出すのが多かったんだけど、何とかこれも名物にして売り出そうという動きがあるみたいで、だから今日はこの鱧のコースを頼みました」
 DIさんがさらりと今日の料理を紹介してくれたけど、仲居さんも付いてくるような店で、う~んもう少しちゃんとした恰好で来れば良かったかも。
 人数はぼくらも含めて15人くらい。前にDIさんと一緒に高知を襲撃してくれたHSさんがお世話役で、集まったメンバーを見渡すと、その中に301飛行隊出身でブルーインパルス新メンバーのギャランさんの姿もあった。Kゾーさんの時もそうだったけど、ギャランさんのことも硫黄島移動訓練のDVDで、お茶目な姿も含めて散々見せてもらっているから初めてのような気がしない。ひょっとしたら皆さんの気持ちを越えて、勝手に打ち解けたつもりになって迷惑かけたかもしれない。
 ところでKゾーさんといえば、明日の航空祭で、F-4の2番機として飛んでくれるらしい。DIさんは「この前予行で飛んだんですけどね、ちょっとやんちゃが過ぎるんで、もう一回やったら注意してやろうと思っていたら、案の定来たんで『このやろーてめーいい加減にしろ』って怒鳴ってやったんですよ」なんて笑ってた。ぼくとしては、そんなやんちゃは『熱烈大歓迎』なので、どうかこればっかりはDIさんの言うことなんか聞くことないから、無類のやんちゃ振りを見せて欲しいって願った。Kゾーさん明日期待してまっせ!!なんてね。だいたいこんなこと言っちゃあ何だけど、これまで散々DIさんの『やんちゃ話』を本人から聞かせてもらっているのに(まあDIさんも幹部としての立場があるのは判るけど)説得力も何も無いよね、いや悪口じゃなくて良い意味での『男の心意気』なんて部分で。
 男の心意気って言えば、井Uさんが
「明日T-7の10機編隊で飛ぶんですよ。この10機っていうのは他じゃあたぶん見られない、うちだけじゃないかと思うんですけどね、自分この4番機で飛ぶんですよ。4番機って分かります?編隊のど真ん中なんですよ。他の機はね、右なり左なりに逃げ場があるんですけども、自分どこにも逃げ場が無いんッスよ。これって自分に『死ね』って言ってるのと同じようなもんです。だから自分、明日は死んだつもりで飛ぶんでしっかり見といて下さい」
勿論冗談なんだけど、確かに10機が編隊を組むとあのど真ん中は厳しいだろうな。これまで考えもしなかったけど、特にプロペラ機だと機体が軽い分、風の影響を受けやすいっていうことだし、井Uさんの気持ちになればとんでもなく神経を磨り減らす場所なんだってことがよく解る。こんな話を聞いてしまっちゃったから、この後は井Uさんに酒を注ぐペースが遅くなってしまった。まだまだぼくも甘い?
 甘いっていえば今回の飲み会での紅一点、W辺さんのこと。オープニングで飛んだ後で『後席は女性パイロットでした』なんて他の人のページで写真が紹介されたりしてたんだけども、おでこの広い聡明な、それはもうべっぴんさん。どうして正面からの写真を載せないんだ、とかちょっと文句を言ってみたりして。その美しさを具体的に語るのは難しいけれど、この教官なら厳しい言葉で指導してもらいたいなんて、少しだけぼくの中に眠っているMの血が騒ぎだす感じ、って言えば何となく分かってもらえる?かえって分からなくなる?ああそうだ、少し香椎由宇に似ている。ひっちさんだかが聞いた話では、飛行機が恋人の独身だとか。ただ残念なことに8月の異動で他へ移られるとのこと。
 異動って言えば、A樂さんだ。これまで「後で聞けばいいや」と思っていて、ふと気が付けばいつも酔いたくっていて、中々聞けなかった電話番号をと今回やっと聞くことが出来た。メールも聞いたんで、美保に転勤しても連絡をつけることができる。転勤のお祝いってわけでもないけど、自作の『べろべろの神様(ベク杯)セット』(うん、らしくもないけど、陶芸らしきこともするんだ)を渡すと、まあやはりっていうか当然っていうか早速人数がわらわら集まって、DIさんが後ろでイヤ~な顔をしているけど気にせずに、焼酎でガンガン飲み始める。少しでもA樂さんの思い出になってくれれば幸いだけど。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴23

防府北基地航空祭 その1  

 メキシコで発生?した豚フルエンザが猛威を振るっていても、対岸の火事よろしくノホホンとしていられた。話題の中心がアメリカに移っても、対策も取っているしまだもう少し先のことだろうと安穏としていた。ところが感染者が入国してきて、しかも大坂~!近い~!!となって、さすがにぼくの尻にも火がついた。このまま感染者が拡大し続ければ、防府の航空祭が開催されるかどうかの心配が出てきたからだ。
 思い返してみれば初めて行った美保基地の航空祭、次に行った新田原の航空祭、那覇基地の見学時と、初めての地には何らかの試練(そんな大層なもんでもなかったけど)が待ち受けていた。防府北基地へ行くのは初めてではないけども、航空祭へいくのは初めてなもんで、この豚騒動もその一環なんだろうなと諦めた。ただ希望の綱は、これまで幸いなことに完全中止っていうのには見舞われていないってことだ。この何の根拠にもならない実績?を頼みに、後はもうただ祈るしかない。
 実は今回、防府へ行かなくちゃならない理由が、航空祭以外にもう一つ出来ていた。A樂さんが6月1日付で原隊美保基地へ異動になるってことを聞いたからだ。昨年の夏に呉の大和ツアーで初めてお会いしてから、その年の秋の高知襲来、今年2月の防府出動と短期間のうちに濃密な親睦を深めさせてもらっていたので、これはぜひ石にかじりついてでも防府まで出掛けなくちゃいけないのだ。男として大事なことなのだ。虚仮の一念岩をも穿つって言うじゃないか、気合いだ!気合いだ!気合いだ~!!根性があれば豚フルなんぞ怖くない、念の力で山口県への侵攻食い止めてみせる。

 馬鹿には科学的根拠なんてものが通用しない。でもその馬鹿どもの念が通じたのか、豚フルは山口県に侵入することなく航空祭も無事開催されることになって、5月30日の土曜日また南国インターに雁首揃えたのは総勢4人。航空祭の前日に南基地でもイベントがあるってことで、気合いの入ったひっちさんが集合時間を4時に設定した。う~ん、眠いけど~。他は毎度のN川係長とK内くんだ。
 高速1000円乗り放題の恩恵に与って、橋を渡っても何と片道2000円。4人で割れば、ガソリン代を考えても1人頭2000円にはならないはずだ。これじゃあフェリーや鉄道なんか「やってらんない」てなことになるわけだ。ついでにフェリーも補助金を出して片道1000円なんてことをしてくれれば、ぼくらとしてはもっと嬉しい状況になるんだけども、そうもいかないか。
 あれやこれやと、むしろ目が覚めきらないうちに気が付けば(8時前だった)防府に到着していた。やっぱり他の人が運転してくれると楽ちんだ。「着いたよ」っていうメールをDIさんに入れて、車はそのまま南基地へと向かう。雲り空ながら天気は十分に持ちそうで、今日はけっこう暑くなるかもしれない。先にいくつか買い物を済ませてグランドの脇に並べられた椅子の最前列に陣取る、9時半から始まる新兵さんの観閲行進をみるために。
 やがてトッテケテートッテケテーという太鼓のリズムに合わせて、緊張した面持ちの学生さん達が行進してくる。一糸乱れぬ、う~ん美しい姿だけど、この緊張感の中で何時間も続けられると、この人数だし絶対に倒れる学生が出てくるなと思っていたら、やはり1人出てしまった。感心したのは、ちゃんとそう言うのに対処する教官?が後方に待機していて、まるで忍者のように後方から列の中に入っていくと、具合の悪くなった生徒だけをピックアップして何事も無かったかのように連れ去っていったことだった。学生さん達の目一杯頑張る姿は、確か900人くらいってアナウンスされてたから、1800個の瞳が日本の未来を見据えていて、ぼくの目頭を熱くさせた。
 式典の途中からは、ブルーインパルスの予行飛行が華を添える。聞き慣れたT-4の快音が美しくスモークを引いて「そう言えば今年からのメンバーに301飛行隊から1人加わってたな」なんてことを考えていた。
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 午後からは天満宮を参拝して、夜に向け?心身ともに清めてもらう。ちょうど結婚式をしていたので、これも何かの縁と陰からお2人の幸せを祝う。ホテルのチェックインまでの時間調整にのんびりしていると、階段の上段から和んでいる虎猫と目が合う。チッチッチと呼んでみると、面倒くさそうに少しだけ頭を上げて尻尾を高く振った。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴22

新田原の春風 その4  

 2次会にと予約している店は、1次会から歩いて5分と少しくらいの場所にある、DIさんや防府の鬼御一行様方と痛飲したバーだ。たった2階なのに、気の遠くなるような真っ直ぐで長い階段を昇った先にあって、暇なことを売り物にしている変なマスターがそこには居る。暇なことを売り物にしているくせに、最近ぼくが行く時はけっこう客の入りが良くって、だから今回はと手前から予約を入れてたんだけれど、果てしない階段を昇った後にドアを開けると、やっぱり満員だった。マスターが「ごめん」とか言いながら走り寄ってきて、ぼくは少し溜息をついて、秘密のドアを開けて更に階段を昇っていく。「下が空くまで上でゆっくりお願いします」なんて声も慣れっこになってるから「それまでダバダ(火振)を瓶ごと持ってきて、ダバダ好きの人(Kゾーさん)が居るき」って、こっちも遠慮しない。15畳くらいの畳の個室なので、バーの2次会っていうよりも1次会の延長戦みたいな気分。でも、EMさんは気に入ってくれた様子で
「ここやと、もう何か貸し切りみたいな気分になれますなあ」
と早速戦闘モードに。CYくんは去年新田原で飲んだ時には「酒はあまり強くないんですよ」なんて言っていたけれど、何が何が、今回は顔を真っ赤にしながらもかなり健闘している。Kゾーさんはダバダを抱えるようにしてガンガンの飲みっぷり。2月頭に防府北基地へお邪魔した時に撮影した、若かりし頃のDIさんの写真を肴に「うそ、可愛いやん」「ああ、ここのところに今の面影がある」なんて更にピッチが上がっていく。このことをDIさんに話すと絶対に「恥ずかしいから勘弁して下さいよ」なんて苦笑するんだろうなと妄想を広げて、事実防府北基地の航空祭でDIさんは、これとほぼ同じようなことを言って頬をボリボリ掻いたのだけれど、それはまた別の話。
 しばらくして「下が空きました~」って声がかかり、民族大移動よろしくグラスを持って階段を降りる。やっとこれで2次会が始まったっていう気分になる。
 やがて仕事が済んで駆けつけてきたK内くんも加わって、あちこちそちこち、あんな話やこんな話、きっと守秘義務にはかからないんだろうけど、色んな失敗談なんてのも聞かせてもらって、でも本人の名誉もあるし、あ~話したいけど話せない。
 ただひとつ、米軍との演習時の話で「自衛隊は『実戦を踏んでいない』ってことで軽く見られる」なんて悔しがってたけど、それは違うと思う。奴らが強いのはTVゲームの部分だけだ。ぼくの愛するF-4vsF-22のハードの問題だけだということ。例え実戦を踏んでいないとしても、じゃあ同じハードで闘った場合ソフトは互角以上に優秀だと思えるわけ(例えば、以前F-4とF-22が模擬空戦をした際に、F-4が撃墜位置に入ろうとしたもんだから急遽訓練が中止になったっていうヨタ話がネットか何かにあって、その話を新田の飲み会の時に聞いてみたんだけども、その時の現場で模擬空戦に参加していたという人の反応が「そんなことが起こりうる筈がない」なんて思いっ切り『完全否定』だったものだから、ぼくは密かに「ああ、事実なんだ」と今も信じているわけで、まあ米軍としても、最新鋭機が何かの間違いにしてもご老体のF-4に撃墜されそうになりましたじゃあシャレにならないわけだから関係者の完全否定も仕方ないことなんだろう)だから、もっと自信を持っても良いと思う。詰まるところ奴らの実戦(空に限定して言えば)っていっても、本当に血みどろの中に居るわけじゃあなく、単に図上演習の延長線上だけだってことだ。何故なら奴らはイラク戦争の時に、自信満々に最初の第一撃でフセインを葬り去ったと発表していたわけで、これが事実でないことは今や世界中に知らない人はいない。子供が大人とケンカしないように、自衛隊が実戦経験がないなんてことを今更持ち出してくるっていうのは、それだけ日本の自衛隊の存在感を無視できなくなっていることの裏返しってことにならないかな?

          *          *          *

 前回の話を蒸し返してしまうんだけど、何とか「やすらぎ」って復活させることはできないんでしょうかね?あの店の鮮烈さというのは、今でもぼくの脳裏に焼き付いていて、多分だけどもぼくだけじゃなくて、かなりの人数の故郷のようなものなんじゃないかと思う。思い入れなんかは、ぼくごときが口出しするのも失礼にあたるのかもしれないけれど、本当に失われてしまってからでは遅いような気がして。
 とりあえず、もしこれを読んだ人であの店に対する熱い思いがある人は、何かコメントを下さい。ぼくはあの店の、最後の数年間を知っているに過ぎないので、ぼくの知らないあの店を教えて頂きたい。多くの人が語ってくれれば、その思いは伝わるかもしれないし、伝わらなかった(復活しなかった)としても、そこで語られた言葉は多くの人の記憶として残っていきます。どうかお願いします。
 

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続・亡霊(ファントム)たちの宴21

新田原の春風 その3  

 その夜の宴会場は、先にも話したけれど鯨を食べさせてくれる店だ。鯨を食べるのは野蛮だとか、色々いう人がいるのは全否定まではしないけれど、これまでご先祖様から脈々と続いてきた鯨の食文化だから、食べたくない人にまで強要はしないから、どうかそっとしておいてほしい。
 というわけで、宴会場へと向かったわけだけれど、場所はといえば、がっかり名所として名高い「はりまや橋」の交差点から南側の通りを東の方へ行き、以前デパートが有った跡地東側の南北の通りだ。更にすぐ東側には、夏目雅子さんの「鬼龍院花子の生涯」で舞台となった陽暉楼(現、得月楼)がすぐ隣にある。予算の都合で陽暉楼での大宴会とはならなかったが、まあ映画の舞台のすぐ近くの店ってことで今回は勘弁してもらおう。
 店の近くまで行くと、向かいから見覚えのあるエンピツみたいな男が歩いて来る。なんとまあ、珍しいことに遅刻常習者のKHだった。感心かんしんと、頭を撫でてあげながら店に入ると、気の早い高知迎撃部隊は概ね揃っていた。

「かんぱーい!!」

 最初のビールを流し込んで、早速頂いた「金霧島」と「野うさぎの走り」を披露する。飲み放題だから、店の酒を飲んだ方が勿体なくないんだけども、せっかく良いお酒を持ってきてくれたんだから、酔っぱらってから飲んだのではそっちの方が勿体ないような気がして、一部の「えーっ、もう焼酎に行くがァ!?」などというお酒様に対して失礼な言葉は一切聞こえなかったことにして、さっさと段取りを進める。
「焼酎様に対して失礼になるき、水割りなんていう軟弱な飲み方はゆるさん!ロックで、男ならロックで飲まないかん!!横にチェイサー置いちょってもかまんき、ロックで飲みや」
 漢(おとこ)の飲み会に、民主主義などという邪悪な思想は通用しない。美味い酒と旨い肴、そして真っさらな腑(はらわた)をさらけ出す気持ちがあればよい。
 先ずは「サエズリ(鯨の舌)」を「酢みそ」で頂く。うーん、鯨喰いにはたまらん一品。これまでサエズリは日本酒しか有り得ないと思っていたけど、金霧もなかなかいけるちや。「どろめ」も「ぬた(にんにくぬた)」で食べるとシビレルき。寿司に鯨の刺身、鰹・鯨・うつぼのタタキが並び、みな順調に手をのばしてくれているので一安心。会話も弾み、気が早いながらも今年の新田原航空祭での飲み会の話になる。
「店の外になるんやけど、ホルモンのええ店があるんですわ。中やと、そら煙でモワーなって、とても居れたもんやないから、厚着して外でガー食うたら美味いでっせ」
 うん、どんな店か想像できないけども、なんだかEMさんの説明がえらく美味そうで、すっかりその気になって「今年も新田へ行くぞ、おー!!」なんて盛り上がる。そしてふと思い出して、聞いてみる。
「やすらぎってまだ復活してないですか?」
「うーん、体調が良うないみたいなんと、基地のもんなんかも、西都とか高鍋へ出かけるし、経営的にもキビシイかったかもしれんなぁ」
 時代の流れと言ってしまえばそれまでかもしれないけれど、ぼくにとっては、知り合ったファイターたちとの原点の店だけに、このまま終わらせてしまうのはあまりにも惜しい気がしてならない。
「EMさん、やすらぎ買い取りません?」
 ぼくの唐突な言葉にEMさんは一瞬キョトンとして、そして少し寂しそうに笑って
「いや、わしそんな金無いし…」
この言葉を聞いて、ぼくはとても嬉しくなった。ぼくだって本当にそうなんだ。できることなら、やすらぎ丸ごと買い取りたい。EMさんが西都に家を買って住んでいることを知っているのについ言ってしまったんだけども、その返事が「西都に家が有るのに、そんなもの要らない」じゃなかったことが、その夜ぼくにとって一番嬉しい言葉だった。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴20

新田原の春風 その2  

 今回高知へ来襲するメンバーが決まったのは、4月の22日のことだ。EMさん率いる新田原部隊3名で、DIさんは残念なことに今回は参加を見送った。DIさんが来られないのは残念だけど、5月末の防府北基地航空祭に出撃予定もあるので、あちらで痛飲するとしよう。

 5月9日午後2時30分、CYくんからホテル到着の報を受け直ちに出動。今回の新田原部隊で、あと1人シークレットだったメンバーは、ダバダ火振の好きなKゾーさんだった。3人にぼくのボロ車に乗ってもらい、とりあえず桂浜へ。坂本龍馬の銅像を見て、桂浜を散策して観光は終わり。今朝は4時ころに出発したとのことなので、ホテルでシャワーを浴びて夜間出撃に備えてもらう。
 ぼくも家へ戻り、戴いたお土産を確認する(あとでみんなに分けないといけないからね)金霧島って書いてある。へーえ、霧島に「金」っていうのがあったんだ。えーと、なになに…冬虫夏草がブレンドされてるってぇ!?うわ!何だかえらく高そうな焼酎じゃないか。うん?なんかもう一つ箱があるな、なになに…「野うさぎの走り」これは聞いたことがある(まだ飲んだことはない)たしか…皇太子殿下が愛飲されている「百年の孤独」っていうのも、ここが酒蔵だったよな。えっ!42度?あれ、知ってるのは確か30何度だったような…えっ、えええ!?
 すごく珍しい焼酎が並んで、ぼくは軽く腰を抜かした。
 今日集まる高知組が、この先一同に会することは至難の業なので、酒は飲み放題に設定していたけども、このお土産を皆で有り難く戴こうとぼくの独断で決める。店側には氷と水を用意してもらったら良いのだから、お酒を持ち込みにしても文句は出ないだろう。

 てなわけで、焼酎2本を抱えて自宅を出る。そして3人の泊まっているホテルの近くにある、日本3大がっかり名所のひとつとして有名な『はりまや橋』で写真を1枚パチリ。ついでにその横にある菓子屋さんが設置している(?だと思うんだけど根拠は無い)純信・お馬の観光用の記念パネル?から顔を出してもらい、もう1枚パチリ。

   
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続・亡霊(ファントム)たちの宴19

新田原の春風 その1

 桜はもうとうに散ってしまったけれど、春とはいえ夜はまだ冷え込んでいた4月の前半ある夜のこと、最近沈黙を守り続けていたぼくの携帯の自衛隊着信メロディが突然鳴り始めた。確認してみると、301飛行隊同姓同名のCYくんからで、去年の新田原基地航空祭以来の懐かしい声、しかも
「ご無沙汰しております。今度5月9・10日でEMさんと高知ツーリングを計画しています。防府のDIさんとも調整して、人数が確定次第また連絡します」
という、小躍りしたくなるような嬉しい知らせ。
 この話、実は去年の新田原でEMさんやDIさんと飲みながら話していたもので、最初3月中ということで調整していたものの諸省の事情により一旦立ち消えになっていたわけだ。「4月に入って再度調整します」という連絡はもらっていたけれど、みんな忙しい身だし、しばらく無理だろうかと諦めかけていた矢先の嬉しい知らせだった。

 ということで、早速段取りに入る。
 残念なことに初鰹の時期で、去年のDIさんもそうだったけども、あまり鰹の美味しくない時期になる。(中には初鰹が鰹の旬だと思っている人がいるみたいだけども、ぼくはやっぱり秋~冬場にかけての戻り鰹が圧倒的に美味いと思う。特に雄節とも言われる背中の身にポワッと脂がまわって、本来赤い色をした身の表面に脂でピンク色に染まった刺身なんかが出てきたらもう、う~ん堪りませんなあ!!)去年はDIさんの単身殴り込みだったので、塩タタキの有名店へ案内出来たんだけども、人数が多くて確定に時間がかかるとすればその店の予約(なんせ、とんでもなくオヤジが異骨相なもので)は難しい。前回防府の鬼御一行さまと行った店も悪くないのだけれど、新田原・防府の挟撃を考えると同じ店というのも芸がない。美味ければ何でも良いかというと、そんなものでもないだろう。やはり来てもらう以上は、高知らしい肴で快酔してもらいたい。しかし、う~ん、う~んと悩んではみても、出てくるのは汗と屁くらいなもので、かといって地鶏とかの店なら宮崎の方がよっぽど美味いんだろうし、手詰まり・八方塞がり・お手上げとはこのことだ。
 放心状態で虚ろな目で天井を見上げ、気が付くと「よさこい節」を口ずさんでいた。
  ♪~おらんくの池にゃ、潮吹く魚が游ぎよる~ヨサコイヨサコイ♪
 ああそうだ、この手があった。
 潮吹く魚=鯨(クジラ)これでも十分高知らしさは伝わるんじゃないだろうか?と考えた。何も馬鹿のひとつ覚えみたいに、かつお鰹カツオで無くても良いだろう。えーと、高知市で鯨をコースで食べさせてくれる店って言えば、うん、あそこしかないじゃないか。はりまや橋の近くで、今は無き百貨店の東通り沿いにあるところ。もちろん他にも鯨を食べさせる思いつく店はあったんだけども、料理屋っていうかお食事をする店という雰囲気なので、この亡霊(ファントム)たちの宴にはふさわしくない。
 場所の当てがつけば、後は迎え撃つ高知組の参加者を募ればよい。一斉に連絡をしてみれば、K内くんを除いて全員加勢してくれるとのこと。K内くんも「22:00まで仕事なので、それが済み次第出撃します」と男気を見せた。
 迎撃部隊が6名と概ねの人数が決まったので、店に連絡を入れて最大と最小の範囲を伝えて仮予約をする。後は宮崎・防府からの人数決定の報を待つだけだ。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴18

守る側の熱意と、守られる側の無関心

 興奮醒めやらぬ3人が、続いて連れて行ってもらったのは隊員食堂。あらかじめお願いして申し込んでいたものだ。この日のメニューは、メインが「うどん」か「ソバ」で、どちらかを選択できる。ドデカイお揚げさんが、二つ折りにされて上に覆い被さっている。これにご飯と、他には手羽を炊いたもの(1人3個まで)やサラダなどが付いて、なかなかのボリューム。
「ステーキとかの日じゃなくてすいません」
 なんて申し訳なさそうに言われたけど、いえいえとんでもない、もう十分に満足まんぞく。

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 食後の午後一番には、DIさんの引率で防府南基地へと連れて行ってもらった。ひっちさんからの情報で「お土産を買うには、北基地の売店よりも南基地の売店の方が種類が多い」というので来たわけだ。このためだけに飛行服から制服へと、DIさんをわざわざ着替えさせてしまったのと、南基地に着いた時間が、ちょうど売店が今からお昼休みに入ろうと店を閉めようとしていたところだったわけで、これをDIさんが無理を言ってくれて、ぼくらのためにまた開けてもらったりなんかして、非常に申し訳なく思った。ぼくらは無事お土産を手に入れてニコニコしたのだけれど、このように他の人に負担をかけるようなことは次からは気を付けないといけない。1度くらいなら無理は利いても、何度も続くとしんどくなるし、せっかくの良い関係が壊れたりしたら悲しいからね。

 充実した基地見学も最終コーナーを回り、ぼくらはまた第2教育隊のソファに座っていた。このころになると次第に図々しくなってきて、深々と腰掛けたりなんかしちゃうようになっちまってて、順応力が高いのか、ただ厚かましいだけなのかの判断は第3者に任せるとしても、物事には始まりがあれば必ず終りがあるんだし、ぼくの頭の中には帰り道の段取りなんかがよぎるようになっていた。ちょうどそこへ通りかかったのが第二飛行教育隊長のK林さん。そしてぼくらはK林さんの熱い魂にふれることとなった。

 先に断っておくけど、今からここに書くことは決してK林さん(他の人たちも含めて)の考えでは無いっていうことは判っておいてほしい。世間一般の話として色んな考え方や気持ちは聞いたんだけど、そんな話を聞かせてもらった上で、ぼくが思ったこと・考えたことなんで、誰かのストレートな話では一切無い。まあ、有り体に言えば、K林さんに、話してもいないことで迷惑をかけるわけにもいかないから、先に断ったっていうだけのことなんだけど、最近っていうのは、大声を出す奴とか、きれい事を振り回す輩ばかりが大手を振って闊歩する時代だから、何かにつけて面倒くさいってわけだ。
 前置きが長くなったけど、日本には国際社会の一員としての再軍備をどうするかという話合いが、もはや避けてとおれない問題となってしまっているのだと実感した。いきなり結論だと、唐突すぎて「こいつ馬鹿じゃねえの」なんて思われたかもしれないけれど、まあ順番に説明していくからもう少し待ってね。
 判りやすく言えば、今の日米安保っていうのは、会社を守るのに警備員を雇っているようなものだってこと。とりあえずアメリカっていう警備保障会社にお金を払って守ってもらっている(ここまで単純な問題じゃないっていう議論は、とりあえず置いとくとして)んだけれど、実際問題としてこの警備保障っていうシステムが機能するためには、それを上回る別のシステムが有って初めて成立するんだよね。
 つまり、〇〇警備保障っていう会社に警備を頼むとした場合、彼らが具体的にどこまで行動できるか(あてに出来るか)ということを考えると、一般社会で言えば、左翼思想を持った方達の言うところの「国家の暴力装置」である警察っていう強大な権力を持ったシステムの存在を抜きにして、警備保障会社は意味を為さなくなる。警察っていうのは、全般的な治安保障っていう意味はあるけれど、個々にまではとても365日行き渡っていないから、それを補うっていう意味(個別に守って欲しいっていう意味)で警備保障が成立するわけだ。つまり、警察の存在無くして警備保障会社は存在しないってことになる。
 この話が総て(=として)自衛隊にも当てはまるとまでは言わないけれど、ちゃんとした法的根拠に基づいた自衛隊であり、その上で在日米軍っていうことを考えないといけないわけなんだけれど、警察に与えられた実行力(法的根拠)に匹敵するものが備わっていなくてはならないのに、その辺りがあやふやなまま今度もまた海外へ(ソマリアの海賊の話だ)出そうとしている。政治家は何を考えているのか?こんなことも気付いていないのか?
 決して気付いてないって事は有り得ない。…となれば、自ずと答えは見えてくる。
「既成事実を作ってしまってから議論すればいい」
 これはぼくの勝手な妄想だけど、そんなにピント外れじゃあないはずだ。
 海外派遣にあたって法律を整備するよりも、現実問題として起こってしまった事実について議論した方が遙かに簡単だからだ。予想される問題について、~たら~ればの話を積み上げていくよりも、実際に自衛官を危険な目に遭わせてから(もっと言うなら、政治家とすれば何人か犠牲になることがあっても仕方ない、できるだけ派手にドンパチやってもらえれば、後は何人かに引責辞任させるっていうことで話が前に進む)にしようという魂胆がミエミエで、本当に政治家っていうのは汚いって思う。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴17

防府北基地大体験 参 (T-7アクロ再現)

 フライトシミュレータって言われても、実物を見てみるまでぼくの頭の中は、どうしても巨大なゲーセンの域を出ていなかった。DIさんに案内されて連れて行かれた建物の中には、中途半端な区切られかたをした部屋が2つあって、その片方の部屋の扉を開ける。扉の中は更に暗幕で閉ざされており、両手でくぐり抜けた先にそれはあった。鉄の階段を上がるとT-7のコクピット。5台のプロジェクターで映し出された風景は180度以上で、本当に滑走路にいるみたいだ(訓練で使うのだから、当たり前なんだけれど)コクピットから身を乗り出して下の方を見てみると、ちゃんと翼だって映し出されていて、すんごいリアルさ。
「それじゃあ、ゆっくりと離陸してみて下さい」
 DIさんは事も無げに言ったけど、自慢じゃあないが、こちとら生まれてこのかた一度だって操縦なんてしたことが無いやい。ええい、ままよ。スロットルを開けて滑り出す機体。速度が増してきて「はい、ゆっくりと操縦桿を引いて」なんて言われたからグッと引いてみると、忽ち赤いランプが点灯して映像がストップした。どうも強く引きすぎたようだけど、幸い学生じゃないから、DIさんのカミナリは聞かなくて済んだ。
「スロットルの調整も私がしますんで、操縦桿だけゆっくりと引いて離陸しましょうか」
 なんて、もう涙が出るくらいに優しくて、聞いた学生から羨ましがられるかも。
 2度目は慎重に操縦桿を引いて、何とか無事に離陸を果たす。ゆっくりと右旋回、左旋回。景色がぐるぐると回って、いや~本当に楽しい。もしこれを、ちっちゃい頃に体験していたとしたら、絶対に「パイロットになる!!」って宣言しただろうな。
「じゃあ、この前私がやったやつ、やってみましょうか」
 おもむろにDIさんがこう言った。あのネットでも有名になった、新田原から帰投するT-7のローパスを、パイロットの視点から体験できるわけだ。Gこそかからないけど、こんな幸せなことはない。しかも、あのローパスをした本人が後ろで操縦桿を握って、あれをやるって言っているのだから、正真正銘の本物だ。ぼくは密かに驚喜し、これから起きることを一瞬たりとも見逃すまいと、腹に力を入れて身構えた。
          *          *          *
 機体をゆっくり旋回させながら降下していくと、不思議なことにばっちり滑走路前へ出る。DIさんは、そのまま機体を滑走路すれすれの高度に合わせると、そこから加速して、そして右へ急旋回。計器の赤いランプが点灯し、ヘッドフォンの中に警告音がこだました。グルッと270度旋回しながら機体を立て直して、再度滑走路に向け突っ込んだら、たちまち急上昇し、そのあと捻りを入れられて空と地上がぐるりと回ると、ぼくの三半規管はふにゃふにゃになってしまった。乗り物にはかなり強いつもり(車の助手席で、地図と睨めっこしたりするのは平気なもんで)でいたんだけれど、まったく何がどうしたっていうくらいで、このあと更に2~3回転プラスされてたら完全に「参った」してたかもしれない。


          *          *          *
「う~ん、少し気持ち悪い」
 と素直な気持ちをマイクに漏らすと、ヘッドフォンにDIさんの高笑いが響いて
「どうしても感覚が違いますから、私もこれ(シミュレータ)だと気持ち悪くなりますよ」
なんて慰めてもらった。でもまあ、滅多にない機会なんだからと、自分の三半規管に気合いを入れて、この後の縦ロール(少しぶれちゃったけど)を体験し、何とかその後の着陸へとこぎ着けた。全部で15分少々だったかな、本当に貴重な体験をすることが出来た。
 ところで飛行機を停止させるのに、左右のフットバーを同時に思いっきり踏んづけるんだって知ってた?この時どちらかが弱かったりすると、飛行機が右に行ったり左に行ったりで、グニュグニュして上手く止まってくれない。かなり強く長い時間(のような気がするだけ?)踏ん張ってたから、それまでにたっぷりと緊張しっ放しだったふくらはぎが、もう少しで痙るところだった。いや~、それにしても楽しかった。「もう一回行きますか?」なんて声をかけられたら、即座にOKしてたはず。
 あとの2人も続いて体験する。「もしかしたら、パイロットに成れるかもしれん」シミュレータを終えた後でひっちさんなどは、もうすっかりその気になっていた。

 ぼくらの隣にあった部屋の中にも、これと全く同じものが設置されていて、そこでは学生さんが訓練に励んでいた。飛び入りで見学させてもらうことになり、若鷲の元気な飛ばしっぷりを見させてもらったのだが、入室して間もなくDIさんがイタズラを仕掛ける。シミュレータの後席には、色んな設定の変更などが行えるパネルが設置されていて、これを何やらつつき始めたのだ。もちろんぼくらには、何を仕掛けているんだか全く判らない。一緒にいたメーカーの人に説明を受けて初めて、DIさんの悪魔っぷりを理解する。最初は小さなトラブルを起こし、気付かなかったので次にエンジンから火災を発生させた。ここで学生さんも気付いたのだけれど、日頃の訓練の賜物で見事適切に対処して切り抜ける。DIさんから褒められてほころんだ口元に、誇らしげに成長した若鷲の未来の姿が見えた。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴16

防府北基地大体験 弐

 教官室に通され、ソファーにどうぞっって言われるけれど、勝手が分からないから座ってもしばらくはお尻の下がむず痒い。少し休憩してから連れて行ってもらった先は、訓練指揮所(みたいな名称だったと思うけど?あまり自信はない)で、ここで色々と説明を受ける。
「今やっているのは、いわゆるタッチ・アンド・ゴーの訓練です」
 なんて説明を受けて、しばらく見学する。4機のT-7が、順繰りに訓練を続けている。ジェットに比べると速度もゆっくりだし、音も静かだから、見た目はなんだかのんびりと見える。ふわ~っと降りてきて滑走路に着地、一旦緩まった速度を加速させてまた大空へと舞い上がっていく。天気の良さも加わって、ものすごく気持ちよさそうだ。そして、また次のT-7が降りてくる。ぐるぐるぐるぐる繰り返し。どこかで見たことのある風景だと考えていて気が付いた。自動車学校の教習所を眺めているような雰囲気なんだ。自分が初めて教習所でハンドルを握った時のことを思い出しながら、彼らのことをもう一度見てみる。今度は一転、彼らの大変さが伝わってきた。後ろには恐い恐い教官が座っているし、ぼくらには聞こえないけれど、きっとあれやこれやと矢継ぎ早に注意や質問が飛んできて、操縦はしなくちゃいけないし、質問には答えなくっちゃあいけないしで、続けてパニックを起こしちゃえば「適正無し」なんて言われたりもするのだろうから、これはこれで相当に大変な戦場なんだろうなあ。教官から
「アイ・ハブ(怒)」
なんて言われた日には、おしっこちびっちゃうよね。
 でも、見た目はあくまでものんびりと、如月の風の中をふわりふんわり飛んでいる。

 格納庫や建物の屋上なんかにも連れて行ってもらい、また違う角度から訓練を見せてもらう。格納庫近くでは、次に訓練に入る学生達が行っている飛行前点検の様子をしばし見学。
「彼らはもう、かなり慣れてきてるので、点検も30分くらいで済んじゃうんですけどね、一番最初はそりゃあもう、点検ヶ所を覚えるだけでハゲが出来ちゃいそうになるくらい大変で、時間もかかるし…」
 そう言われてみれば、どことなく手慣れたように感じられる。まあ、余裕かましていたら、その雰囲気を察知した教官に、こっぴどくやっつけられちゃうんだろうけど。
 屋上へはA楽さんの案内で向かう。そう言えば、A楽さんの飛行服姿って初めて見るけど、うーん私服よりもピタッと違和感なく見えるのが、さすがだなって思う。屋上には、基地周辺の地図が描かれていて(Mさんとかの力作らしい)、飛行学生はここでぶつぶつと独り言をいいながら地形を覚え、飛行手順なんかの復習をするのだそうだ。そうだよね、車なら道路があるから、少々道を知らなくてもそんなに迷うこともないけれど、空の上だと地上の目標物と計器だけが頼りだから、一度間違っちゃうととんでもない所に向かって行くことになるよね。間違ったとしても、そこに飛行場が有ればなんとかなるかもしれないけど、飛行場ってそんなに都合よくそこかしこに作られてないから、大概の場合生命に関わってくる。だから教官達は、学生をとことん絞り抜くんだろう。妙に物分かり良くして優しくするのは簡単だけど、難しい局面に遭遇したとしても、慌てず適切に対処のできる人間に育て上げるためには、心を鬼にして、むしろ本当の鬼として彼らの前に立ちはだかる必要があるんだろう。
 ブリーフィングの様子も見せてもらった。井Uさんが、学生に質問を浴びせかけている。
「飛行機は、どうなったら落ちるんだ?」
「…燃料が尽きると落ちます…」
 これだけ書くと馬鹿みたいな会話だけれど、ここに至るまでに井Uさんが学生に仕掛けた、ありとあらゆるトラップを含んだ会話があったわけだ。学生は教官からの質問を精一杯の力でかわそうとする。でも教官はそんな回答は端から判りきっていて、すぐさま弐の矢を放つ。こんなことを繰り返していくうちに、学生の脳みそはぐらぐらと脳震盪を起こしそうになって、論理立てた話が出来なくなっていく。そこを更に教官が攻め込む。本当に鬼のような話だけども、ここまでしないと、いざという時に空の上では生き残れないんだろうな。ついこの前も、ハドソン川に不時着して全員の命を守ったっていうパイロットの話があったじゃないか。もっとも、逆噴射~!!とか喚いて、旅客機を墜落させちゃった人も居たけどね(話が古すぎるか)

 そして、ついに遂についに~、今回のメーンイベントであるT-7のフライトシミュレータ体験の時間を迎えた。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴15

防府北基地大体験 序

 一体どんだけ飲んだのかよく覚えてないけども、喉が渇いて目を覚ますとホテルのテレビが点いたままだった。ベッドの上で酷い恰好をして寝ている自分に気が付いた。時間は午前3時。確か正門前に9時の約束だったから、7時半ころに起きて8時くらいに出発して、朝飯食ったら丁度かな。とりあえず水を飲むことにする。寝られない、寝られない、もう寝られない。困ったどうしよう、こんなことじゃあ今日の午後にはへたばっちまうぞ。…って思ってたら、6時くらいになって突然寝ることが出来た。
 そしてぼくの感覚的には、次の瞬間にもう目覚ましが鳴る。
 しばらくぼんやりして、そして気付いて大慌てでシャワーを浴びる。よし、結構目が覚めてきたぞ。用意をしてたら予定より5分も早く呼びに来られる。まったく、あんまり早起きだと、年寄りって言われちゃうよ。
 知らない町の知らない道路を走っていると、色んな事に気付かされる。屋根の瓦がピカピカしてたり、ガードレールが黄色だったり…防府の町中で思ったのは
「やたら道路幅広くないですか?」
「うん、言われてみたら広いにゃあ、明らかに高速の道幅より広いでねえ」
っていうことだった。優に片側4メートルくらいは有りそうだった。何でこんなに広いんだろう?不思議。
 西都でも入ったファミレスを見つけたので、ここに入り朝飯にありつく。得意の玉子かけご飯で人心地つけると、ドリンクバーで梅昆布茶を見つけて「あー、酒呑んだ朝はやっぱり昆布茶やねえ」とジジイに成り下がる。基地はもうすぐだ。

 正門の前で一旦止まって、中のDIさんに連絡をとっていると、警備の女性自衛官に不審そうに見られてしまった。緑の制服だから陸上の人だ。これがアメちゃんだと、とっくに銃口をこっちに向けられてるんだろう、多分きっと絶対。
「受付には話とおしてますから、駐車場に入って声かけといて下さい。そっちへ迎えにいきますんで」
 言われたとおり受付に居た人に話してみると、見事に話がとおっていた。DIさんが古畑任三郎ばりに、自転車をぎったんばったん漕いで迎えに来てくれるまで、しばし警備の女の子と変な顔でにらめっこ、笑ったら負けよアップップ。きっと頭の悪い奴だと思われたんだろうけど、向こうが先に視線を逸らしたから、先ずぼくの1勝。
「それじゃあ、私に付いてきて下さい」
 こういうDIさんに付いていこうとすると、さっきの警備の女の子がもの凄く不安そうな顔でDIさんを見ている。その顔には
(こんな馬鹿、基地に入れて大丈夫なんですか)
って書いていた。まあ、半分当たってるけどね。ただ悪いことはしないから安心してね。 …なんてことを考えながらDIさんの後ろに続く。基地内のあちらこちらが珍しくて、キョロキョロしながら走っていると、前を走るDIさんに突っかけそうになって、なんてことはない早速騒ぎを起こしそうになって苦笑い。これでDIさん跳ねちゃったらシャレにならないからしっかり前を見る。でも集中しようとすると、他の2人が歓声を上げてぼくの気を散らす。やい、これでもしDIさんの身に何かあったとしたら、2人の責任だからな(笑)って責任回避をしながらも、教育隊へ何とか辿り着くことが出来て、DIさんは密かに命拾いをし、ぼくは犯罪者と呼ばれなくてすむ。
 着いた所の正式名称は、航空自衛隊防府北基地 第12飛行教育団 第2飛行教育隊っていう場所。ところで、自衛隊関係の言葉って文章にしようとした時、とんでもない誤変換の嵐になったりすることがあって、よくよく確認しとかないと、気付かないままアップしたりすると、笑えない漢字になってることがある。今も「ひこうきょういくたい」って入れて変換すると「非行教育隊」ってビックリするような誤変換をしてる。これじゃあまるで、少年鑑別所みたいじゃないか。先に「ひこうきょういくだん」って入れた時には、ちゃんと「飛行教育団」って出たくせに、有名某社の〇TOKって妙にユーザーを気遣ってくれる機能があるから、時々逆にそれが気疲れの種になったりすることがあるよね。同じ様な単語なのに、何で違った変換になったのか原因不明、何でだろう。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴14

曇り時々晴れ、風強し(防府の鬼さまとの宴)

 天気予報が「雨は前日までで、出発の日には回復するよ」って言ってくれていたので、あまり心配はしてなかったのだけども、それでも朝に天気を確認して降ってないのを見て安心した。ひっちさんが急かすものだから、出発時間が1時間近くも早くなってしまった。気持ちは分かるけど、今日はもう観光するわけでもないし、ホテルにチェックインしたら夜(勿論、飲み会)に向けて休憩するだけなので、あまり早く着いても困るんだけど…
 そんなこんなで、横風と闘いながら後は高速道路をひた走る。休日の昼間割引で半額で済むとは言っても、100キロごとにインターを出入りするのは結構面倒くさい。早く「何処まで乗っても高速料金1000円」にしてくれないだろうか。
 早く着いても困るんで、途中休憩を増やしてサービスエリアに寄ってみると、何だか2割引っていう旗がヒラヒラ揺れている。へーえ知らなかった、月の第1日曜日には、こんなサービスしてる所もあるんだね。ちくと(ちょっと)お得な気分。

 高知を出てから約5時間、ほぼ当初の予定通りにホテルへ着いて、DIさんに連絡を入れる。ひとっ風呂浴びてベッドでウトウトして、そして午後5時半にホテルまで迎えに来てもらい、DIさんの官舎へ車を駐めた後は、歩いて防府北基地近くの飲み屋さんへ。一見普通の民家にしか見えないその店は、隊員様御用達のお店だそうで、お馴染みさんだけに当然サービスも満点らしい。
「ここが若鷲達が巣立つまでの揺り籠か」なんてキョロキョロしながら席に着く。ぼくの右隣はTIさん。左にひっちさんが居て、その左に初顔合わせとなるMさん。向かいに回ってA楽さん、DIさんときて、うちのN川さんが居る。ぼくの向かいは年末に高知へ来ていた井Uさん。そしてその左側が特別参加(決して本人の希望ではないのだろうけど)のF澤jr。うちの会社のF澤さんのご子息だそうな。勿論初顔合わせ。

 ビールで乾杯した後、美味い日本酒があるからと「冷や」でぐいぐい始まった。しかも容れ物がでかいの何のって、どうかすると5勺くらい入っているグラスが飛び交い始めた。今日で飲み会が4日連続していると、珍しくメールで弱音をはいていたDIさんは、さすがに今日はマイペースで乗り切ろうという腹づもりか
「いや~、ワシもう少しこれ(ビール)でいいですわ」
と様子見の体勢。
「これ、開けちゃって良いですか?」
 そんなDIさんの様子を見ていたわけでもないのだろうけども、TIさんがこう言ってぼくらがお土産(退官記念も含めて)に渡していた紙包みを手に取った。
 中身は勿論「べろべろの神様セット」(本当は「べく杯セット」っていうんだけども)で、天狗・ひょっとこ・おかめの杯と、どれで飲むかを決めるコマが入っている。コマを回して軸の向いた方に居る人が、その時に書かれていた杯で酒を飲むという趣向。一番小さいのは「おかめ杯」で、これは酒を注がれても一旦机に置くことができる。次は「ひょっとこ杯」で、ひょっとこの口の先に穴が空いていて、そこを指で塞いでいないと酒が漏れてしまうし、また大きさがおかめの1.5倍以上はあって、中々飲み応えがある。最後の「天狗杯」ときたら、ひょっとこの更に倍くらい入るし、まあ天狗っていうくらいだから、鼻がにゅーって突き出してるから飲み干すまでず~ぅっと手で持っていなくちゃいけないっていう、まさに酒呑みの酒呑みによる酒呑みのためだけのアイテムと言える。
 外包みを開けてガサガサと中を見始める。紙に包まれた杯が姿を現し、それを横目で見ていたDIさんが思い切りイヤ~な顔をして
「どうしてそれを開けちゃうんだろうな~」
って言う。でも、もう遅い。そんな言葉は一切聞こえないかのようにTIさんは立ち上がると、杯を持って一旦姿を消して、そして少ししてから「洗ってもらってきた!!」と嬉々として杯をひとつひとつテーブルの上に並べていった。さすがにこれが始まると、冷や酒は危険が危ないことを痛いほど知っている土佐っぽは、酒を燗酒に変更してもらい、無制限1本勝負、さあ、宴のゴングが鳴った。
 このお土産を、TIさんがここまで喜んでくれるとは思っていなかったので、何だかぼくまですごく嬉しかった。もうすぐ退官だっていうのに、子供のように目を輝かせながら
「本っ当に有り難うございます。いやぁ、こんな楽しい物もらっちゃって」
なんてまたコマを回している。DIさんも徐々にペースが上がってきて、美味そうに杯を飲み干していく。釣り好きのMさんは、大物釣りの本領発揮で天狗杯の大当たり。しかし、磯焼け?の黒い顔がチョットだけ赤くなったかなっていうくらいで、本当に強い強い、前世は土佐の男だったのかも知れない。井Uさんは「日本酒は苦手で、ビールが好きなんです」なんて言っちゃってたけど、べろべろの神様の前でそんな嘘は通用しない。井Uさんがコマを回しても回しても、ちゃんと軸は井Uさんの方を向く。な~んだ「日本酒苦手」って、本当は「饅頭恐い」なんだ。
 失敗したのは、今回もA楽さんとゆっくり話せなかったこと。もっとゆっくり、差しで飲みたかったので、次こそはヨロシク!!そしてC-1時代のこぼれ話など、いくつか忘れずに聞かせてもらうぞ!オーッ!!

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続・亡霊(ファントム)たちの宴13

防府へと続く道

 今年も無事に新田原基地航空祭は終了し、先に書いたDIさんのど派手なT-7によるローパスに満足してぼくらは帰途に就いた。そしてまだ基地から出て間もない16:29、DIさんから早くもメールがきた。
『長い道中お気を付けて。帰りのローパスは、あれがT-7の限界です(笑)あと、帰投中姫島北海上にて、〇〇〇〇〇を〇〇〇〇しました(原文には伏字ありませんが…)』
 けっこう、この伏字の部分が面白いのだけど、ここもまあ、大人の事情ってやつで、勝手に妄想を膨らませてみてもらうしかないわけだ。
「いいよな、飛行機は速くて」
 なんてボヤキながら、こっちは渋滞の中ごそごそ進んでいる。早く大分向けに高速道路が抜けてくれないかな、なんてあと何年かかる話だか。

「新田原が済んだら、そのまま九州を北上して防府を襲撃しようか」
 防府の鬼御一行様がご来高中に一度は冗談で盛り上がったが、まあ当然と言えば当然の話、そんなに景気よく皆にポンポン休みをくれる上司はおらず、また皆が抱えている仕事の方もそんなわがままを許してはくれないわけだ。まあ、この渋滞だから、現実問題として、このままの勢いで防府に向かっても、到着は一体何時になるんだってわけなんだけれども、でもこのメールで、「近々防府に出動するぞ」という気持ちが再燃してきた。
 それにしても今年の渋滞は、例年に増して酷いような気がした。来年以降の反省点として、もっと融通の利くエスケープルートを考えておこう。やっと臼杵に辿り着き、20:40のフェリーに間に合ったが、乗った隣のフロアが同じ航空祭帰りの組。興奮しているのか、酒も入ってガヤガヤとやかましい。いい年こいたオッチャンなんだから、もっと周りにも気を配ろうよ(怒)

 高知に戻ってからは、しばらく良い子で働いていたけれど、何か忘れているような気がしていた。何だろうって考えていたら、ポンと出てきた。
「ああそうだ、防府の誰かが年末に家族旅行で高知に来るって言ってた」
 誰だっけなと考えて、井UさんかHSさんかのどっちかまでは絞れたけれど、酔っ払っていたのでこれ以上は自信がない。N川さんやひっちさんにも訊いてみたけれど「ああ、そうそう。あの時来るって言いよった言いよった。う~ん、けんどどっちの人やったろうのう」との答え。そこで仕方ないから、失礼ながらDIさんに訊いてみた。
『年末、高知旅行を計画しているのは井Uです』
 期間は12月25~26日。でも家族旅行で子供さんも一緒って言ってたなあなんて、少しずつ思い出しながら、ぼくのアドレスを教えてもらってメールでやりとりする。
 そこで聞いた旅程は、残念ながら四万十市の方で1泊するだけで、高知市は少し観光するだけとのこと。まあ、仕方ないか。次回ゆっくり来てもらうこととして、待ち合わせ場所で少し話しただけで、お土産を貰って別れた。やはり一度TIさんが退職される前に防府出動を真面目に考えなくっちゃな。

 …という長い長い前振りで、やっと今回の『防府基地出動計画』の開始となる。
 TIさんが、2月半ばには退職準備に入り、防府を離れられるということをDIさんに教えてもらったので、それまでに何とか約束を果たさなければならないと、調整を始めたのが1月の半ばころ。人数を確定して、宿の手配のことも考えると、どうしても早くて1月の月末辺りか、2月の頭くらいになる。この季節忘れてならないのが、高知と防府の間には四国山地が聳えているということ。高知って聞くとすぐに「南国高知」っていう単語が浮かぶ人が多いと思うのだけど、温暖なのはあくまでも平野部だけで、山地の方はけっこう雪が降る。勿論、北国の人から言わせれば「そんなもの雪が降ったうちに入らねえ」なんて言われるのだろうけど、まあ高知人の常識の範囲でものを言えば、この時期っていうのはとにかく雪が降る。雪が降るとどうなるかっていうと、高速道路が通行止めになる。通行止めになると海岸線沿いに向かうしか無いわけだが、これがとんでもなく遠い。徳島回りで瀬戸大橋を渡ろうとすると、瀬戸大橋に辿り着くだけで絶対に防府までの最短時間以上はかかる。だから、危険性の高くなる2月半ば近くになっての出動は回避したいとの思惑も絡んで、結局2月1~2日という日程に落ち着いた。宿はドタキャンしてもキャンセル料の発生しないホテルを選んで、ホテル側にも「雪が降ったらドタキャンになるかもしれません」って正直に話した上で、快諾してもらってから予約した。しかし、シングルルームに1泊して3900円(土日割引)って、いくら素泊まりだからって安過ぎない?出動するのは、N川さん・ひっちさんとぼくの3名。果たしてぼくらは、無事防府に辿りつけるのか。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴12

ニイタカヤマノボレ1207

 目覚ましにかけていた各人の携帯電話のアラームが、あちらこちらで一斉に鳴り始める。スコンと晴れ渡った新田原の空を見上げながら、大きな背伸びをする。宮崎へ初めて来てから5年連続の好天に感謝。体調もすっかりとまでは言えなくても、今日一日くらいなら大丈夫な感じ。宿の食堂へ行き、生卵をくちゅくちゅとかき混ぜて醤油を垂らし、熱々のご飯に流しかける。腐れ豆(納豆)のパックを向かいのK内くんに押しつけて、焼きシャケ(サバだったっけ?)をつつき、味噌汁をすすると一気に内臓が動き始める。
 -さあ野郎ども、出動だ。

 色々と知恵を働かせて、渋滞の道を避け正門の方に回り込む。よしよし、無事に入れたぞ。車を駐めてポクポク歩いていく。航空祭の会場であるエプロンを歩いていて違和感を感じた。何だろう?ああそうか、今年はエプロンに売店が並んでいないんだ。
 こうしてみると、新田原の航空祭も毎年何かが変わっている。
 先ず滑走路の南側に入れなくなって(ついに行かず終いだったけど…)次にエプロンに並んでいた売店の内容が貧弱になってきて(ような気がする)毎年飛行隊のTシャツを買うのが楽しみのひとつだったのに、去年あたりからすっかり姿を消していた(ぼくの捜しようが悪いだけかも知れないけれど…)今年に至っちゃあ、301関連を扱っている店などホンの少しで、かろうじてケロヨンのトレーナーを手に入れたに留まった。
 でも、実物の今年のファントムはゴキゲンだった。
「昨夜はご一緒出来なくてすいませんでした」
 隊の廊下でバッタリ出会ったZTさんが
「今年のF-4の機動飛行は、15にも負けないくらいグリングリンいきますから。期待していて下さい」
と話していたが、本当にそのとおりだった。
 隊長がイケイケなのか、今年のライダーが特にやんちゃだったのかは判らないけれど、この何ヶ月か前の他の催し会場でも、N川・ひっち両名がファントムのイケイケ超低空飛行、やんちゃぶりを目撃している。
「いつもより、多く回っています!!」
 空からそんな声が聞こえてきそうな飛びっぷりで、話に違わずグリングリンいっていて、とても用廃が始まったとは思えない。その姿からは、若々しささえ感じられる。「まだまだ、あと10年はいける」こう無責任に言おうとして、ふと思うことがあった。下から眺めているだけの自分から離れて、上で舞っているライダーたちの気持ちになってみた。

「翼っていうのは、飛行機にとってどうしても必要なものって思っていません?翼が無いと空に上がることができないって…。でもね、F-15っていうのは、翼なんて必要のない飛行機なんですよ。まあ、安全に曲がったり着陸したりするのに要るから仕方なしに付けてるみたいなもんでね、エンジンのパワーだけでどこまでも昇っていけるんです、燃料が尽きるまではね。その点うちのF-4はパワーが無いから、手前から勢いをつけて、せーので行かないと昇っていかないんですよ」
「あのな、この前F-2やらいうもんに乗ってみたんやけどな、ありゃほんまゲーセンやな。操縦桿なんか(といって右手を右斜め前に出して)こんなところにあんのやで。ほんで力なんかゼンゼン要らんのや。F-4のつもりで捻ったらやな、ガー曲がりよんねん。あんなんに乗ったら、アホらしいてF-4乗ろうなんていう奴出てきぃひんようになるわ」

 かつて話してくれたライダーたちの声。今の飛行機に対する憧れや嫉妬も当然含まれていて、弱音のようにも聞こえるけれど、でもその実、F-4をそんな飛行機にも負けないように飛ばせようとして日夜格闘しているぜ、っていう自負が感じられる。もし、新しい飛行機に白旗を挙げてたとしたら、先の話なんて絶対にしないと思う。
 つまり、上空で他の飛行機に負けないように飛んでいるファントムの中でライダーたちは、他の飛行機の何倍も汗やら涙やらにまみれて訓練し、そして今も何倍も苦心しているんだということ。でも、そんなことをおくびにも出さず、彼らは舞い、そして涼しい顔で戻ってくる。
「やる気・元気・負けん気…この3つがあったら、どんな相手でも何とかなるもんですわ。」
 飛行班長時代のEMさんから聞かされた言葉が、彼らの原点。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴11

亡霊たちの宴2008 その2

Em 時間は少し前後するけれど、飲み会が始まって少し遅れてEMさんがやってきた。春日基地から新田原に戻ってきていたものの、飛行隊勤務ではないので色々とストレスを溜め込んでいるのか、髪に白い物が多くなってきた。EMさんにはファントムがよく似合っている。それだけに、早く飛行隊長で戻って来て欲しいと思うのは、ぼくの独り善がりじゃあない筈だ。酒を注ぎにいった時、飛行隊長の話は無いか、さり気なく訊いてみたけども
「そんな話、全くありまへんわ」
と、残念な即答。まあ、元気にお酒が飲めるっていうだけで良しとして、この話はいつかの楽しみにとって置かなくちゃね。
Photo_2 EMさんの隣に座っていたのが、元ブルーインパルス飛行班長のAMさん。4年前、初めて「旧302飛行隊会」へ乱入させてもらった時に会って以来の懐かしい顔。初めて会った時には、凄みが前面に出ていて(酔っていただけ?)ゆっくり酌み交わすことが出来なかったけれど、今回は少し丸みを帯びた雰囲気(まだ酔っていなかっただけ?)で一緒に飲ませてもらうことができた。
 今年の奇跡は、1次会でだれも轟沈しなかったこと。おかげで2次会に呼んでもらうことができた。しかし、これがDIさんの仕掛けたトラップだということに気付く者は、ぼくらの中にはだれも居なかった。
 

「だからさ、失敗したことは本人が一番よく分かっているんだよ」
 連れて行ってもらった2次会のスナックで、PYさんが神妙な面持ちでAMさんの話を聞いている。そこへトイレを済ませて通りかかったぼくが乱入する。PYさんがぼくの肩に腕を回しながら
「このAMさんは、本当にスッゲぇんだから。もうホント!神様なんだから」
って説明してくれる。ぼくにとっては、4年前の初対面の他はJ○ィングとかの本に紹介されている姿でしか知らないAMさんなんだが、PYさんの姿を見ているとその人柄が想像できる。世間一般的な話をすれば、もう十分にオッチャンの部類に入るPYさんなんだが、それがもうAMさんの前では、母を訪ねて何千里でやっと母親に出会えたマルコみたいにウルウルしている。ただ単に操縦が上手いとかだけの人なら、こんな風にはならないはずだ。
「そこでさ、本人に気付かせるように考えさせるわけさ。こんな時、お前は右に切るのか?左に切るのか?とか。じゃあ、何で左を選んだんだい?って」
 ぼくのような凡人が、AMさんの意を汲んでここに表すことは難しいけれど、語り口はものすごくソフトで、その風貌も相俟ってジャン・レノ(褒め過ぎ?)を彷彿とさせる。こんなチャンスは二度と無いかもしれないので、ぼくもしばらくの間このAM教室の臨時学生を決め込んだ。
 それからしばらくしてのこと、あちらの席こちらの席とフラフラ渡り歩いているうちに「K内くんは大丈夫かいな」と言われて見回してみる、姿が無い。トイレの前には、301の若い隊員さんが付いてくれている。どうやら「お籠もりさん」になっているらしい。それから少しして無事の姿を現したので、安心してまた宴会は続く。ぼくも自制してきたつもりだったけど、それなりに量が入ってすっかり幸せになっていた。お開きになった時、K内くんはまたお籠もりさんになっていたが、この時もぼくはまだ何も気付いていなかった。

Photo_3「K内くんは、私が殺しました」
 宿に戻るタクシーの中、DIさんがボソリとこう言った。
「えっ!」
 そしてぼくは、総てを理解する。DIさんが高知襲撃に来た2回とも、K内くんは仕事の都合がつかなくて参加できないでいたのだった。もちろん悪気があったわけじゃなくて、たまたま巡り合わせが悪かっただけなんだけれど、だからDIさんはきっと心に決めていたんだろう。「今回の飲み会では、K内くんを殺す」ってね。
 これはDIさんの愛情の裏返しで、わざわざ殺して貰えた(だって、どうでもいい奴をわざわざ酔い潰したりなんて面倒なことしないからね)K内くんは果報者だなあ、なんてことを考えながら、楽しかった宴は夢の世界に溶け込んでいった。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴10

亡霊たちの宴2008 その1

P1000107  基地見学を終了後は、お待ちかねのお昼ご飯。いつもの「お〇さかや」でチキン南蛮定食を食べる。初参加のY田さんは、洗礼としてチキン南蛮定食の大を強制的に注文され、その大きさに声も出なくなっていた。必死になって挑戦していたが、最後はギブアップして、K内くんに一切れ助けてもらったけど、まあ儀式は無事終了。後は宿のチェックインまでの時間を利用して温泉に浸かり、いつもどおり休憩室でゴロゴロする。
 ここで少し気を抜いたのがいけなかったのか、あちこちの関節に違和感を感じるようになった。念のためにと用意していたアンプルの風邪薬と栄養ドリンクを流し込み、チェックインの後、飲み会の時間まで部屋で布団にくるまって、ひたすら体力の回復を図る。昨夜からフェリーの中で1時間くらい寝ただけだったので、案外簡単に眠りこける。そして、自分のイビキで目を覚ますと周囲は暗くなっており、あれから約2時間が経過していた。体調の方は万全ではないにせよ、自制していけばこれならまあなんとかなるという感じ。ほっぺたを2度両手で叩いて気合いを入れた。

「いやぁ、〇鮮征伐見事に失敗しました。こてんぱんにやっつけられました」
 店を知らないぼくらのために、宿までタクシーで先導しに来てくれたDIさんと合流する。今年の会場は「あ〇のや」という西都市のお店。宮崎って言えばやはり地鶏だろう、といった店で、地鶏鍋や地鶏の刺身なんかが並び、料理の前に座るなりぼくの腹は鳴りっ放しの状態が続く。
「あひ、あひ…」
 乾杯の後、早速地鶏鍋をいただくと、声にならない音が喉から浸みだしてきて、ふうふうと冷ますのももどかしく腹の中に納める。次に地鶏の刺身を食べると、これがまた何とも言えない美味さ。胃袋の中は、熱々の地鶏鍋とヒンヤリした地鶏の刺身とが大騒ぎの状態。
「なかなか挑発的なトレーナーですね」
 ぼくが着ていた「尾白鷲」のトレーナーを見て、何人かがこう言った。もちろん冗談なんだけど、そう言えばと思って見回してみると、今年はいつもと顔触れが違っている。BMさんやZTさん、IIさんなどの顔が見えない。しまった、今年は「旧302飛行隊会」ではないみたいだ。今年もいつもどおりだろうと思い込んでいたから、いやぁ~、失敗しっぱい。
 ビールがひと回りして、ぼくらの日本酒が披露されると、皆が早速手を伸ばしてくれる。
「あ~、さっぱりして飲み易いスね」
「でも、度数に気を付けて下さい」
 えっと言って、20度と書かれた一升瓶のラベルを覗き込んだPYさんの姿にぼくは満足し、下手な焼酎並みですからと付け加えた。
 ダバダ火振は、K内くんがDIさんにと買ってきたものだったが、それをKゾーさんが虎視眈々と狙っている。
「一杯だけだぞ」
 こう言ってグラスに注いでもらうが、すぐに空いてしまい、DIさんが話し込んでいる隙を狙ってこっそりと手を伸ばす。
「あっ、こら、お前一杯だけだっていったろうが」
「いや~、他の人に飲まれちゃって…」
 とか言って、Kゾーさんはダバダをもう一杯ねだる。

 今年の飲み会で嬉しかったことのひとつに、ぼくと同姓同名(名前の漢字は違うけど)のCYくんが来ていたこと。去年の夏に配属になったと、DIさんからメールで教えてもらっていたけれど、その年の飲み会には参加していなくて、いつかゆっくり飲んでみたいと思っていたから、願いが叶ったわけだ。
 彼がぼくと根本的に違うのは、ぼくのように大酒飲みじゃあないこと。
「あまり酒は強くないんですよ」
 極めて真人間。将来有望なのは良いのだが、同姓同名としてはちくと物足りない。無理強いしてはいけないけれど、次の機会が有れば班長さんに許可をもらって徐々に仕込んでいこうか(越後屋笑)

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続・亡霊(ファントム)たちの宴09

2 エンヂンの音轟々と

 平成20年12月5日深夜、南国ICに集結した5名は、一路宮崎へと出動した。ぼくの一抹の不安は、昨夜から少しだけ風邪の予兆があったこと。でも、ここまで来てそんな泣き言を言うつもりもなく、男は気合いだ!!風邪なんか気合いで治る!!と自分に言い聞かせて、腹に力を込めた。八幡浜でフェリーに乗船し臼杵へ。そして深夜の国道をひたすら宮崎へと向かう。今ではもうすっかり見慣れた風景となった新富町へ着いたのが午前8時ころで、さすがにこの時間だと開いている喫茶も無い。午前10時から始まるブルーインパルスの予行までの時間つぶしのため、ふらふらと西都市内を彷徨っていると、偶然ファミレスを見つけたのでとりあえずここで朝飯にした。
 午前9時になるのを待ってPYさんに電話を入れる。基地正門で待ち合わせ、そこへ向かうとPYさんに加えてDIさんが居た。挨拶の後でDIさんは「ちょっと〇鮮攻撃に…」と言って自転車で出撃していった。ぼくらはPYさんの後ろに続いて飛行隊へと向かう。途中、ファントムの展示機第1号となった360号機が見えた。ぼくがコクピットに座らせてもらった最初のファントムだ。中身を抜かれて、もう飛ぶことは無いんだという寂しい気持ちと、この先もここへ来ればいつでも会えるんだという安らぎが交差する。この先、次々と退役していく機体があるんだと、考えるだけで寂しくなる。日本の空に君臨して30年以上を経過し、初飛行から考えると、ぼくよりも先輩にあたる機種だから、仕方ないっちゃ仕方ないんだけどね。
 そうこうしている内に飛行隊の裏の駐車場に着く。今晩用にと酒と鰹を渡していると、えらい勢いで突っ込んできた影
「こ・この酒は、レモンハートにも取り上げられた、まさに伝説の…」
こう言ってダバダ火振を抱え込んだのは、平成20年春の硫黄島訓練DVDで見たKゾーさん。もう今にも頬摺りしそうな雰囲気で、目がハートになって揺れている。実はぼくもあのマンガ好きで全巻揃えている。今晩はレモンハートの話で盛り上がろうか。

「少し寒いですけど」
 連れてきてもらった場所は、管制塔のある建物の屋上。ここへ来るのは初めてだった。そう言うと、PYさんは「そうだったんですか」と少し意外そうな顔をして、まあお願いしていればこれまでも連れてきてもらえたのだろうけど、何ていうかぼくの方も、この場所にどうしても来てみたいって考えなかったし、他に色々とお願い事が有ったりして、あまりワガママな事を考えないようにしてたわけだ。ところがどっこい来てみて分かったけれど、ここって屋上だから(管制塔は別にして)他に遮る物が何もない(当たり前か)つまり、それまで建物の陰からいきなり襲われっ放しだった、見えなかった部分がきれいに見える。要は、ブルーインパルスを見たりするには恰好な場所だったって事。キラキラと輝く冬の光に包まれて、ぼくはポカンと口を開けたまま1時間近くを過ごした。
 ブルーインパルスの予行飛行が終わると格納庫に案内され、明日の展示機を見せてもらう。航空祭当日には絶対に無理だから、これ幸いとコクピットに潜り込む。
 389号機
 ガキっぽいけれど、360・355号機に続いて3機目制覇(^_^)v
 そして、基地の売店で職場などへのお土産を先取りして買い込んだのだけれど、出た所に素敵な催し場があることに気付いた。
 観光地などに行くと、その場所にちなんだ絵を描いたりした大きな看板なんかがあって、そこから顔だけ出して記念写真を写したりするっていうやつ。これのファントム版。芸の細かいことに、顔を出す部分のヘルメットだけは立体になっていて、写真にしてみるとかなり雰囲気を出している。インチキ臭いけど404号機、無理矢理これも入れて4機目制覇?(笑)

   
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続・亡霊(ファントム)たちの宴08

新田原基地航空祭2008

1宮崎へ続く道

 DIさんからの「高知殴り込み予告メール」を貰ったころのこと、
「今年も航空祭が近づいてまいりました。ご都合がよろしければ今年も来基していただき、親睦会を設けたいと考えております。是非のお越しをお待ちしております!」
との涙がちょちょぎれそうになるような、嬉しいメールが舞い込んできた。
 送ってきてくれたのはPYさん。
 301飛行隊からEMさん・DIさんがいなくなり、今年の「旧302飛行隊会」への乱入は難しいかなと思っていただけに嬉しさは一入で、早速お礼と、ぜひ参加させて頂きたい旨の返事を送る。
 新田原出動の準備が、DIさん率いる「防府の鬼」ご一行様のご来高と重なるため、仕事も併せて少し忙しくなるけれど、こんなことは苦でも何でもない。顔はもう緩みっぱなしで、お正月を前にした子供のように、指折り数えて毎日を過ごした。

Photo 今回のメンバーは、3年連続となるN川さん・ひっちさん・K内くん。そして昨年夏、那覇基地へ一緒に出撃したY田さんが加わり総勢5名、過去最高の人数になってしまった。いくら歓迎してくれてはいても、こちらからの人数が多くなり過ぎると、受け入れてくれる側も色々と手配などで大変だろうと、これまで極力人数を抑Photoえてきたのだけれど、メンバー皆やる気満々で誰も辞退者が出なかったので、飛行隊の皆さんに負担がかかるのは承知で何とかお願いした。来年からは、もう少し少人数にしておかないと、嫌われたりしたら悲しいからね。
 宴会の場所はまだ未定。恒例になっていた基地正門近くの居酒屋さんは、体調が戻らないようで依然休業したままになっているとのこと。まあ店の選定は、301飛行隊の皆さんに任せておけば良いのだから心配ないのだけども、これまでのように、地酒や肴を自由に持ち込むことが出来るかどうかが不安の種だった。

 持ち込みOKの返事を貰ったのは、12月に入ってすぐのこと。地酒はまあ、今回の飲み会で飲めなくても、渡しておけば飛行納め会か何かで飲むことができるから、それでも良いかと手前から「何にしようか」とか考えていたけども
「今年の原酒を絞るのは、10日くらいを予定しています」
って言っていた酒蔵さんに、実はこれこれこうだから何とかもう少しだけ早くならないだろうかとお願いしていたところ、ぼくの熱意が通じた訳でもないのだろうけど
「12月3日に瓶詰めしますから」

という返事をもらった。急遽持って行く酒を変更して、これにK内くんが「ダバダ火振」を仕入れてきて、これで飲むならやっぱり肴は鰹だろうなということで、肴の方も無事決まった。見栄えで言えば、やはり鰹丸ごと1本持って行った方が良いけれど、持ち込まれたお店の方が困るだろうからと、頭を落として半身をタタキ用に焼いてもらうことにした。
 丁度そこへPYさんからメールが入る。
「たった今、T-7でDIさん到着」
 経路も宿もいつもどおり。宿については8月の末だったか9月の始めだったかに、メンバーさえ決まってないうちに電話を架けて予約してある。ただ押さえている部屋が1部屋だけなので、通常4人の布団を敷くのが一杯の部屋へ、無理矢理5つ敷いてもらうようにお願いをした。一応このことは皆にも話してはいるのだけども、やっぱり狭すぎるから、来年は4人体制で出動することにしよう。毎回狭いと、そのうち文句のひとつも出るだろうしね。
 準備は着々と進んでいく。風向き良し、総てが順調、後は出動するだけだ。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴07

YAH!YAH!YAH!鬼教官がやってくる!!(その2)

 買い物の後「防府の鬼御一行さま」は一旦ホテルに入り御休憩へ。僕も自宅へ戻り、夜の部へと体勢を整える。次の約束は、がっかり名所で有名な「はりまや橋」前で午後6時半。
 僕がバスを降りて待ち合わせ場所へと向かっていると、電車通りを挟んで反対側に一見してそれと分かる敵影を発見、よし後方は貰ったぜとばかりに、信号が変わるのを待ちかねて、人影に姿を隠しながら回り込もうとしたのだが、ふと気付くとD I さんがこちらを見てニヤニヤ笑っていた。ちっ、何だよ気付いていたのか。やっぱり簡単には現役の後ろは取らせて貰えないよな。
  
 予約していた店は、ここからすぐ近くで、先日新田原でD I さんに会った時「古本屋探偵事務所っていうのに出てきた居酒屋って、この前高知で行った店ですよね」って言い当てられた店だ。名前は「活魚つづき」。待ち合わせたはりまや橋から電車通りを渡って反対側に来て、アーケードの入り口から15歩くらいのところにある。ここには美味い鰹と、D I さんの好きな「ダバダ火振」っていう焼酎がある。店の大将には「県外からのお客さんを連れて行くから、何か高知らしい食材で纏めて」と頼んである。Photo
 お通しの後に出てきた「チャンバラ貝」が彼らのハートをがっちり掴んで、まずまずの滑り出し。とりあえずの生ビールで喉を滑らかにした後は、早速の日本酒に取りかかる。店が出してくれた杯は、穴が空いていたり、円錐形になっていたりして(決して不良品ではないので、念のため)とても危険な雰囲気に。これらの器は、一旦酒を注がPhoto_2 れると、飲み干すまで杯から手が離せないので、もう次から次へと酒を飲み続けられるわけだ。まあ、例えてみれば、空対空系のミサイルなど使わずに、いきなりバルカン砲のドッグファイトに突入したみたいなものだ。お互いに、目の前に捕らえた相手に向かって、ただひたすらバルカン砲(日本酒)を撃ち(飲み)続ける状態。やがて僕は「入れ物がこまい」と言って、小皿に酒を注いで(これさえやらな、えい男やにのう)皆に回し始め、これが契機となって鬼教官たちの足並みが乱れ、同士討ちが始まった。最初は行儀良く飲んだ小皿を隣へ隣へと渡していたのに、それがいつの間にか逆回りになったり、対面差しになったりしたものだから、どうしてもしわ寄せは学生のD々さんに集まることになる。
 小皿をぐっと飲み干して返杯しようとすると、
「お前、これを持ってくると言うことは、どういうことになるか解っとるんやろうな」
鬼教官が威嚇する。するとD々さんは、迷子の子犬のような顔になりながら、それでも勇気を振り絞り、「お願いします」って小皿を差し出す。
 いいなぁ、こういう理不尽な男の世界。気の許せる者同士でないと絶対に成立しないという、飲み潰れた後のことを気遣ってばかりの小利口さんには判らない、危うさすらも飲み含んでしまう信頼感。
 出てきた鰹の刺身、タタキは瞬く間に完売し、はらんぼやメヒカリと続いた焼き物も喜んで貰えたよう。
「いや~、まさか鰹がこれほど美味いとは思いませんでした。もっと生臭い魚だというイメージがあったから、驚きました。どうしてこれほど味が違うんだろう」
 もう、最大級の褒め言葉をもらって、僕はニコニコしっぱなし。D I さんが日本酒の飛び交う間隙を縫って、ダバダ火振のお湯割りを美味そうに飲んでいる。ああ、今日この店を選んで良かったなという気持ちに包まれながら、僕は流れてきた小皿をぐっと飲み干して、A楽さんに回すと、小皿に酒を並々と注いだ。
 気を良くして2次会へ流れていき、D々さんがひっそりとダウンして日付が変わるころ、次の日のことを考えなかったら、いつまでも飲み続けていたいと後ろ髪を曳かれつつ「防府の鬼御一行さま」との宴IN高知は終了した。
「近いうちに、今度は防府で飲みましょう」
 第2ラウンドの堅い約束をして。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴06

YAH!YAH!YAH!鬼教官がやってくる!!(その1)

 話は少し遡って、2008年10月23日の昼休みのこと、僕の携帯が「時代の風-人が人でいられた時」を奏でて、赤い飛行機に乗った豚がメールを運んできた。ちょうどラーメンを掻き込んでいた時で、危うく鼻に逆流させそうになって辛うじて踏み止まり、2~3回軽くむせたのを整えてから見てみるとD I さんからだった。
『ところで、鰹ツアーですが11/15~16で考えております』
 来る。防府の鬼が予告どおりに鰹を食べにやってくる。Photo
  
 その後、続々とメールが届き、防府からの陣容が明らかになってくる。海を渡って攻めてくる鬼の陣容は、合計6名。D I さんは勿論のこと、前回広島で一緒に飲んだA楽さん、そして元302SQ飛行班長でD I さんの先輩になられるT I さん、元CH-47の魔術師こと井Uさん、元301SQにして美食家のHSさん、唯一学生であるD々さんという顔ぶれ。一方迎え撃つ当方は、これまで遠征に参加した8名に声をかけるも、先ずK内くんが仕事の都合がつかず不参加。沖縄に参戦したY田係長が前日徹夜の仕事が有るとのことで不参加。ぬりかべこと中Gくんは土壇場まで前向きに抵抗するも、あえなく不参加。6名の鬼たちに向かって5名の迎撃部隊は、あまりにも心細かったが、更に追い撃ちをかけるように前日になって、新田原ファーストメンバーのKMくんが「カゼでどうしても熱が下がらんので、スンマセン」と悲しい声で電話を架けてきた。これでとうとう4対6となったが、内ひっちさんは限りなく下戸ときているから、戦力として頭数には入れられない。いくら地の利があるとはいえ、圧倒的不利な状況は否めず、僕はあの忌まわしい「やすらぎの悲劇(亡霊たちの宴014参照)」を覚悟した。
  
 11月15日、朝1番に来たメールは、防府の鬼御一行さまがバイク3台乗用車1台に分乗して無事フェリーに乗り込んだというもの。そのまま松山に上陸した後ルート33をひたすら南下しても、こっちに到着するのは早くて午後2時前後か。頭の中では突撃ラッパが鳴り響き、睡眠時間は十分、体調もすこぶる良いと自分に言い聞かせ、及ばずながらも臨戦態勢を整える。
 待ち合わせたお城の北側に現れた「防府の鬼御一行さま」は、当初妄想していたような荒々しい顔つきではなく、むしろ穏やかな人たちばかりで、出迎えた僕を安心させた。(いや、待て。これが鬼たちの手口なのかもしれないぞ)
Photo_2  本当はこの後、桂浜に行こうと考えていたのだけども、ちょうどというか何というか、この日は、あの坂本龍馬先生の誕生日にして命日だったわけで、桂浜ではそれなりの混雑が予想され、今から出掛けても駐車場に入れるのに時間がかかり、すぐにトンボ返りってことも有り得る。そこで「防府の鬼御一行さま」には何とか諦めて頂いて、そのまますぐ横のお城を一通り案内したあとで、反対側にある「よごれ市場」こと「ひろめ市場」に誘い込んだ。
  
 ここで彼らの顔つきが変わっていくのに僕は気が付いた。しまった。
 この場所が持つ独特の魔力により、鬼たちがその本性を現し始めたのだ。早速目についた肴を買ってきてパクつきながら「あ~、このままビールを飲みて~!」と叫ぶ者、全員の心に火をつけてしまい、すっかり臨戦態勢に突入させてしまった。この反応の良さから判断しても、相当な実力者(酒豪)が揃っている模様。でもまあ、火に油を注ぐ結果になったことはもう取り返しがつかないから、腹を決めてその先の大橋通の商店街なんかも案内する。やはり鰹がお気に入りで、自宅用に・防府での宴会用にと配達を依頼していた。観光としては、十分ではなかったのだろうけども、お土産も調達出来たってことで何とか許してもらえるだろうか。できれば、こちらでの滞在時間をもう少し多く取ってもらえたら(せめて、10時くらいに到着とか、翌日夕方まで滞在とか)納得のいくコースを構えることができたと思うので、それが残念。皆さん次回来られる時は、できれば2泊して下さいね。

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2008新田原 T-7の帰投

さすがのD I さん

 今年もまた『亡霊(ファントム)達の宴』に、お呼ばれしてきたのですが、残念なことに体調がイマイチで十分に満喫できませんでした。詳細は、また後日のこととして(なにせ、先月中旬にD I さんを筆頭に鬼教官&若鷲部隊の襲撃も受けていて、そちらの話も書かなくてはならないのに、例の田母神さんの論文の話にも触れたくて、消化不良のままズルズルと今日に至っているわけです)とりあえず今日は、T-7で帰投する際に魅せてくれたD I さんに感謝の気持ちを込めて綴ります。

 ブルーインパルスの演目の終了は、その航空祭の終了を意味していて、会場には蛍の光が流れ始めます。後は帰投する航空機を見送る人垣を残して、皆それぞれに家路を急ぎ始めるわけですが「今年はD I さんが防府に帰投するのを見送ってから帰ろうよ」という話で一致し、私達も見送りの人垣に参加していました。人垣が一番少ないT-7の前辺りに陣取ってD I さんの来るのを待っていると、T-7は2人に押されて少し離れた場所へと移動されていきました。ロープ際には厚い人垣が出来ていて、簡単には近寄れない雰囲気。「まあ、この近くに居ればD I さんにも会えるさ」って思い、一生懸命来るであろう北側に気をとられていると「どうもお疲れ様でした」という野太い声。いつの間にやってきたのか、私の警戒網を潜り抜け、突如現れたD I さんに慌てたこと慌てたこと。「帰投時、期待してますよ」とか「どんなことするつもりですか」など、聞こうと考えてたことが皆ぶっとんでしまい、ありきたりの挨拶で終わろうとした時、D I さんがニヤリと笑いました。私には、その顔が「最後に魅せますから、期待していて下さい」と言っているように感じたのです。

 果たしてT-7は、健気に滑走路を滑り始め、宙にその体を浮かせた途端、闘う機械と化しました。車輪を引き込むと、そのままの高さで速度を上げ、滑走路東側で右旋回270°そのまま低空でエプロンに向かうと見せかけて、観客の前での急上昇、あらよっと1回捻ると何事も無かったように飛び去って行ったのです。

 残されたざわめきの心地よさに、しばらくの間、ぼんやりと飛び去った空を見ていると、あの2004年の、初めて彼らと出会った日のことが、鮮明に浮かび上がって来ました。何かを確約したわけでもないのに、私の魂を揺さぶってくれた、彼らの心意気を。

 余談になりますが、今回D I さんが魅せてくれたことを、車の運転に例えてみるとどうなるか考えてみました。

 先ず車なら、狭い道路よりも広い道路の方が走り易いわけです。また、道が広くても、左側にべったりくっついて走る人はいませんよね。飛行機なら、当然浮かび上がったら、なるべく高度を上げていきたいと思うのが普通だと思います。これを高度を上げずに加速していくということは、2メートルくらいの道路を時速100キロで走っていくようなものではないでしょうか。そしてその先で一気に減速して右カーブを270°回り、広い道に向かう出口で急加速、そこで1回転スピンさせた後、何事もなかったかのように走り去る。

 こんな感じでしょうか? D I さん、もし違っていたらメール下さい。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴05

瀬戸内の潮風は…(その2)

 むかし日本を訪れた中国のお偉いさんが、こう言ったらしい。
「日本にも大きな河があるんですね」
 信濃川、利根川、長良川?ましてや四万十川のことでもない、いや、本当は川ですらないんだ。
 そう、川ではなく瀬戸内海。誰だか知らないけど、でっぷりとしたお腹を揺らす姿が目に浮かぶ。車の窓から僕は、ぼんやり とそんなことを考えながら、寄せ波も引き波もない砂浜を見ていた。車から降りていって、手を水に浸けて舐めてみればはっきりするし、何よりも日本人なんだから、いちいちそんなことを確認しなくても疑う余地はないのだけれど、どうしてだかこの時の僕の心は、誰とも知らない中国人の気持ちに寄り添っていた。僕らの知っている海とのギャップが、こんな気持ちにさせていた。
「むかし来た中国の偉い人は、瀬戸内海を見て、日本にも大きな河があるって思うたがやって」
 僕は所在なさからぽかんと、運転しているKHにこう言ってみた。
「えっ、何やって?」
「うん、だから瀬戸内海って河みたいやねって」
「なんな、ああ、そうやね」
 天気は上々で、穏やかな海面にざわめきを起こしているのは、風だろうか、小魚の群れだろうかって眼を細めてみたけども、きらきらと瞬いている波面を見ているうちに、そんなことはどうでもよくなってきて
「定年したら、瀬戸内に住むがもありやね」
なんてことをうそぶいてみると、海辺に沿った道路から見渡せる海水浴場には、もう夏の盛りを過ぎたっていうのもあるけれど、子供がちらほらしているだけで、期待した水着のおねえちゃんの姿は皆無で、2人を大層がっかりさせた。

P1000069P1000077_2 陸奥記念館に行けば、陸奥の総てが分かるっていうものじゃあないってことは最初から思っていたから、展示物を見て、ビデオを見ての内容に特に不満は無かったけれど、建物の外の少し離れて高くなった場所に、戦艦陸奥の艦首部分、副砲、スクリューなんかがあって、そこには「←方向約3km」とか陸奥の沈んでいる場所を示す板も設置されていたりして、これらが何で記念館と一体になっていないんだろうと不思議に思った。
 今日みたいに天気の良い日なら、屋外でも潮風も気持ちよく見ることが出来るけれど、雨が降っていたりしたら、せっかくここまで来た人たちの中には、この場所に来ない人も居るんじゃないかというのは、大きなお世話なんだろうか。多くの人たちがここへどういう気持ちで訪れるのかよく判らないけれど、僕は少なくともこの場所に「陸奥」っていう戦艦を感じに来ているんだって思っている。感じるためには、屋内の展示物は、引き上げられた陸奥と同じ場所にあった方が直感的に理解しやすい。わがままなのは僕の性分なので、この記念館が建てられた経緯も知らないままに、こんなことを思うのだけれど、展示室が狭くなっても仕方ないから、もっと実物を屋内に移してもらえないだろうかって。もったいないなー。
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 悪口ばかりじゃあいけないから、来てみて発見したこともひとつ。もしかしたら常識なのかもしれないけれど、艦首部分の鉄板が思いの外に薄いっていうことが判ったこと。爆沈した時に空いたのか、その後の長い年月が空けたのか、ぽっかり空いた艦首部分の空洞から窺い知ることのできる鉄板は、数センチくらいにしか見えなかった。まあ、分厚ければ良いってもんじゃあ無いんだろうけど、むかしの戦艦っていうだけで何十センチという鋼板を想像していたわけだ。こんなことは、実際に見てみるのが一番だからね、ほら、むかしからよくいうでしょうが、百聞は一見にしかずって。こんなことだけでも実感できたってことは、僕にとって凄い充実感となって満たしてくれる。どこへいってもそうだけど、多くを求め過ぎると残念な気持ちが多くなるから、それだとつまんないでしょうが。色々と思うことはあるのだけれど、そんなことばかりをお持ち帰りしても仕方ないから、僕は陸奥記念館の思い出として、艦首部分の鉄板の厚さのことを持って帰ることにした。帰ってから皆に話してやるのさ、右手の親指と人差し指を少し開いて見せて「陸奥の艦首の鉄板って、このくらいの厚さしかなかったが。」ってね。

 見るもん見たら、お昼に近かったせいもあるけど、お腹が空いてきた。お土産買いがてらに、途中にあった道の駅へ寄ってみると、魚屋さんみたいなところもくっついていて、そこで見つけました夕べ食べた穴子くん。穴子って前にたまたま釣り上げたこともあったりするんだけれど、僕の中では、大きさとして鰻と同じくらいだって相場になっていた。それがどうだい、ここで見た穴子は、大きいのになると腕回りくらいって言えばちょっと大げさになるけれど、面構えも逞しく水槽の中から睨みをきかせている。どこかで大鰻っていうのを見たことがあるけれど、あれを大ボスとしたら中ボスくらいの大きさか。でも、大鰻は大味で美味くないらしいけれど、夕べ食べた君のお友達は、とっても美味しかったよ。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴04

瀬戸内の潮風は…(その1)

 大酒を飲んだ翌日は、少しだけ反省する。
 二日酔いで反省した人は特に珍しくもないとは思うのだけれども、僕の場合、最近は肉体的な反省よりも、精神的な反省の方が多いような気がして、心に溜まっているストレスとやらを実感するわけだ。こまめに発散するようには心がけているのだけれど、発散しても発散しても次々に補充されるので、てんできりがない。蚊や蠅を撃退するように、ストレス解消スプレーでも発明してくれないだろうか。
 まあ、こんなことを思いながら、広島の朝を迎えた。
 9時くらいに朝寝坊大臣の部屋に電話を架けると、意外なことにスッキリした元気そうな声で「やあ、大丈夫?」とか言いながら出てきた。「何言ってやがんだい、こっちの台詞だよ」とか返してはみたものの、う~ん、やっぱり夕べの僕はハタ目にも大丈夫じゃあなかったんだろうな。でも、もうかなり回復していたので、まあ、それならってわけで早速ホテルを出発した。途中DIさんに電話を入れて、昨夜のお礼方々酔狂のお詫びも言ってみる。DIさんは「いえいえ、楽しかったです」とか言ってくれたけども、次からは酔狂きらないように気をつけよう。…なんてね、多分次に飲む前までは覚えているよ、きっとね。
 広島の朝は、ジリジリと残暑もわきまえずの厳しさで、
「どこへ行っても、夏は暑ちぃね~」
なんて馬鹿をいいながら車を進めると、僕らが住んでるちんけな地方都市とは違って、どこまでも続く市街地が圧倒的な迫力で迫ってくる。そして、僕はあることに気付いて絶叫してしまった。
「しまった、原爆ドーム見るの忘れた!!」

 高速道路に乗って山口へと向かう。行き先は、陸奥記念館、周防大島の先っちょの方。陸奥っていうのは、言わずもがなって気はするけれど、昭和18年に周防大島沖で謎の爆発をおこして沈没してしまった「戦艦 陸奥」のこと。華々しい戦果に彩られた船ではなかったが、戦前には国民に親しまれていた戦艦だったという知識と、戦後に主砲塔が引き上げられたとかの報道を何回か耳にしたことがある程度で、写真で見る以外にそれ以上の実感が湧いてこないものだった。
 うっかり実感なんて書いてしまうと、意地の悪い友人なんかに
「じゃあ、実感を伴う戦前の船とかって何があるんだよ」
てな手厳しい攻撃を受けそうだけれども、イメージね、あくまでも。Photo

 高速道路の玖阿ICを降りて周防大島に向かう途中、437号線を走っていて目に付いた物があった。
 ガードレールと屋根の瓦。
「何でガードレールが黄色いがな?」

 四国の太平洋に面したど田舎では、ガードレールといえば白って相場が決まっている、最近になって、何かくすんだような銀色のガードレールが増えてきたけれど、さすがに黄色は見たことがない。
「たまたまやないがか?」
 じっくり見ようとして、KHは何度もガードレールに突っ込んでいきそうになり、その度に僕は色んな神様を呼び出してお願いをする羽目になる。
 そして瓦。見事なまでに、黒い瓦が並んでいる。これだけだと何も変じゃないんだけれど、それが異常なまでにテカテカ光っている。呉へ行く途中の道端の家の瓦は、どれもこれも「赤瓦」で、これも不思議でしょうがなかったのだけれども、ここの辺りの瓦の光り具合ときたら、僕らの感覚を超越していた。陽光を受けて光っているなんてもんじゃない、明らかに普通の瓦の仕上げに透明の釉薬か何かでコーティングしている。光っていないのは、鉄筋造りの建物か崩れかけた廃屋くらいで、こんな光景をずっと見ていたら、見た者じゃないと判らないんだろうけども、いや絶対何でかしら可笑しさが込み上げてくるんだ。きっとあの瓦には、見ているだけでエンドルフィンとか何だかよく判らないような脳内物質が、勝手に吹き出してくるような仕掛けが為されているに違いない。怪しい脳内物質により汚染されてしまった2人は、ケタケタとラリっちまったかのような雄叫びをあげながら周防大島に向けて爆走していった。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴03

PS広島にて

 風が吹いてくれたせいか、心配された雨に祟られることもなく、予定どおり見学を終えた僕らは、一路広島へと向かった。
 前に話したように、僕は呉が2回目で、他に尾道へ2回行った他の広島県は知らない。つまり、広島市へ行くのは初めてってことになる。呉を出発する前に、ホテルの電話番号をカーナビに入れると、賢いことにちゃんと今晩の寝床まで案内してくれる。まあ、たまに違ったルートを(たとえば、最短で500メートルくらいの所を、延々2キロくらいかけて案内してくれたり…)教えてくれるけど、まあ所有者がKHだから仕方ないっていうか、最終的に目的地に到着できるからKHよりも遙かに優秀と言ってあげなくっちゃあいけない。

 ホテルは、会社の提携か何かで作った(勝手に作られた?)カードを初めて使ってみた。割引後の値段が、シングル1泊2500円なら上等じゃないかと、貧乏人2人はニコニコする。DIさんたちもこの近くにホテルを取ってくれていたので、シャワーを浴びて少し休んでから繁華街に近いDIさんのホテルに向けて出発し、合流したあとブラブラと歩き始めた。何を肴に酒を飲もうか、あれやこれやと花が咲く。広島お好み焼きで飲むビールも、本当に棄て難かったのだけれど、やっぱり瀬戸内の刺身も食ってみたいなという誘惑には勝てなかった。
 ここで判明したのが、4人ともに広島市内の飲み屋を誰も知らないと言うこと。でも大丈夫、今はフリーペーパーという画期的なアイテムがある。実はホテルを出る時に、隅っこに立て掛けてあったのを、ちゃんとゲットしていた。僕の地元のフリーペーパーを思い出しながら、どの店が美味そうか勘を働かせる。どこもそうだと思うけれど、だいたい当たり障り無い程度の店が並んでいる筈だ。と、信じて1軒の居酒屋を選んだ。

 時間はまだ6時になっていなかったけど入り口は開いてたから、だめなら追い出されるだけさと構わず入っていく。僕らの決意に畏れをなしたか、つまみ出されることもなくちゃんと席に案内してもらった。
 とりあえずと手当たり次第に頼んでみて、待ちかねている喉に「カンパーイ」とビールを流し込む。
「う・うみゃ~い」
 さあさあと、ピッチが早いが気にしない、どんどん飲んで行く。じきにデデーンと刺身盛りが届き、歓声があがる。640480
「いや~、生のシャコは初めて食べました」
 DIさんが目を丸くしている。僕は生の状態のシャコを見るのが初めてだった。知識としては、シャコって言うのは「オケラ」の親玉みたいな格好をしているのだ、っていうことくらいは知っている。しかし馴染みのあるのは、僕が時々行く高級寿司屋さんで、茹でられた?状態で、お皿にのって回ってくる姿の方だ。頭をつまんで、尻尾の方から醤油に漬けて、ドキドキしながら食ってみる。うん、仄かな甘みがなかなか上品で、瀬戸内とは思えない小癪な奴だ、褒美を取らせよう。
「頭は後でおみそ汁にしますから、別に置いといてくださいね」
 お店の人が更に畳みかけてくる、シャコの頭から出たみそ汁のダシの妄想が頭一杯に広がって、よだれが止まらない。
 次にシャコの横にあった白身の刺身をつまんでみる。くせのない、でもこれまでには食べたことのない味だった。
「これ何?」「あぁ、それは穴子です~」「あ・アナゴ~?」

 訊いてみたけど、やはり僕の得意な高級寿司屋さんで、茶色いツメをたっぷりと塗られてクルクル回っている、あの穴子くんだった。写真で言うと、向かって左にシャコが居て、その右側が穴子くんの刺身だ。
 珍しい肴で飲むと、酒が進むよね。DIさんが悩み抜いて選んだ日本酒がフルーティで、これまた岩ガキにピッタリとくれば、冷用酒は危険だと知っていても止まらなくなる。店の人も、僕らが殊の外上客かもしれないと思い始めたのか、冷用酒(ジャパン)が無くなる頃合いを見切って、間髪入れず次の注文を取りに来る。
 冷用酒の恐ろしさは、熱燗と比べてその口当たりの良さから量をたくさん飲んでしまうこともそうだけれども、本当の恐ろしさは、飲んだ後腹の中でお燗されることにある。つまり、熱燗なんて燗している間にある程度アルコール分が抜けているんだけれど、冷用酒の場合アルコール分は全部残ったままで体に「ヨロシク」って入ってくるわけだ。しかも、熱燗に比べて酔いの回りが遅い(ような気がする)分、この夜みたいに飲むピッチが早いと、酔っ払ったと気付いた時には大量の冷用酒が体の中で大運動会を始めているのだ。
 このままだと危険なので、途中から芋焼酎を瓶で注文して、気付くとその焼酎も空になっていた。僕は2人の現役相手に「三島由紀夫はぁ~」とか「イージス艦事故はぁ~」とか酔狂を切っていて、KHはと言うと、すこぶる上機嫌に意味不明の独り言を続けていた。結局日付が変わるまでこの店で飲み続けたのだった。最後の方にお店の方から「サービスです」とか言って何か持ってきたのは覚えているけれど、何を持ってきてくれたのかなんて覚えちゃいないから、もうぐだぐだに酔っ払っていたに違いない。DIさん、Aさんごめんなさい。それにしても、6時間以上たらふく飲んで食ってして、4人で4万円を超えていなかったのは、何という奇跡、良心的な店なんだろう!!

 ここだけの話だけれど、DIさんがトイレに離れた時にAさんに訊いてみた。
「学生時代、DIさんって怖かった?」
 Aさんはコクコクと頷いて、一度トイレの方を見た後で
「今でも一緒にいると、背筋がシャンとするくらい緊張します」
と笑った。うーん、TACネームに偽り無しってところか。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴02

だから男たちは大和なんだって!

 携帯電話という不幸なアイテムも時には役に立つもんだと、携帯電話を持ってキョロキョロ見回しているDIさんを発見したときにはそう思った。全く現金なものだ。
「この前はお世話になりました」
 といってDIさんの顔が子供のように弾けると、なんだかんだで400キロちかく、4時間の道程が報われたような気がして、僕もホクホクと踊りだしてしまう。僕の血圧を上げた罰としてずっと運転手をさせてきたKHも、さっきまでモズに捕まって電柱の先っちょに突き刺さっていたカエルみたいな顔(どんな顔だ?)をしていたのに、なんだかすっかりニコニコしちまっている。DIさんと一緒に来てくれたのは、元C1乗りで今は防府基地の教官をされているAさん。DIさんが教官時代の教え子だったそうな。見ただけで誠実さが滲み出しているようなAさんなんだけど、ひとたび教官に戻れば鬼になるんだろうなぁ。

P1000030  実はこの大和ミュージアム、僕は2回目でKHは何と3回目だ。時間の都合で、前回どうしてもゆっくり出来なかった所を、今回のんびり見て回ろうかと思って出掛けたわけだが、中に入って一寸その思惑が外れてしまった。というのも、ボランティアの人が館内のバスガイドさんのような役目を受け持っていて、20~30人くらいを連れて何箇所かで説明している。それはそれで意味のあることなんだろうけど、集団が固まって立ち止まったり、一斉に動き出したりしてかなり鬱陶しい。ゆっくり見て回ろうと思っていても、先で集団が立ち止まっていれば、その部分の展示物は全く見られないし、一旦先回りして集団が動いてから戻って見直そうとしても、ゆっくり見ているうちにまた新手の集団に取り囲まれてしまう。結局僕は、ストレスで血圧が38くらい上昇した辺りで諦めて、次の零戦なんかが展示しているコーナーに移動した。前回はそんなこと無かったのに、夏休みだったから特別にこんなことをしているんだろうか?う~ん大きなお世話っていうか、せめて集団と集団の間隔を20分くらい取るようにしてくれないかなあ。

 ちくと嫌なこともあったけど、でもまあいいや。何たって大和が見られたんだから。
 何て言うんだろうか、やっぱり男の子は大和を見てるだけでワクワクしてしまう不思議な生き物なんだ。ウチのかみさんにこの事を何十時間説明したとしても、絶対に理解してくれないだろうし、僕が最近出掛けている航空祭なんていうものにも、とんと興味を示さない。それはまあそれで、特に好きになって欲しいとか思ったりもしないけど、僕たちを惹きつける大和って何だ?と少しだけ考えてみる。結論なんて出やしないのだけども、確実に言えるのは、戦う道具だということだ。もしこれが、豪華客船の模型だったら絶対に来ない。わざわざ4時間もかけて行かない。たまたま近くを通りかかったとしても、入場料を払ってまで入らない。じゃあ僕は、戦争をしたくてしたくてたまらない人間なのか?自分ではそうじゃあないと思っている。でも戦う道具に惹かれてしまう。

 午前中は大和ミュージアムで過ごし、腹が減ったので近くのビルに入ると、どこも大入り。一番待っている人が少なかったステーキ屋さんに入った。
「わし、今日運転しなくて良いから、あの~ビール飲んでいいスかね」
 DIさんが控えめに、こう言った。勿論ダメだって言う理由もないから、即時にOKを出すと途端に、鎖から解き放たれた犬コロのような目になって、
「いや~、こんな時じゃなかったら、絶対に昼間っからビール飲むなんて考えられないスね。昼間っからビールを飲むんが夢だったんですよ。」
と、子供のようにはしゃぎながら、早速喉をゴキュゴキュ鳴らして気持ちよさそうにビールを流し込んでいる。横でAさんが少し羨ましそうな顔になっていた、と感じたのは僕だけだっただろうか?
 ニンニクたっぷりのサイコロステーキを食ってから直ぐ横の鉄のクジラ館を見て回る。DIさんやAさんからプチ情報を教えてもらいながら歩くと、一言一言に現役の重みを感じてしまう。
「いやあ、海自さんってこういう展示物やるの得意なんですよね」
 潜水艦のアンカーってこんな場所に付いているんだと、感心しながらDIさんが笑った。

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続・亡霊(ファントム)たちの宴01

夏の子供

 朝は4時半過ぎに目が覚めた。勿論、もっと遅くまで寝ていても良かったのだけれども、どうにも間が持たなくなってしまって、エイヤと思い切って布団から起き出したわけだが、まだ5時にもなっていなかった。約束は6時半にひとつ先のインターチェンジなのだから、せめてあと30分くらいは布団で過ごせば良かったと考えるけど、身体がもう許してくれないのだから仕方ない。
DIさんが防府北に転勤したのが7月の頭で、1ケ月と23日めの朝だ。

きっかけは僕のつまらないメールから。丁度その1ケ月前、仕事に追いまくられて「夏の子供のように遊びたい病」にかかっていた僕は、憂さ晴らしのためDIさんに「呉で大和を見てから、KHと一緒に防府へ酒飲みに行ってもイイっすか?」って聞いてみた。するとソッコーで返事がきて「自分も大和見たいので、大和ツアー参加します(^o^ゞその後広島辺りで酒飲みませんか」とご機嫌な中身、僕は1も2もなかった。
 人間やる気が出ると、そりゃあもう考えられないくらいの、自動車でも担いで走り回ろうかくらいの、馬鹿力が出るのだということがハッキリと判る。目の前の仕事はあっという間に消え去って、替わりに洋々たる夏休みがやってきた。(…と言っても土日の2日間だけだけど)

 さあて…と部屋の中を見回したとて準備はできてしまっているし、不安の種は朝寝坊大臣のKHだけ。5時半を待って電話を架けたら案の定爆睡中で、僕の血圧を38くらい引き上げた。

 こっそりと秘密の駐車場に車を停めて、インターの中の駐車場に荷物を持って入り込む。高速隊のパトカーが睨みを利かせる車庫前を通って行くと、早起きの警察官が不審そうにこちらを見るから、エヘヘと愛想笑いをかまして「ここで待ち合わせなんですよ」と逆に開き直ってみる。これが効いたのか、まだ寝惚けて回路が繋がってなかったのか、それ以上の追及も受けずに(まあ、追及されても待ち合わせ以上の答えは無いんだけどもね)隊舎前をトットとスルーしてKHを待つ・待つ・待つ… 。僕の血圧を更に38くらい押し上げた辺りで、やっとKHの姿が見えた。

 よさこいの前に暫定2車線が解消したばかりの高速道路は快適だった。2人で3枚のETCカードを、100キロごとに料金所を出て抜き差しする。勿論、通勤割引の魔法を有効にするためだ。せこいようだけど、かなり安くなるから貧乏人としては、背に腹はかえられず…このくらいの手間は仕方ないさ。

 大和ミュージアムでの待ち合わせ時間は10時だったけど、朝イチの躓きが響いて30分の遅刻。途中DIさんに連絡を入れていたので、僕らの調子に合わせながら来てくれてたみたいで、そんなに待たせずに済んだ。

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帝王学

 中学生の時だったか高校生の時だったか、友人のAがこう言った。

「なあ、帝王学って判るか?」

 当然、僕は知るはずも無く、人の上に立つ者としての術を身につけることだとか答えたと思う。するとAは期待どおりの答えに満足したのか、チッチッチっと人差し指を振って見せた。

「ばーか、いいか?そんな2流、3流の話じゃないんだ。本当の帝王学って言うのはな、・・・」

 Aの語る帝王学っていうのはこうだ。

 帝王学を身につけさせられる者、判りやすく言えば例えば昔の皇太子殿下とかの身分にある人たち。幼いころ、お庭を散歩中にふと池の方へ向かわれた。するとお付きの侍従たちは何をするか?ただ黙って殿下を掴んでくるりと向きを変え、違う方向へと歩かせる。また向きを変え池に向かったとしても、やはり同じことを繰り返す。決して「池に落ちると危ない」とかを殿下に教えたりはしないのだそうだ。彼らはひたすら殿下に危ない思いをさせない、つまり恐怖を感じさせないことに全力を注ぐのだそうだ。

 こんなことをして何になるのか?当然、当時の僕もAに尋ねた。そして、その答えに愕然としてしまった。

 人間というものは、危険な思いなどをしないで育っていくと、やがて感情が欠落して行き、例え国家の存亡の危機に際しても、恐怖などを知らないので、平然としていられるのだそうだ。まあ確かに一理あるような気がする。ピンチの時に上がオタオタしていたら下の者はたまったもんじゃあない。うすら馬鹿でもいいから、ボーっと落ち着いていてくれたほうが良い。

 さて、何でこんな話を始めたかというと、少し前になるけれど学校の天窓から小学生が落ちて亡くなったっていう事故が報道されて、この話のことを思い出したってわけだ。

 この亡くなった子供さん個人に対して、どうこうという話をするつもりは全く無い。

 この他にも子供が犠牲となった事故に際して、僕が一番違和感を感じるのは、報道の姿勢。

 池に子供が落ちて亡くなった、この池の管理はどうなっているのか!

 天窓の管理は、引率の者の責任はどうなっているのか!

 等‥

 全く同じ論調ではないか?それぞれの事故は、確かに可哀想だし、同じ事故が再び起こらないようにするべきだとは思うけれども、誰かを責任追求して正義ぶるっていうのは、いかにも勧善懲悪好きのマスコミっぽい話だ。一番肝心な話を誰もしたがらないから、ますます問題の本質が見えなくなってしまう。いや、答えは皆判っている筈だ。

「池で遊ぶと、落ちて死ぬかもしれないよ」

「天窓っていうのは、薄く作っているから落ちて死ぬかもしれないよ」

 僕らは侍従を引き連れているわけではないのだから、危ないことははっきりと

 あ ぶ な い か ら や め ろ

って教えないと判らない。日本中恐怖心を持たない、無茶ばかりする人間だらけにして一体どうするつもりだ?庶民は自分の力と知恵で生き抜いていくしかないのに、先に言ったような帝王学ばりの人間を育ててはいけない。

 亡くなった子供の親御さんにはとても酷な話だけれども、他の親御さんはちゃんと今回の事故を受けて、子供さんに教えるべきだ。マスコミの言う「管理体制云々」の話だけではこのような悲惨な事故は無くならない、絶対に。

 危ないことを危ないって教えられていない者に、自制しろって言っても判るわけないよね、だって帝王学を身につけているんだから。

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マスコミってやっぱり横暴

 山に食い物が少なくなったからといって、猿どもに

「あそこへ行ったら少しは食い物があるぜ。あいつらは俺たちに食わせないで、自分らだけは良い思いをしているんだぜ」

とけしかけている奴らがいる。

 昔から「貧すれば鈍す」というが、奴らは決して貧してなんかいない。貧しているのは、奴らにけしかけられている猿だけで、猿をけしかけることで奴らは「民意だ」とでかい面をし、スポンサー様からたんまりエサをもらっている。

 しかし待ってくれ、本当にそうなのか?奴らに猿踊りを踊らされているだけで本当に満足なのか?奴らに猿扱いされて悔しくないのか?かつて奴らは「大本営発表」の名の下、散々猿踊りの笛吹きをしていた過去があるじゃないか。当時と今は違うなどと言うかもしれないが、昔の「大本営の意のまま」というのは、所詮今の「視聴率マンセー」に言い換えられるじゃないか。奴らの本質は何も変わっちゃあいない。正義の皮を被った疫病神でしかない。

 何をそんなに怒っているかって、う~ん実は前からだけども、今でいえば「自衛隊のゴルフ場問題」に対するマスコミの報道姿勢。

 マスコミの言っている問題が何なのか、自分にはさっぱり解らない。

 評論家の宮○哲○、彼なんかちったあまともなことを言う人だと思っていたが、何故だかこの問題は彼にとって許せない問題のようだ。某番組では「絶対に許されない問題だ」と言っていたが、その理由は言わなかった。言う必要がなかったからいわなかったのか?

 では反論する。

 先ず自衛隊施設には、どうしても空いている土地が必要になってくる。無駄だと解っていても、滑走路や弾薬庫、燃料庫その他諸々のすぐ傍に道路や民家を作るわけにはいかないし、作ればそれはそれで大きな問題になる(民間的にも、自衛隊的にも)だとすれば、その土地は永久に遊ばせておかなくてはいけないのか?基地の安全に問題が無ければ、当然何かに利用したって良いのではないか?

 次に勤務の特殊性がある。彼らの仕事は、戦争の道具は持っていても戦争屋ではない。ありとあらゆる理由をつけられて、国家の非常事態に備えている。この非常事態というものは、めったに起こらないから非常事態って言うんで、いつも起きていれば非常事態ではなく、単なる「常態」でしかない。「非常事態に備える」っていうことを、平和ボケした人間に理解させるのはかなり難しいと思うが、以前東京都で震度5強の大きな地震があった時、非常時には真っ先に駆けつけますよっていう理由で、かなり優遇された宿舎に入っていた職員の、待機当番の業務要員34人のうち、21人が参集しなかった問題のことを思い出してもらえれば良いはず。つまり、非常事態に備えている人間には、他の人間のような自由で幸せな家庭生活など与えられていないわけだ。そうは言っても、多分殆どは何も問題は起こらないし、ある程度自由に過ごすことも可能だろう。けれども彼らの心の中には、いつも「一旦事有れば」という重石があって、このストレスは傍が考えるだけでも相当なものだと思われる。もしこれがストレスに感じていないようならば、この時は声を大にして「絶対に許されない問題だ」と言うべきだろう。話が少し逸れたけれども、つまり彼らは私たちのように無責任な休日を満喫できていないわけだ。どこかの総理大臣は、非常事態が発生した時にゴルフ場に居たために、対応が遅れたといってマスコミから非難されていたけれども、彼らにもそれと同じ状況がいつ起きても不思議じゃないことになる。このようなことにならないように考えるのがまともな組織ってもので、基地内にそういう施設を作ればいつでも非常時に対応できるし、お互いに安心できるじゃないか。そういうものを自分たちの力で作って、利用することのどこに問題がある?

 あと、子供の言い上げにしか聞こえないのが、その施設の利用料金が

「全く無料とか月に3000円とか考えられないですよね。私などは1回行けばいくら払います?」

というもの。じゃあ、あんたは休日妻から遠出を禁止されて、仕方なく自宅の庭にゴルフ練習場を自分の力で作った時、そこで練習する度に妻に対してゴルフ練習場に行くだけの料金を支払うのか?馬鹿じゃねえの?

 最後に可愛そうでならなかったのが、硫黄島基地にもゴルフ施設があるって言われていたこと。もう相手が反論しないからって、言いたい放題にもほどがある。自分も硫黄島には行ったことはないし、この先も行くことはないだろうけれど、間違いなく基地があるっていうことは、そこで勤務している人間がいるっていうこと。彼らは休日度に本土へ帰っているのか?知らないから言い切りはできないけれど、そんなことは有り得ないはずだ。何も娯楽の無い所で、休みだからって何をしろっていうのか?自衛隊員には人権は認められないのか?

 某前事務次官の問題があったのを良いことに、好き勝手言わないでもらいたい。ひとつひとつ挙げればキリがないくらい最近のマスコミの論調は、権力側が反論してこないことを見越して「単なる権力いじめ」に終始していて見苦しい。

 少しは自分の姿も反省しなさい。    

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大川村に捧げます

 前回書いたお爺からのこぼれ話、知り合いに話すと結構好評だったので、もっと無いかと探してみたのですが、今のところあれを越える話には行き当たっていません。

 まあ、元から有り得ない与太話だから、あれ以上のものを探すとなると、ただの法螺話で終わってしまいますよね。与太話の良いところは、話している本人はかなり真剣に話してるっていうところで、聞いている方は「何か可笑しな話だ」と思いながらも、まあギリギリ許している所だと思うのですが…

 さて、思いつきの話。

 さっきの与太話の続きにもなるのだけれども、もしも山奥でFA-18が民家と同じくらいの高度で捻り込みとかしているのであれば、飛行機好きにとっては

「ぜひ一度見てみたい」

って思いませんか?航空祭での派手なパフォーマンスも楽しいけれども、自分の目の高さに近い高度を飛んでいく飛行機って見たことないですよね。

 そこで思い付いたことがある。地元で騒音に悩まされている人には申し訳ないけれど、どうせやかましく戦闘機が飛ぶのであれば、1年のうち何回か限定で思う存分飛んでもらうってのはどうだろう?

 適当な場所があるかどうか判らないけれど、米軍と打ち合わせた上で会場のような場所を構えることができたら、きっと人は集まるし、その人たちが使っていくお金で財政的にもかなり潤うのではないだろうか?ついでに米軍に反対する左翼の人たちも大勢来るだろうし、その人たちには「安保の丘」のようなところを構えておいて、精一杯

「ヤンキー・ゴー・ホーム!!」

って叫んでもらって、ついでに地場産品をお買い上げ願って(笑)

 仮に1万人の人が集まって、平均5000円使ってくれれば、それだけで5000万円。この村の年間総予算が9億円程度なので、年数回行えればかなり財政的にも楽になるのではないかと思います。まあ何かと問題が山積みで、傍で私が考えるほどには簡単に事が進むと思わないのですが、村のホームページを見てみると、かなり苦しい台所事情のようで、大きなお世話ながら思い付きで書いてみました。このイベントならば、そんなに費用もかけないで済むと思われますので。

 もし、私の話が法螺話に聞こえるのならば、ぜひ一度航空祭の賑わいを見に行ってみてください。私なんか貧乏旅行を旨としているのですがそれでも、行けば1回で5万円くらいは使いますよ。

 500人足らずの人口で、1万人規模のイベントを開催するのはかなり難しいでしょうが、知恵を絞って頑張って下さい、その時には応援します。 

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スズメバチ飛んだ

 仕事の関係で山の中をふらふらしていたら、突然音に襲われた。

「ショルルグヴァガギャグェギェゴゥゥゥゥゥゥゥ…」

 目測、300メートル。

「あっ、FA-18」

 そういえば、ここってオレンジルートの真下だった。何年前だったか、A-6が墜落したダムの近くだ。しまったな~、もう1回飛んでくれないかなぁ~と意地汚くいつまでも空を見ていたが、残念なことにもう来てくれなかった。

       *       *       *

 次の日、もう少し東の方の山の川べりで用事をしていると、

「ショルルグヴァガギャグェギェゴゥゥゥゥゥゥゥ…」

 目測、200メートル。

「しまった~、何やってんだオレ」

 時間は午前11時半、昨日も大体同じ時間だったよな。

 …っていうわけで、今日こそはと、双眼鏡を用意して、携帯のカメラも立ち上げて同じ時間待っていました。待っていました。待っていました…。

「何で来ねえんだよ!!」

       *       *       *

 話によれば、ずっと山奥に行けば、限界集落の民家の直ぐ横を飛ぶこともあるらしいから、今度調べておいて行ってみよう。何でもパイロットの顔がはっきり見えるとか、手を振ったら振り返してくれただとか、どう考えてもありえないような話が、この辺りにはゴロゴロしている。割とこの手の与太話は嫌いなほうじゃないので、自慢げに鼻の穴をおっぴろげて話してくれる土地の爺さんの、見てきたような嘘話をニコニコしながら集めてみました。

「あの米軍の戦闘機いうたら、やかましいだけじゃないき。もう、あれが飛んでいった後いうたら、いっぱいゴミが落ちちゅう。わしも一回だけ見たけんど、飛びながら窓を開けて何か捨てよったが、&+$*#…(とても、恐ろしくて書けません)」

「雪の中、山に行っちょったら、急に来てのう、いきなり機銃を撃ってきたがよ。わしゃあもう、生きた心地がせんかったきに。雪の中にやられた振りをしてうつ伏せになって、おらんなるまでじーっとしちょったわや」

 うん、飛行中に窓を開けてゴミを捨てれる構造になっていたとは知らんかった。さすが米軍機は凄い!(一体何と見間違ったのだろう??ちょっと、この爺さん電波法違反の気があったのかも)しかし、山中で実弾訓練をしていたとは許せない。しかも人に向かって!!(いえいえ、多分この爺さんは、急に戦闘機に出くわしたものだから、大戦中の記憶がフラッシュバックしてきたのでしょう)

 とまあ、こんな話がザクザク出てきます。興味のある方、一度オレンジルート探検に出掛けてみてはいかがですか?

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DIさん VS

やっと、やっとGW終わりです。

ず~っと仕事でした。

みんな楽しかったのでしょうね。

 仕事はまあ仕方ないし、一般道が混んでいるのも仕方ないとしても、高速道路の素人さん方はもうちっと何とかならんのだろうか?狂ったように走るのはまだ「好きに一人で死ね」と思うくらいで済むけれども、ナンバーがみえなくなるまで競りついてくるとか、下りのカーブで、人の車を追い越した途端に直前でブレーキ踏むとか言うのは、ちょっとこちらの命にもかかわってくるので、本気で怒りマークが浮いてきます。

 車が多いと、バカな運転をする人間の絶対数が増えているので、みなさん気をつけましょうね。ハンドルを握るという責任感を、権利だとはき違えているような人ほど、きっとそのことに気付いていないのでしょうが…。

     *     *     *

Di  さて、先日DIさんが来てくれました。夜中にフェリーに乗って、その後ひたすら沖縄の風とともに(バイクのナンバーが沖縄ナンバーです)やってきました。途中、そそのかして、鍋焼きラーメンなんてものを食べさせたりもしましたが、午後2時過ぎに無事到着しました。(余談ですが、お土産に戴いたマル秘DVDは、もう感涙ものでした)

「夕べ2時間くらいしか寝てないんですよ」

と、さわやかな笑顔で弱音を吐くものだから、つい優しい気持ちになって、飲み会の始まる夕方までホテルで休憩させてしまったのですが、これが後で考えてみると大失敗の始まり。悪魔に復活の時間を与えてしまったのです。

「いや~、隊の者にも、今日は1対3(ワン バイ スリー)だから帰って来れないかもしれない、なんて言ってきましてね」

 DIさんは、名物の塩タタキを口に放り込みながら、さりげなく予防線を張って僕らをおびき寄せるのです。人間一度でも仏心を出してしまえば、どうしても攻めきれなくなってしまい、ふと気付くと僕ら3人はまんまと悪魔の術中に陥って、どうしても挽回できないほどにベロベロに酔っ払っていました。いや~恐るべし。おまけに、

「今度は鉄砲玉を何人か連れてきますから(越後屋笑)」

なんてサラリと言ってのけられたりして…(恥)

 ところで、先日閉店と書いてしまった居酒屋さんですが、体調を崩して休業中だったとのことです。本当に失礼なことを書いてしまいました、本当にごめんなさい。訂正させていただきます。早く元気になって、また僕らを酔っ払わせて下さい。

 そういえば、DIさんから

「今年の新田原航空祭、自分が転勤したとしても、絶対に302会には出て行きますから、絶対に来て下さいね」

と、強く念押しされてしまいましたので、またツアーを組んで押しかけます。301の皆々様どうか今年もよろしくお願いします。

     *     *     *

 今年はどんな出来事のある年になるんだろう。CFさんにも「百里に行きます」って約束しているけれど、航空観閲式とかあって忙しいだろうし、航空祭はないし。平日に行ってRFに乗せてもらおうかな?茨城空港が開港したら直接行けるんだけど、まだ2年くらい先の話か~。羽田まで飛行機で、その後JRで行くことになるよね、やっぱ。他の者とうまく日程の調整がつけば良いけど。あ~何か初めての場所って、勝手が判らないから不安でしょうがない。こんな時にA型の血がうらめしく思う、Bがうらやましぃ~(笑)

 百里と新田で、予算はどのくらいいるんだろう?とりあえず、へそくりは10万円しかないぞ!っと…。ちゃんとしたことは、別の日に考えよう。

 では、皆様おやすみなさい。

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亡霊(ファントム)たちの宴 026

あとがきにかえて
 
 これで亡霊(ファントム)たちとの話は一旦終了です。長い独りよがりに付き合っていただいて本当にありがとうございました。書き始める前のつもりでは、最初の航空祭で隊舎に招いてもらった回で終了予定だったのですが、生来の計画性のなさ、行き当たりばったりで生きてきた性分から、ついつい調子に乗って心の赴くままに書き連ねてしまいました。
 あと、この話を書き始めてから判明したのですが、残念なことに、この話の主な舞台となった居酒屋さんは、今年に入って閉店されてしまったようです(DIさんから教えてもらいました)……というわけで、今年以降の航空祭の前夜祭(302OB会)があるのかどうかも未定の状態です。もしこの後も、続いて出席できるようなら、気持ちの良い漢たちの続編を書いてみたいと思います。
 最新情報としては、今月末にDIさんが遊びに来ます。迎え撃つメンバーは、最初の新田原出撃者(ファーストメンバー)であるKH・MKの3人。DIさんはひとりで来るので、多人数を呼んで一斉攻撃してしまうと轟沈してしまって帰れなくなると大変だから(戻ったその夜にも飲み会が待っているようです)少人数で迎える代わりに、地元の幻の超有名店?とてつもない異骨相(いごっそう)の親父が待ち受ける店を予約しました。脂の乗った時期をやや逸してしまいましたが「塩たたき」が名物の店で、以前NHKの「ためしてガッテン」で紹介されていた店です。興味のある方にはお教えしますが、色々しつけに厳しい店なので、下手をすると異骨相の親父に泣かされます。あまり様子の判らない人にはお勧めできません。
 最後に、このブログを始めるにあたってCFさんが教えてくれたこぼれ話を紹介します。

その1
 ある飛行場での出来事(何処とは言いませんが)登場人物はM君としておきましょう。いつものように颯爽と乗り込んだ愛機(本当は決まった機体はないらしいですが、あくまで雰囲気で)離陸準備を整えて、やって来ましたラストチャンス。
    ブーン、ブーン
 今日は何だかインカムに雑音が混じるなあ。なんだよ人がせっかく気分良く飛び立とうとしている時に。
    ブチン
 M君が気付いた時、何故か衛生隊のベッドの上。聞けば凶悪なスズメバチが入り込んでいて、離陸直前にM君を刺してしまったためにこの有様と相成りましてございます。
 
その2
 これもM君の話、忌まわしいスズメバチ事件の記憶も薄らいだある日のこと、すっかり元気になって、でもスズメバチだけは許さないぞと意気込んで乗り込んだ愛機(だからそんな物無いって)
    ???
 何か物足りない、何だろう。天気はこんなに良くて、絶好のフライト日和。頬を撫でていく風が髪を揺らす。やめてくれよ、ヘアースタイルが乱れるだろう。
    ヘアースタイル???
 途端に罵声が飛んできて
    馬鹿野郎、その頭で上がる気か!!
初めてヘルメットを被っていないことに気づいたM君でした。
 
 ……本気にする人がいたらいけないので断っておきますが、この話はヒントだけもらったもので、殆どが僕の妄想です。見てきたような描写・台詞は総て創作で真実ではありません、悪しからず。
 
 
 この次は地味な小説でも書いてみようかと考えていますが、まあ暫く気が向くまではポヤポヤしています。特別編でDIさんとの宴を挟むかもしれません。期待している人は少ないと思いますが、時々は今後ともよろしくお願いします。

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亡霊(ファントム)たちの宴 025

3 そして、亡霊(ファントム)たちの宴(弐)
 宴会は絶好調で進んでいく。百里からはCFさんの代わりに来ていたM山さんが、ひっちさんに捕まっている。いつものようにジャパン(日本酒)がコップで飛び交い、今回は302飛行隊から来ていた〇〇さん(本人の名誉?のために伏せ字で)が集中攻撃を受けて、最終的に自衛官の初被撃墜者となった。また嬉しいことに、PYさんとの再会も果たすことができた。僕らが沖縄へ出動する少し前に転勤になって、301飛行隊に来ていたのだ。約2年8ヶ月前、先代のこの店で飲んでいた時
「今度は沖縄で、泡盛勝負をしましょう」
といって別れて以来だった。約束通り、沖縄へ勝負しに行ってたんですよと酒を注ぐと、弾けるような笑顔を返してくれた。そして、沖縄での話をしていてGGくんの話が出ると、やにわに携帯電話を取り出して、
「お~いGG、今何しとる?暇か?飲んどるんから来んか。ぶっ飛んで来たら30分で来れるやろ」
 う~ん、僕も後輩に「飲んでるから今すぐ出て来い」て電話したことはあるけれど、さすがに海を越えて飲みに来いって言ったことは無かったなあ。勿論、冗談だけど(冗談に聞こえないところが、チト凄い)
 PYさんの横で飲んでいたBMさんも、今年の異動で沖縄から来られた人。何とF-22が沖縄に来ていた時に行われた模擬空中戦にF-4で加わっていたとのこと。
「レーダーに映らないってことは、本当にもの凄いことなんですよ」
 BMさんから、話しても問題ない範囲でステルス機について、僕の猿のような脳みそでも判るように説明してもらった。つまりあれだ(ここから先は僕の勝手な解釈によるもので、BMさんの言葉をそのまま伝えるものでは無い)レーダーに映らないってことは、肉眼で確認するしかないのだけれど、その肉眼で確認できたとしても機械の方は依然認識できていないので(だってレーダーに映っていないのだから)ロックオンすることが出来ないって理屈だ。ミサイルで相手を捕らえることができない訳だから、本当に性質が悪い。命中精度を上げるために、これまで心血を注いで開発してきた追尾型の近代兵器を根底から馬鹿にしているわけで、相手はもう当てずっぽうでミサイルを撃つか、機銃で反撃するしか手がなくなるわけだ。これは凄い。
 2年ぶりのEMさんは、全く異なる仕事に手を焼いているらしく
「毎日毎日、パソコンと向きおうて夜中まで。ずーっとですわ。ほんま気ぃ狂いまっせ」
とぼやいてばかり。独特のEM節は健在だが、なかなかストレスを溜め込んでいるようだ。性格を考えてみると、デスクワークは辛いものがあるだろうな。
 DIさんが来年以降の引き継ぎをしてくれる。
「皆さんはもう、この302OB会の名誉会員ですから、私いなくなっても必ず他の者に引き継いでいきますんで、絶対に続けて来てください」
 PYさん、BMさん、ZTさん、IIさんたちに来年以降のことをくれぐれもお願いしとかないと。
 その後も宴は続き、僕らひとり一人が幸せに包まれて宿に戻ると満天の星空で、明日の航空祭の天気を保証してくれていた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 024

2 そして、亡霊(ファントム)たちの宴(序)
Photo_2  この年は基地開設50周年だったようで、これに伴う記念式典などが前日から行われていた。今やすっかり時の人になった知事が、みょうにペコペコしながらジープに乗って場内を回っている姿は、式典の緊張した空気の中にあって異質さを醸し出して、さすが芸人魂は消えずってことかと何か笑えてしまった。昼食は勿論「お〇さかや」で、今回のチキン南蛮大の挑戦者はK内くん。小柄な割にペロリと平らげて涼しい顔、うーん、手前でモーニングのトーストを食わせてなかったのが失敗の原因か。
 いつもは10時ころから始まるブルーインパルスの予行飛行は、今年は午後から。これを見て、風呂に入って体勢を整える。
 
 いつもの店に午後7時に着くように出掛けると、もう顔馴染みとなった皆に暖かく迎えられる。その中にEMさんの顔を見つけた。2年ぶりの笑顔は、少し白髪が増えたものの(まあ、これはお互い様だけど)元気そうでホッとした。そして沖縄で八Fくんが「EMさんのラストフライトはもの凄かったですよ」と話してくれたことを思い出した。もうこの話だけで、僕はその場に居たような気分になる。
 きっと「おらおらおらおら~!」とか叫びながら(心の中で)脚が浮くと同時に引き込んで、すぐに全開に突入すると、その地面すれすれの高度を保ったままで山に向けて突っ込んでいく(気分だけね、あくまでも)そして、ギリギリで引き起こすとズキャキャキャキャッと急上昇して、やがて機体が空の青に溶け込んで、轟音の名残を追いかけていく。
 こんな妄想をしながらEMさんと酒を酌み交わす。式典出席で少し遅れてきたDIさんを、今度は轟沈しないで待っていられた。
 そして、席に着いて間もなくのDIさんの口から
「私来年はいないかもしれません」
との一言。うーんいつ聞いても寂しい言葉だ。転勤は公務員について回ることだから理屈としては仕方ないのだけれども、それにしてもEMさんとDIさんは、最初に僕らを迎え入れてくれた人たちだから余計に寂しく感じてしまう。
 次の行き先については、まだ正式の話ではないので判らないけれど、本人はパイロットの教官を希望しているみたいだ。
「もう、ジェットのGはしんどいですわ」
 パイロットという職業は、はたで考えているほど楽でも華やかでも無いようで、飛行隊に行けば首にコルセットを巻いている人が居たりする。普通に考えてみれば、交通事故にでも遭ったのだろうかとか、武道をしていて痛めたのだろうか、などと思ってしまうわけだけれども、聞いてみればそんな理由からでは無く、単にF-4を操縦していて痛めてしまうのだそうだ。これを聞いて僕は「エッ」て思った。DIさんも「もう、体はボロボロですわ」と明るく笑うけれども、実際あの狭いコクピットの中では、僕らの想像の及ばない過酷な格闘が行われているということを知って愕然となった。ものすごいGがかかるという知識はあっても、実際にそれがどの程度のものかなんてことは所詮素人のお気楽な想像でしかなく、彼らのことを理解しようともせずに、単に見た目の格好良さ、轟音のもの凄さだけにシビれていたのだ。
 こんなことを考えていくうちに、次第に感じ始めていた航空祭・宮崎に来る次の意義ということの答えが見えてきた。
 ファントムが政治的問題を引き起こし、F-4EJとして日本の空に登場して以来30年以上が経過した。近代化改修が行われ、F-4EJ改として延命が図られてはいるものの老朽化は否めず、退役するのも時間の問題(F-X問題がごたごたしているから、もう少しF-4の雄姿を楽しめそうだが)となっている。残された時間、そんな彼らの生の姿を、彼ら自身を通じて感じ、見詰めていこうと決めた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 023

その10 新田原基地航空祭2007

1 さよならは別れの言葉じゃなくて
 話は前後するけれども、僕らが最初にお世話になった民宿のお父さんが亡くなった。教えてくれたのはDIさんで、知ったのは6月のことだったが、実際に亡くなられたのは春のことだそうだ。知らなかったとはいえ、お世話になりっぱなしだったのでお父さんに申し訳なく、遠く離れた地から遅ればせながら手を合わせた。
 僕らに楽しい焼酎の飲み方を教えてくれたり、絶品の地鶏焼き・チキン南蛮を食べさせてくれたりと、思い出せば数限りなく、何よりも僕らと301飛行隊の人達との橋渡しをしてくれたことは、一生忘れられないことのひとつ。

 
Photo  沖縄から戻るとすぐに各飛行隊は戦競シーズンに入り、先日案内してもらった八Fくんが第2編隊で出撃し、302飛行隊の戦競パッチのデザインはGGくんのものが採用されたとのこと。また、DIさんはこの夏から301飛行隊の飛行班長を拝命しており、どちらの応援をすれば良いのかハムレットの気分。結果は302飛行隊の優勝で幕となり、その時の話なんかを両方から聞かせてもらったりしてお得な気分を満喫して過ごす。そしてまた新田原ツアーを企画して、宿の手配・人員の調整を済ませたところで続いて事件がおきた。
 先ず岐阜で離陸しようとしたF-2墜落し、間もなく米本土のF-15が空中分解を起こした。これによりF-2・Fー15が相次いで飛行停止となって、日本の空の守りは我らがF-4が一手に引き受けることとなった。……と書けば格好良く、「イヨッF-4、日本一!!」とか合いの手を入れたくなるけれど、実際の当人達は本当に大変だったみたいだ。那覇の部隊は一部百里基地へ展開させられて、それぞれのF-4部隊が飛行停止が解除になるまでずっとアラートに就かされたからだ。要は24時間領空侵犯などに対応する体制を、F-4部隊だけで続けなくてはいけないってこと。このまま飛行停止が続けば、当然航空祭にも影響が出てくるのではと、僕としても経過が気になって仕方ない。幸いなことに、11月の20日ころには全部停止解除となって、やれやれと一安心。
 今回のメンバーは、去年に続いてのN川係長と、2年ぶりのK内くん。そして大の自衛隊狂である「ひっちさん」が加わった。ひっちさんは、本名H田さんなんだけれども、だれも本名で呼ばない。会社の中では、ひっちさんで通っている。理由は、最近はやりの3と3の倍数でアホになる芸人じゃあないけれども、ひっちさんに数を数えさせると、

「い~ち、に~い、さ~ん、し~ぃ、ご~ぉ、ろ~く、ひっち
と言ってしまうらしいからだ。僕は未だ聞いたことが無いけれど。
 実はひっちさんとは去年の新田原航空祭の時に会っている。一人で来ていて、ばったりN川係長と出会ったわけだ。ひっちさんの格好を見て、CFさんが
「う~ん、あの人はかなりのマニアですね」
と思わず唸ってしまうほどだった。まあこんなメンバーで、宮崎を目指すことになった。

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亡霊(ファントム)たちの宴 022

3 なんくるないさぁ~(お気に入りのひとこと)
 基地を出た僕たちは、ゆいレールで一旦戻り、「おもろまち」とかいうところでレンタカーを手配して首里城を見た後、ドライブがてら西側の道路を通って嘉手納基地へ行き、そのまま東側へ出てから南下してホテルに戻った。他にも行きたかった所はあったけども、時間の関係で割愛となった。これだけで、沖縄を語るのはおこがましいというか、馬鹿丸出しだからやめとくけども、とにかく島中に良い風が通り抜けていて、本当に気持ちが良かった。
 凄まじいなと感じたのは、米ちゃん関係の車。もう、 走りさえすれば良いという車の多いこと多いこと。フロントガラスがどう見てもビニールなんて車もあったし、ぐるりと回っただけなのに、3ヶ所で事故(全部米ちゃんがらみ)を起こしていた。こりゃあ地元の警察大変だわ。
 首里城周辺では、のほほんとした空気が漂っていたのに、嘉手納基地の近くでは、先に書いたとおり米ちゃんが増えてくるほどに、何だろう基地の町としての緊張感が増してくる。見た目だけで言えば、基地周辺はとても日本じゃないアメリカっぽい感じで、ある意味かっこいいのだけれど……。

Photo_3 とにかくお約束どおり、安保の丘から
「ヤンキー・ゴー・ホーム!!」
と叫べば、食べていたサーターアンダギーが喉に詰まって悶絶してしまった。あと何ヶ月か早く来ていれば、最新鋭F-22ラプターが見られたかもしれないんだけれど、この時はF-15すら姿を見せず、ちょっと寂しい気持ちで、悔しいからF-22のDVDを買って帰った。
 
 GGくんから「無事那覇に戻りました」とのメールが来たのは、午後4時半を回ったころだった。GGくんの「昨夜殆ど寝てないから、もうこのまま寝かせてくれ~」という本音がひしひしと感じられたが、ここは心を鬼にして飲み会に来てもらう。約束の場所は「うりずん」という、どういう意味なのか全く判らない名前の、しかし地元ではなかなか有名だというお店。GGくんがここを予約してくれていた。他に午前中にお世話になった八Fくんにも無理を言って参加してもらった。店は古いのだけれど、その古さが風格を伴った感じで、少し暗めの照明が雰囲気を演出している。
 大変だった空港の足止めの話を聞きながら、皆でワイワイと泡盛を流し込む。いつの間にか隣の席では三線が鳴り始めて、口笛・囃子声も加わっていかにも沖縄の宴会らしくなり、リンクして僕らのピッチもあがっていく。今回やみつきになってしまったのは、豆腐よう。納豆が全く駄目な身としては、それまで試してみようとすら思わなかったのに、勇気を出して爪楊枝の先にすくって口に運んでみると、これがもう泡盛との相性抜群で一発で気に入ってしまったのだ。爪楊枝をしゃぶりながら泡盛をあおっている姿は、あまり上品な姿ではないけれど、まあこの際いいじゃないか、気に入ってしまったのだから。
 酒と肴と良い友に囲まれて、沖縄の最後の夜は更けていった。
 
Photo_2 沖縄からの直行便は朝出発の分しか無いし、この便を乗り過ごしてしまうと2日後まで次の便が無いので、眠い目を根性でこじ開けて空港へと向かう。
空港まで来てくれたGGくんに見送られ搭乗手続きを済ませると、那覇に別れの挨拶をしようとデッキに出てみる。滑走路の端に黒コゲの飛行機が目に入った。ああ、僕らが来る少し前に着陸と同時に燃えた旅客機があったけど、これがそうか。
 2泊3日の駆け足の旅行だったけど、次はもっとゆっくりこようと思った。…でも、来年度那覇の302飛行隊が、茨城の百里基地に異動になるんだよね。そうなると、次に来るのは一体何年先のことになるのだろう。まあ、いつかきっとまたチャンスはあるよね、それまでサヨナラ、グッドバイ・沖縄。

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亡霊(ファントム)たちの宴 021

2 至福のひととき
 翌日も那覇はスコンと晴れ渡っていた。朝いちで「ゆいレール」に乗って赤嶺駅で下車、てくてく歩いて那覇基地の正門に辿り着く。そこで、GGくんから連絡先を聞いていた八Fくんに電話して、正門まで迎えに来て貰った。
 戦闘機乗りって人たちに対して、みんなはどんなイメージを持っているのだろうか。EMさんやDIさんなんかは割と僕の中では、イメージどおりの人で、武人のたたずまいを持った、いかにも「戦闘機乗り」って風の人なんだけれども、これまでに一緒に飲んだ人たちを考えてみると、けっこうそんなでもないな~という印象の人が多い。例えば、CFさんなんかどちらかというと普通の人、むしろ優男の部類に入るだろう(勿論見た目だけだけど)
 皆と話してみても礼儀正しく優しくて、僕ら以上に常識人ばかりだ。今回僕らを迎えに来てくれた八Fくんなどは本当に優男で、とてもF-4をブイブイ乗り回しているようには見えない。所作に芯の強さを感じるけれども、どちらかと言えばアイドル系の笑顔だ。
 昔読んだあ○つき戦闘隊(年がばれるけど)のような、腕利きだがはみ出し者の集団が暴れまくるといった世界は展開しない。最近戦争漫画が無いので、ついつい例えが古くなってしまうけども、○戦はやと(ほとんど伏せ字の意味がない)とかの明るさ、爽やかさがある。

355 隊の中を八Fくんの案内で、ひととおり見せてもらって(あんなことや、こんなことを詳しく書けないのが本当に残念だけど)滑走路へ誘導してもらう。そしてそこに待っていたのは、F-4ファントム355号機。うんうん、実は以前360号機に乗せてもらったけど、ある意味夢心地で、もっと色々と感じておけば良かった、と後悔していた部分があったのでそれを補おうと触りまくる。きっと八Fくんは不安だったろうな、こいついらん所触るなよって。機から降りると、そこへ3機のF-4が戻ってきた。順番に入ってくる姿を間近で見ていると、このままエアインテークから吸い込まれてもいいかもって思ってしまったのは僕だけだろうか?そんな僕の不穏な心を察してか、八Fくんに
「危ないですから、動かないで姿勢を低くしていて下さい」
なんてストライクな指示でたしなめられる。そう言えば、考えている事が顔に出やすいタイプだ、と他人から言われたことがあったっけ、反省反省。最後にPXに連れて行ってもらい、同僚へのお土産なんかをしこたま買い漁って、基地見学は無事終了した。

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亡霊(ファントム)たちの宴 020

その9 琉球の風

1 季節は巡り歴史は繰り返される
「なあ、沖縄へ行ってみんかえ?」
 同僚のKHに脳天気に話しかけると僕は、口をポカンと半開きにして、馬鹿みたいに晴れた空を見上げてKHの返事を待っていた。
 2007年春のことだ。

 KHが航空祭というものに僕を誘って、はや3年の月日が流れていた。美保基地へ行って雨に祟られて、築城基地には婚礼が入って行きそびれ、そして新田原基地に辿り着いたのだが、この時に別の宿を選んでいたとしたら、EMさんDIさん始め何十人ものファントムライダー達との出会いは無かった。いくつもの偶然が重なって301飛行隊の彼らと出会い、この偶然の輪は意外なほど広がって、今では302飛行隊・501飛行隊の人たちとも交流ができていた。この偶然の積み重ねは、これまでに書いてきたように、もう殆ど奇跡のような出来事で、僕の中では単なる偶然ではなくなっていた(でもやっぱり、偶然の重なり合いなんだけど)
 今回沖縄に行ってみようと思ったのは、そんな彼らのもう一つの空気、出身隊(前にも書いたけど、僕が最初に知り合ったのは、旧302飛行隊会の人たちだった)である302飛行隊を感じてみたくなったからだ。GGくんに頼めば何とかなるだろうと思ってのこと。基地見学の許可をもらって、9月の初旬に出発した。メンバーは、KH・MKのいつもの2人とY田夫妻の5人。Y田夫妻は、春に岩国の航空祭に行って良かったのでという理由で初参加。GGくんはこの時、北海道旅行に出掛けていたのだが、僕らに合わせて戻ってきてくれて、翌日に基地を案内して貰う段取りだった。070906070907

 ちょうど台風シーズンでひとつ接近中だったが、進む方角が違っていた。首都直撃コースをとっていたので、中央のテレビ局などは、この世の終わりが来るような報道を繰り返している。勢力から言えば大したこと無いのに、何いってんだかバーカ。対岸の火事よろしく、僕らを乗せた飛行機は、定刻那覇空港に到着した。天候は晴れ、気温は29℃とあまり変わらないが、日陰に入ると涼しく感じるのは気のせいなんだろうか?絶好調の僕らは、国際通りへと繰り出し、台風のことなどすっかり忘れきっていた。
 北海道と沖縄は、台風の影響など受けていなかったから、僕もGGくんも全く気にしていなかったが、その日の夕方から風向きが変わってきた。GGくんからメールが来る。空港に着き搭乗手続きをしようとしたところ、目の前で案内板がカタカタと変わって、飛行中止となってしまったとのこと。思わぬところに落とし穴があった。
 北海道と沖縄の間には東京があった~!!
 今ごろ気付いても、時既に遅し。明日の那覇基地の案内人が北海道で足止めを喰らってしまったのだ。慌てて東京に向けて、「バカにしてゴメン」と謝ってみたが、そんなんで許してくれる筈もなく、気を利かせてくれたGGくんが、明日の案内人の手配をしてくれた。
「明日の案内を八F3尉に頼みました。連絡先を添付します」
 美保といい、最初の新田原といい、やっぱり最初は雨や台風に縁があるのだろうか。そう言えばこの3箇所とも、KH・MK・僕が入っているから、この3人の誰かに(雨・台風が)憑いているのだろうか?
 台風は長い時間首都圏に居座って、結局GGくんは空港で夜を明かしたようだ。僕らはその間、那覇の夜を満喫していた。最初は「あかが~ら」という店を紹介されていたのでそこへ向かったのだが、まだ開店間もなくお客さんもいなかったが、「予約でいっぱいさぁ~」と断られてしまった。くそ~手前から予約をしておけばよかった。結局、交番で尋ねなんとかという店を紹介されたのだが
「何が美味しいですか?」
と尋ねたところ、
「さ~ぁ、私行ったこと無いので判りません」
だと。まあ、結局その店に行ったのだけど、うん、味はまあそんなに悪くなかったかな。

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亡霊(ファントム)たちの宴 019

3 ケロヨンという自我
 今年もまた、極上の青空とともに航空祭が始まった。
 12月という季節を感じさせない暖かさで、コート無しのまま出動する。しかしこの上天気の下、不幸のどん底の顔をした男が一人いた。その名前は勿論、中G。大飯喰らいが特技の男なのに、朝飯のみそ汁がやっとの体たらくは何とも情けない。去年の自分の姿をそのまま確認している訳だが、これが僕のどS心をくすぐってたまらない。「おえ」とか「うっぷ」とか怪しげな音を出す物体を、車の後席に押し込んで基地へと向かう。
 これまでは基地の南側が駐車場として解放されていたが、今年からは抽選の駐車券を手前に貰っておかなくては駐車できなくなっていた。去年は宿からタクシーで移動していたので、今年もそのつもりだったのだが、ラッキーなことにB地区という少し卑猥な響きを持った基地内の駐車券を手に入れることができたので、行儀よく誘導に従って駐車場に入り車を駐める。しかし、ここからが結構大変だった。基地内とはいえ、駐車した場所は滑走路の西の方で、301の隊舎までは目測で1キロくらいは軽くありそうだ。シートを広げてくつろいでいる家族、妙にハイテンションな一団、すっかりパイロットに成り切っている者、笑っている人、不機嫌そうな顔の人、泣いている子供。様々な人間模様の中をテクテク歩いていると、携帯にCFさんから連絡が入る。
「もうこちらの方に向かわれていますか?近くに来たら連絡下さい。あと、昨日かなり飲んでいた連れの人は大丈夫でしたか?」
「ええ、今その大男にムチを入れながら向かっていますから、あと少しで着けます」
 そして無事管制塔の前で合流できて、CFさんとその前で記念写真を1枚パチリ。更に301の前でDIさんとも1枚パチリ。この写真は今、職場の机にはさんで飾っている。
       *      *      *       
 僕の航空祭の楽しみの一つに、ずらりと並んだ売店巡りがある。通の人にとってこんなものは邪道なのかも知れないが、色んなものがあって見ているだけでも結構楽しいし、お土産で買って帰ると、あげた人にかなり喜んでもらったりもする。
 この基地の航空祭の楽しみ方は、2つに別れているようだ。というのも、ここの滑走路が東南東から西北西に向けて伸びているので、北側の売店や隊舎がある方向に居ると、せっかく飛んでいる飛行機を見るのに一日中逆光の状態で見なくてはいけないからだ。いわゆるこれまでの滑走路南側派の人たちは、この逆光を一切気にしないで済むので、これはこれで魅力的に感じることもある。もし、301に知り合いの人が誰もいなくなって、売店巡りにも飽きたときには南側で見せて貰おうかな。でも、何か素人がいきなり入っていきにくいイメージがあるから、やっぱり温和しく北側で売店巡りをしてようかね、身分相応に。
 人間には環境に適応する能力がある、ということを何となく感じ始めている。初めての航空祭の時に、あれだけ鮮烈に僕を打ち抜いていった轟音に僕自身が慣れ始めているということだ。勿論、あの体験は一生忘れないし、いつでも自分の感覚として甦らせることができる。そして毎回新田原に来る度に、楽しい思い出を作り続けているからこそ、こうして出掛けて来ているわけだ。しかし、この頃から僕は、最初の時の轟音を単に確認しにきているような気がし始めていた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 018

2 武士(もののふ)の詩(居酒屋編)
 昨年の予言通り、EMさんは大宰府に転勤になっていた。でも他の人たちは、元気に顔を揃えていてくれたし、少し前に大きな手術をしたDIさんも心配していたのだが、すっかり回復したようで安心した。Photo
 僕がDIさんにそっと耳打ちする。
「去年の失敗を繰り返さんように、今年はヒットマンを連れて来ましたき。2~3人道連れに死んで来いと云うてありますから、遠慮なく殺してください(越後屋笑)」
「え~と、明日フライトがある奴はチョッと勘弁してもらって、他の者だったらかまいませんよ、どうぞ遠慮なく(悪代官笑)」
 こうして楽しく話が纏まって、宴が始まった。

       *      *      *       
「いやもう、自分で自分が嫌いになりそうっす」
 もはや人間の動き方を忘れた中Gは、手足をミミズのように動かしながら、DIさんに話しかけていた。何がこの発言に繋がったのか、今となっては知る術は無いのだけれど、僕の携帯にはこの時の様子が生々しく動画で残されている。
 DIさんは大男にすがりつかれて困惑の表情で、僕は携帯の手前から
「中Gしゃきっとせえ、しゃきっとせえ」
と、馬鹿笑いしながら叫んでいた。Cel24

 例によって、お土産に持っていった日本酒の一升瓶を抱えさせて、中Gに突入を命じたのは、1時間くらい前だっただろうか。残念なことに、屈強な自衛隊員を道連れにするには至らなかったが、まあ十分に健闘したほうだと思う。
「男ならコップで勝負してこいよ」
 僕の命令に忠実に勝負を挑んでいった中Gは、全体の4分の3 くらいを回ったところで、前述の状態に成り果てた。所詮多勢に無勢だし、僕も最初から本当に勝てるとは思っていなかったから、中Gの健闘には心から惜しみない拍手を送った。
 CFさんが今年も百里基地から来てくれていて、こんな僕らの様子につくづく呆れ返りながら
「いやあ、去年と云い今年と云い、飲みっぷりが半端じゃ無いですね。すごいですわ。さすがに酒処ですけど、皆さんいつもこんなに飲まれるんですか?」
とのお言葉を、今年も戴いた。Photo_2

「呑むメンバーが良かったら、何ぼでも飲めるんですよ」
 と返事して、今年は大人しく焼酎のお湯割で良い子を決め込んでいる。
 仕事のこと、家族のこと、仲間のこと、愚痴にならない馬鹿話。
 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、竜宮城の浦島太郎のように果てしなく続けば、何百年も経っているのだろうか。もう午後11時を過ぎてお開きを迎え、トイレに篭っていた中Gを支えながら外に一歩足を踏み出した途端に、自立歩行の能力を失った酔っ払いは忽ち性質の悪い肉の塊と化した。
「ピシッとせんと肉屋に売り飛ばすぞ」
 ハッパにも反応は無く、何かの本能だけに突き動かされて、支えている上体だけで何処かへ向かおうとする。足は一歩も前へ出ていないのに、上体を右へ左へと動かすものだから、あっちの植え込み、こっちの植え込みと突っ込んでいく。笑いは取れるが、世話が焼けるのがちと面倒だ。うん、これも来年の反省材料にしよう。

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亡霊(ファントム)たちの宴 017

その8 新田原基地航空祭2006

1 武士(もののふ)の詩(チキン南蛮編)
 前回の失敗を踏まえて、今回は鉄砲玉を用意した。身の丈は優に6尺を越え、目方は30貫を越えようかという大男の後輩。名前は中G。どでかい豆腐に針でポッポッポッと穴を開けたような、褒め言葉で言えば癒し系の顔。他には僕の心の師であるN川係長。
 中Gには、出発前からじっくりと時間をかけてネジを巻いてきている。
「ええか、今回のミッションが成功するもせんも、お前の働きにかかっちゅうき。できたら2・3人道連れに立派に死んでみせえよ」
 遣り取りだけを聞いていたら、もう殆どその筋の方の会話である。
「勿論、只とは言わん。その前に旨いもんを腹一杯喰わしちゃうき」

 こう言って連れて行ったのは、知る人ぞ知る宮崎県なのに「おお〇かや」というチキン南蛮の名店(まだ、この時は食べていなかったけれど)。空腹状態で連れて行ったのでは面白くなかったので、手前でモーニングの超厚切りトーストを3人分食べさせている。Photo

「ここのチキン南蛮は有名やき、大を食べや」
 こう言って注文する。勿論他の2人は並である。ネットで見つけて、でかいっていうのは何気に理解していたつもりだったが、出てきたそれを見て肝が潰れた。中Gは「うっ」と言ったまましばらく固まって、やがてひとつ深呼吸したあと猛然と食べ始めた。
「これは、いかんですき」
 食べ終えた中Gは、溜息ひとつついてから
「絶対に遺伝子操作をしちょります。そうじゃなかったら、あのサイズは有り得ませんきに」
と文句をいったが、顔は満足げに脂ぎっていた。
       *      *      *       
 温泉に2回浸って、じっくりと晩に向けて心を高めていく。露天でN川係長と並び、僕が宮崎に辿り着くまでの偶然の積み重ねについて話していると、中Gが寄ってきて、また
「やっぱり、どう考えてもあの大きさは鳥じゃないですよ。ニワトリがあんなに大きゅうなるはずがないですき」
と蒸し返す。かなり気に入った様子だ。見上げた空はどこまでも青く、明日の航空祭も好天気が約束されたようなものだ。
 でも、その前に301飛行隊の皆様との「楽しい会食」という名の戦場が待っている。僕はこれから中Gの身にふりかかる事態を想像して笑い転げていたし、中Gはというと、これから自分の身にふりかかる災厄のことなど全く気付くことなく、巨大だったチキン南蛮のことを反芻して巨体を揺らしながら笑っていた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 016

2 結願
 その後の経過は順調だったようで、GGくんは無事予定どおり札所を回って最終大窪寺に到着した。後半は元気有り余ってか、予定時間を大幅に短縮し見せて、迎えに向かっている僕を慌てさせた。予備日を何日か残してのゴールインは、現役自衛隊員の実力をまざまざと見せつけられたようだった。
 旅の苦労話をGGくんから聞いてみると、何度か自転車のタイヤがパンクしたのは、ある程度計算に入っていたとしても、宿が無く、山門横のベンチやコンビニの駐車場で寝てみたり、お金が無くなって銀行へ行ってみると、カードが提携されてなくってひもじい思いをしてみたりと、うん、これだけでも十分に値打ちがあるし、旅の大変さが想像できるのだが、中でも
「焼山寺へ向かう途中にお店があって、もうそこまででも十分にきつい坂だったから、もうダメ休憩していこうと思っていたんですよ。そしたら、そこに何人か外人さんがいて自転車で登ってきた自分に向かってオゥ・グレイトとかナイス・ガッツとか言ってくるものだから、ここで休んだら男じゃないと思って、ついそのまま行ってしまったら、もうその先に休める所が全然なくって、この時だけは、くっそーヤンキーどもに嵌められた、って思いましたよ」
という話が、何だかその現場に居たみたいに伝わってきた。
 他にも話を聞いていくうちに
「到着の時間が遅くて、何カ所か御宝印を押してもらえなかった所がある」
ということが判った。場所を聞いてみれば、先程話しに出てきた焼山寺とその次の大日寺、後は大宝寺に岩屋寺の4ヶ所だった。まだ昼くらいで時間に余裕があったから、それじゃあ悔しいだろうと、取り敢えず焼山寺と大日寺を先に回って、明日残りの2ヶ所を回ることにする。
 車で走ってみて再認識したのだが、焼山寺に向かう道は、間違っても自転車で向かおうなんてことは考えないほうがいい。途中、GGくんの思い出話がリアルに差し込まれてきて、より一層具体感がハンドルを通して伝わってきた。
 う~ん、やっぱりあんたはエライ!!Photo_4

 思っていたよりも時間がかかってしまい、2ヶ所目はギリギリ間に合った。家に帰り着くとすっかり陽は落ちていて、納涼花火大会が始まっていた。丁度花火が揚がる延長線上にでかいマンションが建ったので、高く揚がった花火しか見えなくなってしまったが、それでもベランダから見物しながらのビールを飲む。次の日も回る予定があったので、この日は軽く済ませてゆっくりと休んだ。
       *      *      *       
 結局僕は、GGくんと一緒に都合10の寺を回ったことになる。勿論この中には、これまでに何回か行ったことのある寺もあるし、それ以外に偶然行くことになってしまった寺もいくつか有る。ただ、圧倒的に行ったことのない寺が多かったし、こんなことでもない限り、先のことは判らないにしても、行くことは無かったはずだ。
 こうしてみると、前回の龍馬関連の施設にしてもそうだが、僕は、地元に居ながら何もしないで先入観だけで納得している
「ただの怠け者」
だということに気付かされたわけだ。異文化コミュニケーションなんて言うほど極端ではないけれど、自分の周りで埃を被っていた珠に気付くためには、敢えて違った眼を持った人と付き合うことも大切なのだと気付かされた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 015

その7 へんろ道
 
1 諸行無常

 2006年7月のある日、GGくんからメールが来た。
「夏休みに、自転車で四国88ヶ所を回ろうかと思っています」
 お遍路さんは小さいころから割と身近にいて、風景の一部としての認識しか持っていなかったし、これから話すちょっとした事情があったので、実際に回ろうとする人間が身近に現れて少し戸惑った。そんな風に考えてみたことが無かったからだ。
 お遍路さんについては、幼いころに親から聞かされた言葉がある。
「お遍路さんは、色んな事情がある人達やき、優しゅうしちゃらないかんがで」
 子供にこんなことを言ってみても判る訳ない。当然訊き返す。
「どんな事のあった人なが?」
「病気を治そうとしゆう人やったり、わけがあって自分の家に戻れんひとやったりするがよ」

 今のように「自分探しの旅」などといったような、ブームで回っているものではなかったから、以来お遍路さんには少し負の陰を感じて見つめてきた。
 そんな僕の思い込みなど関係なしに、GGくんは実にあっけらかんと、自転車旅行を実行に移してきた。総行程約1400キロメートル。予備日を構えているとはいえ、10日程度で回るには1日当たり140~150キロメートルを走り続けなくてはならず、あまりにも苛酷なその計画に僕は無条件で脱帽した。だって、自転車の平均速度が17キロメートルといわれているけど、それでも8~9時間は走り続けなければならないし、これには当然山道のペースダウンは計算に入っていないのだ。いくら日頃から鍛えているとはいっても、このチャレンジが済んだ後にはまた通常の勤務が待っているわけで、日程に余裕があればまだしも、とりあえずGGくんを完走させるのが先決だと、僕のお節介心がムクムクと頭を擡げてきた。札所と札所の間が開く場所については車で手伝ってあげても、決してその価値を下げるものにはならないだろうと思った。
       *      *      *Photo_2       
   メールで途中経過が次々に入ってくる。焼山寺の登りで予想以上に手を焼いて、その後も少しずつ計画がくるってきたようだ。3分の1を回った所で、1日遅れとなっていた。
 待ち合わせの善楽寺前に着いた時、GGくんは日焼けで真っ黒 くなって立っていた。見ようによっては違う国の人みたいで、僕は一応よく確認してみて近寄って行った。
「いや~、もう思ったよりも手こずっちゃって」

 笑うと真っ白い歯が、より一層違う国の人感を演出する。僕は何だかそんな姿が愛らしくて仕方なく、ただもうニコニコしている。
 竹林寺・禅師峰寺・雪蹊寺・種間寺・清滝寺・青龍寺
 夕方までにこれだけを一緒に回り、その後は僕の家で気持ちばかりのお接待。GGくんは、やはりひどく疲れていたようで、早々にダウンして爆睡した後、次の日にかなり回復していたのは流石だった。僕はどうしても休めない仕事があったので、ここから先の助っ人をKHに頼んで、近くのインターチェンジで
「今度は大窪寺で待ちゆうき」
といって別れた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 014

2 轟沈

 DIさんは一旦顔を見せてくれたが、家族を送って行ってすぐに戻ってくるとのことで
「1時間半くらいで戻ってきます。先にやっていて下さい」
と笑顔で言って店を出て行った。
 ということで、先に
「かんぱ~い」
とコップを掲げた後、練習が足っているのですぐにビールを卒業して焼酎にした。僕の正面にはEMさん、右隣には百里基地から来られたCFさん、左側には毎年来ているという薩摩おごじょのべっぴんさんが座っている。去年彼女を見た時には、店の手伝いなんかをしていたので、最初はてっきり店の娘さんだと思っていたが、その後この店に毎年来ている人だということが判明した。
 座が盛り上がってくると、やがてEMさんが
「おーい、〇〇(名前)ジャパン(日本酒のこと)やれや。ジャパン」 
と若いライダーたちにけしかけて、僕らが土産に持ってきた地酒が、コップで回り始めた。勿論、冷やで。
 最初の内は対岸の火事で、見物よろしくお湯割りを飲んでいたが、いつのまにかこちらにも火の粉が飛んで来始めて、K内くんがコップできて、それを返すとまたコップで来る。これを何度か繰り返しているうちに記憶が途切れる。途中CFさんがビックリした目で、僕らの酒のやりとりを見ていた辺りが最後の記憶となった。
       *      *      *       
 汚い話だが、吐瀉物が無くなっても、吐き気というものはどうしていつまでも襲ってくるのだろう。久し振りに、若いころでもなかなか無かったような悪い飲み方をしてしまった。ここまで飲んでしまうと、次の日は当然味噌汁がやっとの状態。それでも根性で基地に向かうと、昨日来ていた301の人みんなから
「大丈夫ですか」
と、心配そうに(?まあ、半ば呆れられて)声をかけられる。
 DIさんは、
「いやあ、私ちょっとのつもりで家族を送って戻ってみたら、何かもうエライことになっていて、ビックリしましたわ。皆さんと一緒に飲める思うて楽しみにしとったのに」
と残念そうに言ってくれ、それがまた残念でならない。 
 百里基地のCFさんも
「昨日は本当にすごい飲みっぷりでしたね、驚きましたよ~。今日は体の方、大丈夫ですか?」
と心配してくれた。うん、自分でも判っている。こんな酷い二日酔いは誰のせいでもない、全部飲んだ自分のせいなのだ。
 基地祭の屋台で出ているせっかくの地鶏焼も、この日ばかりは一切受け付けない。いやあ、情けないったらありゃあしない。
 昨夜コートを汚しちゃったので、売店でフライトジャケットを買ったけど、割と暖かいから必要なかったかもしれない。基地の中を歩き回って、なるべく汗を出すようにして過ごす。こうなると、航空祭の楽しみも半減って感じで、来年からはもう絶対に無茶な飲み方はしないぞと心に誓った。

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亡霊(ファントム)たちの宴 013

その6 新田原基地航空祭2005

1 集まり散じて、人は変われど 
 じりじりと焼きつけてきた日差しの角が次第に柔らかくなってきて、生き物総てがほっと一息入れるようになると、僕の中で何かが動き始める。初めはこの衝動の正体が何なのかよく判らなかったが、やがてそわそわと落ち着かなくなり、ついには大声で叫びたくなる。
   宮崎が俺を呼んでいる!!
 気付けば、またあの民宿のお母さんの携帯電話へ架けていた。
「ちくと早いですけんど、また今年も宿をお願いしようかと思いまして」
 少し間が空いて、お母さんの声が曇っていた。
「春に来てもらったあと、体を壊して……今は宮崎市内の娘のところに居るんよ。店の方は親戚の者でやってくれる人がいるから、その人に頼んで続けてもらうようにしたんですよ。宿の方は約束しとったから、同じ金額で近くの知り合いの宿に必ず言うときますから」
 楽しみのひとつに、宿のお父さんお母さんと話すこともあったのに、残念で仕方がない。でもまあ、居酒屋さんは後を継いでくれる人がいるみたいだし、雰囲気はそんなに変わらないかなと、自分に言い聞かせて、お母さんの
「調子が良かったら、前の晩の飲み会に顔を出すつもりですよ」
という言葉を救いにして、何とか気持ちを整える。
       *      *      *       
 今回九州に渡ったのは、MK・K内と僕の3人。去年の到着が夜だったので、今年はもう少し早く着こうと、夜中の船に変更する。九州に着いても朝まで仮眠させてくれる船があったので、これに乗って渡った後、途中ブラブラしながら西都市にある新しい宿へ、そこで温泉に浸かって一眠りすれば、体もそんなにしんどくないだろうという完璧の計画。
 でも実際は、船の中の仮眠も、宿に着いてからの仮眠も殆どとれず(いや、時間は計算どおりあったのだけれど、頭が興奮して寝てくれなかったのが誤算)かなり体調の悪いまま飲み会に突入した。
 タクシーで基地近くの、前回までの宿である居酒屋へと向かう。店構えは同じだけれども、店の中を埋め尽くしていた色んなファイター達の痕跡が無くなっていたのが残念。やっぱり引き払う時にお父さんお母さんが記念に持って行ったのだろうな。妙に小綺麗になった分、中に漂う空気が寂しくなった。まあ、これからまた新しい店で、ファイター達が新しい歴史を一緒に作っていくんだろうから、僕はその傍観者として見守っていこうと思った。
 気が急いていたわけでもないけれど、少し早くついてしまったから、僕らは飲み会の練習を始めた。飲み会の練習っていうのは、僕らの土地では普通のこと。早く着いた者が、飲み会の時間つぶしに先に勝手に飲み始めてしまうことで、婚礼の時にある「ウエルカムドリンク」(もしかしたら、他の処では無いのだろうか?)みたいなものだと思ってもらえればいい。酒飲みの土地柄のせいで、余所とは違った風習があるから、どうするのが日本のスタンダードなのかがよく判らない。体調の悪いところへ、この練習がけっこう効いていて、本番が始まるまでにかなり出来上がっていた。
 ファントムライダーたちが集まってきて、EMさんDIさんに
「今年もお世話になります」
と挨拶をしたところ、EMさんが
「わし、来年ここには居れへんかもしれません」
と言った。ショックだった。

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亡霊(ファントム)たちの宴 012

2 鯨海酔侯
 その夜は、とびきりの旨い魚で痛飲した。……と言いたかったけれど、残念なことに日曜日だったので、良心的に新鮮な魚で商売している居酒屋はどこも休みだった。どこでもそうだろうけれど、もし旨い魚を食べたければ、市場が休みの日は止めておいた方がいいと思う。Photo
 仕方がないので、最初は「ひろめ市場」ってところへ連れて行った。ここは市場という名前だけれど、市場では無い。何十だかの店(魚屋、肉屋、蒲鉾屋もあるし、和食・中華などの各国の料理屋もある)が集まって、それぞれが好きな店で料理を買ってきて、設けられている場所で飲み食いするというシステム。まあここで飲むと、とにかく安くて腹一杯になって、ベロベロになれる。そして運が良かったら旨い物も食える。厳密な言い方での飲み屋ではないが、周りは酔っ払いだらけなので、遠慮無く酔っ払いになれる。真っ昼間でも酒を飲んでいるから「よごれ市場」とか呼ばれる時もある。近くに女子校があって、そこの生徒は先生から学校帰りにここへ立ち寄ることを、きつくきつく止められているらしい。
 この日は運が良かった。何と3人前くらい入った鯨の尾の身のパックが1000円で手に入った。鯨喰いの人じゃあなかったら、有難みが判らないと思うけど、まあ試しにどこかで注文してみればいい、きっと目玉が飛び出るから。
 酒は人数の多い方が楽しいので、ここでKHを呼んだ。
「ええ~、もう飯済んだに~」
 とかブツブツ言いながら出てくると、駆け付けのビールをジョッキで飲み干した。
 3杯も飲めば調子も良くなる。続けて2件目、3件目と郷土料理の店を回ってGGくんにしこたま地酒を飲んでもらった。あまり酒の強くないGGくんはここでギブアップ。次、ホテルの地下にあるバーに誘ったけれど「もう、限界です」といって、ふらふら自分のホテルに戻っていった。
 僕らはと言うと、予定通り勢いでバーに突撃していった。実はこの後も強運は続いており、行くと英会話教室〇〇〇の講師というべっぴんさん(勿論、異人さん)が2人飲んでいて、大いに意気投合したのだった。GGくんも来れば良かったのに。
 途中からのことは、よく覚えていない。
       *      *      *       
 翌日GGくんを迎えに行くと
「きのうホテルで吐いてしまいました」
と弱気な発言。でも、十分に満足してもらったようで、その日の午後、龍馬っていう恥ずかしい名前をつけられた空港(別に龍馬が恥ずかしい訳じゃあなく、何にでも龍馬っていう名前をつけてしまうその根性が恥ずかしい)から、僕らに敬礼してくれて帰って行った。

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亡霊(ファントム)たちの宴 011

その5 GGくんがやってきた

1 龍馬という存在感
 その朝出勤すると、妙に人数が少ない気がした。
「K内と〇〇は、インフルエンザでダウンやき」
 宮崎から帰ってきて、10日くらい後のこと。仕方ねえなと仕事をしていると、夕方に僕の携帯電話が鳴り見てみるとGGくんだった。
 ああ、そういえば明日来るって言ってたっけと出てみると、
「今着きました」
と言う。来る日を1日勘違いして覚えていたようだ。普通ならここで何とか出来るところだが、あいにく休んでいる者がいるので身動きが取れなかった。なんてこった。あんなに強引に「電話かけろ」なんて言っておいて、いざとなったらこの体たらく。
「すまん、今晩だけ自分で何とかして」
 GGくんに謝り倒して勘弁してもらった。
       *      *      *       
 次の日は、朝一番でGGくんのホテルへ迎えに行く。僕のボロ車に乗ってもらうと、龍馬関係の資料が見られる施設を何カ所か一緒に回る。地元に住んでいてなんなんだけど、このあたりの施設にはとんと興味が無かったので、こんなことがない限り行くことは無かったんだろうな。
 そして気が付いた。地元でありながら僕は龍馬のことをそんなに知らないんだと言うことを。言い訳とすれば、龍馬はこの町で何かを成し遂げた人では無いので、英雄としての逸話がそんなに残っていなくても仕方ないと思うけれども、じゃあ、この町の中にこんなに龍馬が溢れているのは一体何だ?今まで育ってきて、生の口から口へと伝わる話としては、出鱈目な話ですら聞いたことがない。つまり、この町の人間の殆どは、龍馬のことをそんなに知らないのに、ただ馬鹿のように「龍馬、龍馬」と繰り返しているだけか?ただ、商売に利用するだけか?
 誰か僕に、これまでテレビや本で紹介されている話以外で伝わっていることを話してくれる人はいないだろうか。そんな話を知っておかないと、恥ずかしくてとても「龍馬の地元でござい」なんて言えないよね。
 龍馬のコスプレが好きだった市長がいたり、空港に龍馬とつけてみたりと迷走話には事欠かないが、どうせなら新しい港が出来た時に何で龍馬の名前を使わなかったのだろう?それなら、海が好きだった龍馬もまだ喜ぶ(?勝手に)だろうし、上手くいけばそこで祭りなんかも出来ただろうに……
 話が逸れたし、次第に腹が立ってきたから、この話はもうやめる。

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亡霊(ファントム)たちの宴 010

3 口は幸いの元
 飲み会に付き合ってくれたのは、EMさん・DIさん・PYさん。前回よりも少し打ち解けて、宿のお父さんが作ってくれる絶品の「地鶏焼き」をつまみに、ビール・日本酒・焼酎とピッチが上がっていく。PYさんはウエポンとかいう訓練課程へ那覇から来ていて、EMさんやDIさんも以前那覇で尾白ワシに乗っていたとのこと。航空祭の時、僕らが一緒に飲ませてもらったのは、この302のOB会だったのだと教えてもらった。(もしかしたら前にも聞いていたかもしれないが、僕はもう舞い上がっていて、それどころじゃあなかったし)
 K内はすっかりゴキゲンの様子で、PYさんを相手に
「うちの地元の流儀でやらせてください」
とか言って日本酒で献杯・返杯を繰り返している。宿のお父さん、お母さんも交えて、色んな話をしたし、聞かせてもらったけど、やはり面白い話はNGが多くて、全く残念残念。
 この時、横のカウンターに晩飯代わりで飲んでいたのが、那覇からF-4の操縦資格を取るために来ていたGGくん。話してみると坂本龍馬が好きで
「今度そちらに行く予定なんですよ」
と言う。すかさず
「おおー来い来い。ええかえ、来たら必ず電話しいよ」
有無を言わさず電話番号を交換する。そして、固く固く約束をした。
 この時の戦死者は、KH。飲み会がすんで、表の道路に出て妙にはしゃいでいるなと思ったら、突然基地との境に植わっている桜?に口から栄養を与え始めた。すいません、もしこの後成長に影響が出ていたとしたら、総て悪いのはKHですから。
 幸せな時間は、あっという間に過ぎるし、まさかこの宿に泊まるのが最後になるとは夢にも思わなかった。でもまあ、それはまだもう少し先の話。

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亡霊(ファントム)たちの宴 009

2 藍より青き大空に
 EMさんが迎えに来てくれて、正門で手続きを済ませるといよいよ中へ。勿論、航空祭の浮かれた雰囲気はない。改めて軍隊(って言っちゃあいけないんだっけ?)を実感する。
 隊の庁舎内をひととおり見せてもらったりした後
「この前、南海地震を想定して飛んだ時のビデオがあるんですよ」
と言って見せてくれた映像は、紛れもなく先日K内と一緒に見たF-4から撮影されたもので、残念ながらポカンと口を空けた僕らのアホ面こそ写っていなかったものの、山にへばり付くようにして暮らしている僕らの郷土がきれいに記録されていた。
「次は滑走路の方に行ってみましょうか」360_2
 そして、ついにメインイベントのF-4撮影会。嬉しそうに、でもそんな自分に照れながら控えめにコクピットに座っている写真は、大きくプリントして職場の机に挟んでいて、今でも時々見てはニヤニヤしている。機番は57-8360。
 戦闘機に乗って撮った写真と言えば、はるかむかしF-86Dでの写真以来だ。この時の白黒写真はもうセピア色に変わっているが、撮ってもらった時の記憶は、今もまだ総天然色でいつまでも色褪せることはない。
 車に乗って滑走路の近くに運んでもらうと、さらに滑走路のすぐ横の〇〇に入らせてもらった。
「ここは、ラストチャンスという所でチェックを済ませた航空機と交信して最終確認をするところ(だったと思う)です」
 すぐ真横をF-15が通り過ぎていく。航空祭の時を上回るほどのど迫力。ちょうどタッチ・アンド・ゴーの訓練中で、何度も何度も降りてきては飛び立っていく。滑走路の南側には、脚立を構えた人達が並んで見えたが、逆から見ると何だか不思議な感じがする。写真を撮ろうと思ったが、室内が狭く邪魔になったらいけないのと、近すぎて全体を入れられなかったことから諦めてしまった。
 夕方までたっぷりサービスしてもらい、記念のパッチをプレゼントしてもらってホクホクしながら宿へともどった。


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亡霊(ファントム)たちの宴 008

その4 新田原ふたたび

1 F-4は我らが頭上に

4「まあ、よう来られました」
 宿のお母さんの声を聞いて安心した。
「また、お世話になります」
と言って、離れの2階に上がっていく。
 年こそ2005年に変わっていたが、あの感動的な航空祭からまだ3ヶ月余り、僕はまた宮崎に来ていた。自分自身、まさかこんなに早くここにやってくるとは思いもしない、まさに予想外のことだった。
       *      *      *       
 日常生活に戻っても、しばらくは興奮が残っていた。ジェットの音を聞きつけると、空に彼らの姿を見つけ出そうとして見上げることが多くなっていた。そんな音を聞いて見上げた南の空を、ある日2機のF-4が東の方へ飛んで行くのを見つけた。2月中頃のことだ。それを一緒に見ていた同僚のK内が突如口を尖らせて
「そんな楽しい思いをしてず~る~い~。僕も行きたかった。い~き~た~か~った~」
と爆発し、それ以来、毎日呪文のように繰り返してきた。これまで散々楽しかった話を聞かせては、羨ましがらせて楽しんでいたしっぺ返しがきてしまった。
 根負けして、日にちを繰って、EMさんに連絡して、前回と同じ宿を予約して……コースは同じだから、段取りはまあ簡単だった。今回の宮崎参りのメンバーは、主犯のK内・KHに僕の3人。宮崎まで行っているのに、普通の観光は一切なし。基地を見学して、その晩にEMさん・DIさんと酒を飲んで、あとは帰るだけの計画。
「もったいない」
 何人かに言われたが、目的がぶれない分いいじゃないか。あれもこれもと欲張るよりも、濃厚な時間を満喫したほうが満足度は高いはずだから。
 見学時間は午後からだったので、前回よりも早い船で渡り丁度くらいの予定だったが、思ったよりもかなり早く着いてしまった。まあ、遅れるよりもいいだろうと、荷物を降ろした後、時間調整に基地の周りをぐるぐる周りながら連絡を取って、正門に迎えに来てもらう時間の段取りをつける。前回の興奮醒めやらぬままの、今回の見学の目的は
  F-4のコクピットで写真を撮る
という極めてミーハー且つ単純なものだったが、神様もこのくらいの不埒な考えは大目に見てくれたのか、抜群の青空で僕らを迎えてくれた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 007

2 連行!? 301飛行隊へ
 台風が南から暖かい空気を運んできたせいか、ポカポカといい陽気だ。宿でとっておきの昼ご飯を食べてから一休みして、午後のブルーインパルスを見ながら会場内を3人でふらふらしていると、昨夜の見覚えのある顔が2人。会釈をすると近寄ってきて、にこにこしながらPYさんがこう言った。
「やっと見つけました。班長がお待ちですから、隊の方までご一緒願えますか」
 航空祭を見ているだけでも感動しっぱなしなのに、この上まだ隊舎内にまで入らせてもらえるとは。心臓が持ち堪えられるだろうかと思うくらいにドキドキしている。夢心地の中、入口で緑のリボンを渡されて廊下から階段を登り広い部屋に出ると、EMさんがカッカッカッと笑いながら、
「ゆうべ301へ遊びに来て下さい言うたけど、いきなりは来にくいやろうと思うて、迎えに行って貰うたんですわ」
と、事も無げに言う。1000043_img1000075_img1000086_img
 確かにそのとおり。昨夜誘ってもらっていたし、DIさんからは
「入口で私の名前を言って入って来てください」
と、入り方まで教えてもらっていた。だからといって、酔いが醒めた今、知り合ったばかりの人の所へ厚かましく押し掛けるられほど、面の皮も厚く出来ていなかったので、どうしようかと思いつつもふん切れなかったわけだ。
 しかし、である。
「迎えに行って貰うたんですわ」
 なんてことを、この人出に向かって(後日知った来場者数は、9万5000人だった)言って貰えるなんて、申し訳ないやら有り難いやら。砂浜に落ちた石ころを探すようなもので、歩き回らない分石ころの方が性質が良いかも知れない。
       *      *      *       
「なんや~ぁ!今年は何の芸も無いんかい、おもろないのう!!」
 帰投していく2機のF/Aー18に向かって、EMさんの明るい罵声が飛ぶ。色々うるさく言われているんでしょうと、周りの声が入り交じって、隊の中は次第に黄色を帯びてセピア色に変わっていく。美保のYS-11やC-1が、離陸した後も高度を低く抑え、ギリギリまで頑張ってから急上昇して飛んでいく度に隊の中から歓声が上がる。極限の状態を追い求めてきた漢達にしか判らない挨拶。僕らは少し後ろから、この情景を飽きることなく見つめていた。非日常的現実の中で、どっぷりと堪能させてもらったこの2日間を反芻しながら。


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亡霊(ファントム)たちの宴 006

その3 新田原基地航空祭2004

1 轟音一発!
 携帯電話の目覚ましをかけていたが、それよりも早く目が覚めてしまった。辺りはまだ暗く、酔い覚ましの水が心地よい。窓を開けると、基地の回りを車が取り囲むように並んでいる。彼らはここで夜を明かしたのだろうか。心配していた天気もすっかり回復したようで、MKは大丈夫だろうかと思い声をかけると
「う~、もうえい~今日は、よう行かん。ここで寝よるき~」
と情けない返事。しかし、その数分後、一番機が離陸した。
 家も揺れんばかりの轟音は、これまで体験したことの無いもので、つくづく基地近くの宿にして良かったと、幸せを噛みしめた。この音には副産物があった。さっきまで布団の中で駄々をこねていたMKが、この轟音一発で飛び起きたのだ。
「行く。今すぐ行く」
 現金すぎて、飛び起きた本人でさえゲラゲラ笑っている。
 暖かい味噌汁がもたらす至福のひと時は、二日酔いの酒飲みに許された唯一のものだ。3人ともすっかり元気になった。
 宿から歩いて出掛ける。並んでいる車の間を抜けて、ほんの少しで正門に着いた。天気はすっかり回復していたが、台風の抜けた後だけにまだ強風が残っている。朝早くだというのに、かなりの人が入って来ている。正門から滑走路に向けて流れる人また人。僕らはアーチを抜けて、そして初めての航空祭が始まった。
       *      *      *       

1000006_img_2  強風の中、ヘリが空中停止しながら必死に姿勢を保っている。日頃積み重ねてきた訓練の成果とはいえ、この風の中では並大抵のことではないだろう。その姿に、不覚にも涙が出てきてしまった。
「もうえい、もうえいき、無理するな」
 心の中で何度も繰り返して言ってみた。涙が止まらなかったのは、決して昨夜の酒が残っていたわけでもなく、強風で舞い上げられた埃が目に入ったわけでもない。航空祭の演目のために何も危険な思いをすることもないのに、それでも飛び続ける漢の気持ちに久しく忘れていた感情を思い動かされてしまったのだ。
 頭上を通り過ぎていったアフターバーナーの赤い色が、瞬く間に遠く高く消えていく。
 音に体を打ち抜かれたことがあるだろうか。
 会場の東側から進入してきた機体が、捻りを加えながら急上昇して行くと、轟音が映画で見た機銃掃射のように、地面に弾けながら迫ってくるのが判る。僕を貫いていった音は一旦会場から離れ、しかし違った方向から再び忍び寄ってくる。会場で流れる説明では、時速600キロとかの速度のようだが、勘が余程良いか抜群の視力を持っているかしない限り、とても逃げ切れるものではない。僕は何度も何度も、繰り返し貫いていく音の快感に身を任せて、口を半開きにして青い空を見ていた。この音をやかましく感じるか、快感と感じるのかは、聞き手次第なんだろうな、きっと。
 F-4の対地攻撃が始まる。昨夜DIさんが、
「明日の対地攻撃は、自分が飛びますから」
と言っていたのを思い出し、見ているほうもつい力が入る。そして、夢中になって飛行機の動きに合わせ、顔を上へ下へ右に左にと動かしていく。傍から冷めた目で見ている人が居たとしたら、確実に馬鹿にしか見えないはずだ。

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亡霊(ファントム)たちの宴 005

3 飲んで飲んで飲まれて飲んで 弐
 後の記憶は途切れ途切れになっていて、今となってはちゃんと紡ぎようもない。もちろん、覚えていることもあるけれど、面白い話っていうのは、いわゆる大人の事情ってやつで書けないことがある。うーん、もし僕がビル・ゲイツよりも大金持ちになって、迷惑をかけることになる人の生活を完全に保障できるようになったら考えようかな。
 それはともかく、この後何年も続くことになる記念すべき飲み会が始まった。
 途中MKが座敷の遠くの方で301飛行隊からの集中攻撃を受けている姿を見た。次に見た時には、壁にもたれかかりケタケタ笑っていた。最後に確認した時には、見事撃墜され横たわっており、その後いつの間にか姿が消えていたことから、自力で戦線を離脱していった模様。
 一方KHは、カウンター左の方にいたF-2パイロットと飲んでいた。当時流行っていた芸人に顔が似ているなどと、失礼な馬鹿話を続けている。
 僕はと言えば、301飛行隊のEMさん、DIさんに相手をしてもらっている。酔いに任せて質問をぶつけてみた。
 中学生だったころ、同級生が僕にこう言った。
「もし、太平洋戦争の末期に、今のファントムが1機有ったら、物資の総てを集中して、必ずや敵機動部隊を殲滅することができたはずだ」
 こんな話、その時以来思い出したことも無かったのに、頭の中の引き出しが何故かポンと開いた。素面なら、こんなこと思ったとしても聞くことは出来なかったと思う。つくづく、酔いの力というものは偉大だ。ど素人は臆面もなく無茶な質問を、このまんま口にしていた。
「う~ん、その当時のF-4の性能やったら、爆撃の精度自体がそんなに良うなかったし、それにレシプロの旋回性能には適わんから、囲まれたりすることを考えたら、とても1機じゃあ無理やね。絶対に無理」
 変に妄想が膨らむ返事ではなく、明確な答えが返ってきて、妙にすっきりした。しかし、酔っぱらいは尚もしつこく迫っていく。
「漫画のファン〇ム無頼に出てくる話やけんど」
「お~、あれは何回も読んだ」
 聞きつけた周囲の何人かもワラワラと寄ってきて、そして、ファン○ム無頼談義にひととおり花が咲く。今目の前で酒を酌み交わしている内の何人かは、あの漫画を見てパイロットになったのかと思うと、親近感が増してきて思わずハグしたくなるような衝動が込み上げてくる。
「この話の中で、実際に出来そうなやつ何か無いろうか」
「F-15なら相手にしとるな」
「トライスターに乗ってミサイル避けてみせる?」
「やれと言われりゃあ、やってみようか。とても避けきれんやろうけど」
「あの脚を出してダムを駆け上る、あらよっ!!コイの滝登りとくらァ!!っていうやつなんか出来そうな気がするけんど」
「無理無理、脚がもたん」
 なんて盛り上がりながら、この辺りから僕の記憶はグニャグニャになってきて、
「敢えてできるとしたら……」
とかいう話を聞いた覚えがあるのだけれど、しまった、どうしても思い出せない。

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亡霊(ファントム)たちの宴 004

3 飲んで飲んで飲まれて飲んで 序
 宿には母屋と離れがあって、その離れの2階が僕らの部屋だった。居酒屋は、入って正面が7~8人ほど座れるカウンター、右手が20畳余りの座敷になっている。何よりも他の店には真似できないのが、店中の壁という壁、いたる所に飾られた戦闘機と、それを乗りこなす漢たちの写真。そして、熱い思いのこもった寄せ書きの数々。ここはそんな誇り高い漢たちの梁山泊、やすらぎの店だった。
 僕らの前に並んだ料理、予約のときは「どうせ飲むから要らないかな」と思っていた晩ご飯、食べると旨くて疲れた体に力がみなぎってくるような感じで、気付くと3人黙々と飯を掻き込んでいた。ひと息ついたあたりで、宿のお母さんとあれこれ雑談が始まる。
「〇〇から来んさったとやけど、どんくらいかかられました?」
「まあ、この天気やからよう来られんと思うとったですよ」
 宮崎弁をマスターしていないので雰囲気だけ、間違いがあったとしてもどうかご勘弁。
 カウンターの向こうでは、手の空いた宿のお父さんがニコニコしながらお湯割りを飲んでいる。見ると、お湯割りに少し色が付いている。
「これはワシ流の飲み方で」
 と言いながら、僕らの分も作ってくれた。お湯を入れたコップに霧島をそそぐ、そして仕上げに粉の黒砂糖をひとつまみ入れる。これだけだ。飲んでみると、ふんわり黒砂糖の風味が加わって、なかなかいける。
 僕らはカウンターの右端の方で、行儀良く一列に並んで(まあ、カウンターだから当たり前だけど)飲んでいた。その横の座敷では、20人くらい居ただろうか、話に聞いていた戦闘機乗り達の宴会に違いない。漢達のエンジンは充分に温もっている状態。これから全開で暴れ回る気満々の気配が、妙に気が合いそうで好ましい。
「この人らあが、戦闘機に乗りゆうがやね」
 ひそひそ声で、3人とも横の座敷が気になって仕方ない。しかし、きっかけも無くなだれ込んで行くほど、まだ正気を失ってはいなかったので、僕らはただひたすらに我慢の良い子を演じ続けていた。そんな僕らの気持ちを察してか、宿のお母さんが僕らを紹介してくれる。
「この人たちは、〇〇(仕事)をしよる人で、明日の航空祭に〇〇(県)から来た人なんよ」
「ほうですかぁ、遠いから来られたんですねえ。」
 いかつい漢達がこちらを向く。僕らは、えへへと頭を下げて愛想良くを心がけると、漢達は急に無邪気な笑顔になって、屈託無く迎え入れてくれたのだった。そしてこの時、3人の耳には突撃ラッパが鳴り響いているのが、はっきりと聞こえた。

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亡霊(ファントム)たちの宴 003

2 辿り着いたらいつも雨降り
41500_0412040941500_04120509  低気圧は異常に発達して台風と呼ばれるようになり、12月という季節をわきまえずにやってきた。船で九州に渡り、大分から宮崎へ抜ける。延岡まではおとなしかった天気も、元祖チキン南蛮を食べ終えた辺りから本性を現し始める。低く垂れ込めた雲の中を、稲光が縦横に怒り狂い、雨は殴りつけるようにして襲いかかってくる。明日本当に航空祭できるのだろう か。前回美保に向かった時の脳天気さはもう無い。唯一希望の種は、天気予報が「夜中に雨は止むぜ。とにかく信じて突っ走れ」と、あくまでも強気に言い張ってくれていたことだ。でもまあ、普通に考えたら絶対に明日は中止の天気。 次第に陰気になっていく車内で僕は、
「これはバチが当たったに決まっている。そうでなかったら、こんな季節に台風が来るもんか」
と他の2人に八つ当たりしていた。民宿を予約した次の日、僕が小躍りしながら宿のことを報告した時のこと、2人は
「ふうん、まあ、そこでえいわ」
と、何とも素っ気ない返事。人の苦労も知らずに、さも当然そうに何の感動も無く。だから、当たったんだきっと、バチが。
 ようやく宿に辿り着くと、すっかり夜になっていた。風呂に入らせてもらい少し生き返る。愛想の良い夫婦が、柄の悪い3人組にも戸惑わずに、ちゃんと相手をしてくれた。
 とりあえず部屋でくつろいでいると、宿のお母さんが呼びに来てくれた。
「晩ご飯の用意ができましたんで」
 まさかこの後が、これからの総ての始まりになろうとは。どこかで突撃ラッパが鳴っていたはずだが、この時は誰もそのことに気付いていなかった。最初の犠牲者となるMKでさえ。

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亡霊(ファントム)たちの宴 002

その2 児湯郡新富町大字新田

1 宮崎が呼んでいる
 帰るなり、次の航空祭の話になった。(おいおい、いつからそんなに自衛隊好きになったのさ)自然に3人が集まって、雑誌の付録とにらめっこしている。
「行きやすさとか考えたら、次は築城基地でねえ」
 すんなり決まった。……ような気がしていた。
       *      *      *       
「えっ、婚礼が入った?築城には行けん !?」
 うん、まあ、仕方ないよね。色々と付き合いもあるし、まだ日数もあるし。
 ……10月の初めくらいだった。
 それじゃあと、次はもう選択の余地は無い。沖縄まで飛んでいく勇気はまだ無かったから、陸路でいうと新田原の航空祭ってことになる。
 まあ、乗りかかった船っていうか、毒を喰らわば皿までっていうか、とことんやり抜こうという気になった。(たかが、航空祭を見に行くだけだけど)
 先ず宿探しから。電話帳と地図を見比べて、なるべく基地の近くで安い所(貧乏旅行を旨としているため)を探していく。何時間格闘したか、いいかげんうんざりし始めたころ、何気なくページを開き、そして我が目を疑った。
「正門の近くに民宿があるやいか」
 場所が良すぎて、信じられなかった。きっともう満員だろうなと思ったが、駄目もとで電話を架けてみる。
「あのう、航空祭の日ですが……もう予約いっぱいですよね」
 おそるおそる、とりあえず聞いてみた。
「空いとりますよ」
 へ?
 駄目もとの気持ちというか、駄目な場合のことしか考えていなかったので、虚を突かれて惚けてしまう。そして、気を取り直して宿代を聞いてみる。
「朝ご飯だけやと3500円で、晩ご飯付きの4500円でどうでしょう?」
 ど・どうでしょうって、どうもこうも無い。他の2人には相談抜きで、独断専行・事後承諾、文句を言うならこれ以上の所を探してこいとばかりに、
「ぜひ、お願いします。3名で。」
予約してしまった。
「私んとこは下で居酒屋もしよるから、良かったら使って下さい。航空祭の前の晩は、ブルーの人とか 301の人とかが飲みますから少し賑やかになりますが」
 願ったり叶ったりとはこのことで、文句をいう奴がいればきっとバチが当たるに決まってる。

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亡霊(ファントム)たちの宴 001

 漢達の事を思い出す時、忘れられない言葉がある。

001  縁というのは不思議なもので、途中様々な前兆があったりするにもかかわらず、それらは後になってみなければ決して気付くことができない。結果論だと言ってしまえばそれまでなのだが、時折懐かしく思い出してみた時、そこに何かの意思(ちょっとした気まぐれ程度のものだが)を感じて思わず立ち止まってしまう。
 先に断っておくけれども、何かの意思とか言っても、何々様とか怪し気なものを引っ張り出してきて、それらの話をするつもりは無い。何でもよいのだけれども、ちょっとした気まぐれ程度の偶然が重なり合ったことを、忘れてしまわないうちに一度書いておこうと思ったわけだ。ただ、それだけのこと。

その1 美保にて

「なあ、航空祭に行ってみんかえ?」
 脳天気に話しかけてきた同僚のKHは、口をポカンと半開きにして、馬鹿みたいに晴れた空を見上げて僕の返事を待っていた。
 2004年春のことだ。
 はっきり言って、さほど興味の無かった僕は「ふうん」とか言って、とりあえず続きを聞くだけでお茶を濁そうと思った。しかしKHは、目をぐりぐりさせて、そして「航空祭ガイド」とか書かれた雑誌の付録を取り出すと、日本海側の「美保」という所を指差した。
「ここやったら、高速も抜けたし、そんなに時間かからんのとちゃうん」
 中国地方は近い割に不思議と縁の薄い土地で、その当時はまだ岡山に行ったことがあるくらいだった。ましてや日本海側には殆ど縁なく育ったので、単純に「何か旨い物が食えるがやないろうか」と思った。そして次には、本当にそんな軽い気持ちで、心が勝手に頷いていた。
       *      *      *       
 連れはMKを加えてKHと僕の3人。天気予報は最悪。「絶対に雨。晴れて欲しかったら神に祈れ。どうせ無駄だけどよ」と何の慈悲も感じられない予報。しかし、365日太平洋側で育った3人、かなり大雑把に育っているせいか、細かいことは一向に気にせずに、「行け行けゴーゴー!」と曇り空の中、ひたすら日本海を目指した。
 ホテルに着いて、荷物を置いて出掛けた繁華街。3人が幸せだったのはここまでだった。店から出ると土砂降り。次の日、朝こそ何気に雨はあがっていたが、いつ降り出して
もおかしくない空模様。案の定、霞む空気につつまれた空挺部隊の落下傘降下を見ただけで、午後のブルーインパルスは中止に。売店を回って消化不良のまま家路についた。
1000054_img もしも、この時天気が良くて、予定通りの演目を見て帰宅していたとしたら、この話はここで終わっていたと思う。

 多分、絶対。

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